あとで読む・第41回・大平しおり『土方美月の館内日誌~失せ物捜しは博物館で~』(メディアワークス文庫、2014年)

2020年度から5年間、毎年2月の第1日曜に岩手県内を会場にして、世界遺産の平泉に関する一般向けのフォーラムで研究発表をすることになっている。最初の2年間はコロナ禍のためオンラインでの発表だったが、2023年2月の第3回からは対面での開催となった。第4回の今年(2024年)は奥州市だが、昨年は盛岡市だった。

昨年の会場でのことである。
昼食休憩のあと、控え室を出たところ、事務局のスタッフに声をかけられた。
「先生の教え子だという方が先生にお目にかかりたいといらっしゃっています」
見ると、10数年前に卒業した教え子のOさんだった。そう、たしかOさんは、盛岡に住んでいるのだった。
たぶん卒業以来会っていないと思うから、10数年ぶりの再会である。
Oさんについてことさら印象的な思い出は、学生時代から地元・岩手の同人誌に小説を書いていて、私も当時それを読ませてもらったことがあった。卒業の時に「小説は書き続けなさい」と言ったような記憶があるが、記憶は不確かである。

5年ほど前の2018年にOさんから突然長いメールが来たことを思い出した。その年に私が出した本を読み、大学の授業が懐かしくなりメールを書いたという。そこには、語り口が授業そのままで涙が出ましたと書いてあった。
2018年に出した本は、世間的にはまったく話題にもならず、売れなかったのだが、そのメールに私は救われたのだった。
そのメールには続きがあった。自分はいま売れない小説家をしていて、出版もしてもらえたけれど、まだ納得いく小説が書けていませんと書いてあった。私はそのとき、その小説を読んでみたいと思ってペンネームや小説のタイトルを尋ねてみたのだが、ペンネームも、出版した小説のタイトルも、教えてくれなかった。あれからどうしたのだろうと、気になっていた。

「どうしてこのフォーラムを知ったの?」
「いただいたチラシに先生の名前を見つけて、絶対に行かなくちゃ、と思ったんです」
名刺交換をしたら、肩書きに「小説家」とあり、「大平しおり」というペンネームが書かれていた。名刺の裏面には自分が出した小説の一覧が書いてあった。すでにかなりの数の小説が出版されているようだった。
やっと、小説家と胸を張って名乗れるようになったんだね、と思いながら、私は感慨深く、名刺を受けとった。
「先生、お元気でしたか?」
「いろいろなことがあったけれど、なんとか生きてます。あなたは?」
「3人の子育てに追われています」
「この名刺に書いてある小説、読んでみます」
「お時間がありましたらぜひ」
大平しおりさんの過去の小説は、電子書籍で読むことができるので、さっそく何冊かを購入した。手始めに読んだのは、『七十年の約束~届く宛てのない手紙~』(メディアワークス文庫、2015年)である。私が知る大平さんらしい誠実な文体で、内容とも相俟って胸に迫るものがあった。
それから数か月して岩手日日新聞社が発行する『岩手之誇』という観光誌が大平しおりさんから送られてきた。その中で大平しおりさんは、岩手県の世界遺産をめぐる紀行文を書いていて、その内容がとてもよかった。https://www.iwanichi.co.jp/2023/07/15/10673978/

そのことを、今年のフォーラムの前日、懇親会のときのスピーチで話題に出すと、同席していた岩手県の世界遺産担当課長が駆け寄ってきて、「三上先生の教え子さんでしたか!」と驚いた様子で、「あの号はとても好評で、いいライターさんに書いてもらったなぁと嬉しく思っていました。先日東京で行われた岩手県のイベントで『岩手之誇』を置いていたところ、すぐに全部捌けてしまったのです」と、嬉しそうに話した。それは私にとっても「誇り」だった。

今年のフォーラムにも大平さんは聴きに来てくれた。「今度の3月に新刊が出る予定です」という嬉しい知らせを聞いた。「ぜひ読みます。なにしろ私は、あなたの小説のファンなのですから」
それまでに、まだ読んでいない大平しおりさんの小説を、電子書籍で読むことにしよう。


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