見出し画像

あとで読む・第45回・山本周五郎『季節のない街』(新潮文庫、1970年、初出は1962年)

テレビ東京で金曜日の夜に宮藤官九郎(クドカン)脚本の『季節のない街』という連続ドラマをやっているのを知った。すでに昨年、映画配信サービスで全話配信されていたそうだが、私はどの配信サービスにも加入していないので、もっぱら地上波放送頼みである。
原作は山本周五郎で、黒澤明監督が1970年に『どですかでん』というタイトルで原作を映画化したことで知られる。クドカンさんが、『季節のない街』を映像化するとなれば、これは観ないわけにはいかない。

クドカンさんは、学年でいえば私の2学年下にあたる。ほとんど同世代といってもよい。だからなのか、クドカンさん脚本のドラマは自分の中にストレートに入ってくる感じがして、とても気持ちがよい。
たとえば一昨日(2024年4月26日(金))に放送された第4話では、屋台の飲み屋で飲んだくれたおじさん2人が歌を歌って機嫌よく飲み屋を後にするという場面が3回出てくるのだが、そのときに歌っていた歌が、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」、原田知世の「時をかける少女」、斉藤由貴の「卒業」なのである。私にとってはドストライクの選曲だが、相米慎二監督や大林宣彦監督の洗礼を受けていない世代には響かない選曲であろう。

私はクドカンさんのドラマをとくに熱心に観ているというわけではない。最初の出会いはTBSテレビの『タイガー&ドラゴン』(2005年)である。テレビをほとんど観ない時期だったが、これだけは毎週観ていた。落語と現実世界を行き交うような展開に心から笑い、その天才的な構成に舌を巻いた。
それからかなり飛んで、大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺~」(2019年)も毎回観た。ふだん大河ドラマをほとんど観ない私からすれば異例である。昨年(2023年)、再放送の「あまちゃん」を初めて観て、10年遅れの「あまロス」を体験した。「不適切にもほどがある」(2024年)も面白かったが、観たり観なかったりだった。それでもファンであることには変わらない。

まだ4回しか観ていないが、ドラマ「季節のない街」は、クドカンさんの書きたかったドラマを書き切ったのではないかという印象がある。もちろんどの作品もそうなのだろうけれど、何より山本周五郎原作の『季節のない街』という地味な小説を選んだことがそれを物語っているように思う。クドカンさんは、半世紀以上前の小説を現代の設定に置き換え、舞台を「地震の被害に遭って仮設住宅に住む人々」に翻案することで、見事に説得力のあるファンタジーに仕上げたのである(まだ4回しか観ていないけど)。

黒澤明監督が映画『どですかでん』を世に出したのは1970年。黒澤監督は、その前の過去5年くらいの間、米国進出の失敗などがあり失意のどん底にいた。そこからの復帰第一作に選んだのが山本周五郎の『季節のない街』を原作にした『どですかでん』なのである。しかも初のカラー作品である。だから黒澤映画は、『どですかでん』を境に、それより前と、それ以後に分かれる。おそらく当時の観客たちは、黒澤映画らしい重厚で活劇的な作品を求めていたのだろうけれど、この映画を観て拍子抜けしたのではないかと思う。実際、興行的にはあまり芳しくなかったそうである。しかし一方でこの映画が黒澤映画の中でいちばん好きという人も多い。クドカンさんもそのひとりのようである。私も以前にテレビ放映だったかDVDだったかで観た。最初はたしかに拍子抜けする感じがしたが、何度か観るうちに次第に愛着がわく映画になっていった。
私がびっくりしたのは、『どですかでん』の中で、電車の運転士になりきった「六ちゃん」と呼ばれる少年を、クドカン版では濱田岳さんが演じていることである。『どですかでん』を観たことのある誰もが、映画の中で六ちゃんを演じた頭師佳孝さんを彷彿とさせるキャスティングだと思ったことだろう。

私の手元には、新潮文庫版『季節のない街』の1971年第5版がある(初版1970年)。ずっと以前に本のリサイクルショップで108円で購入したもので、1970年といえばちょうど『どですかでん』が公開された年だ。表紙のカバーの両そでには、映画のいくつかの場面を撮影したスチールが掲載されている。おそらく映画化に合わせて文庫化されたのだろう。
実際のところ私は『どですかでん』を観たことで小説を読み終えた気になって、今に至るまでちゃんと読んでいない。活字が異様に小さいことも読書することを妨げてきた。しかしこれを機会に小説をちゃんと読むことにする。黒澤明監督の『どですかでん』も近いうちに再見する。そして三者の違いを楽しむ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?