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回想10・トランヴェール

新幹線「はやぶさ」号と在来線を乗り継いで、青森県の弘前・深浦に出張した。青森県を訪れるのは、ほんとうに久しぶりだ。
青森といえば…、と、一つのエッセイのことを思い出した。

JR東日本の出しているフリーペーパーに、「トランヴェール」というものがある。新幹線に乗ると、前の座席のポケットのところに入っているやつである。

コロナ禍以降、新幹線に乗る機会がぐっと減ってしまったので、最近はあまり読んでいないのだが、かつては読むのが楽しみだった。とくに巻頭エッセイに私は注目していた。当面の期間、一人の執筆者が連載のような形で書くエッセイである。
正直に言うと、毎月のエッセイには、出来不出来があるし、相性の合う執筆者もいれば、そうでない執筆者もいる。すべてがいいエッセイとは言えない。だからこそ、読むのが楽しみだったのである。

私が印象に残っているのは、10年近く前の2015年頃に連載されていた山田五郎さんのエッセイである。タイトルは「旅先はアート日和」。その中の1回に、「ナンシー関の照れ笑い」というタイトルのエッセイがあった。

いまから30年前、当時山田五郎さんが担当していた雑誌の編集部に、青森から出てきたひとりの女性があらわれる。「大きな体で小さな消しゴムをつまみ、カッターナイフ1本で、あっという間に味のある版画を彫り上げる」。彼女の作品は雑誌に採用され、そればかりではなく、並外れた観察眼の鋭さから、抜群のテレビ評、芸能人評を書くようになり、多くの読者を獲得するようになる。ナンシー関の誕生である。
編集者としての山田さんは、ナンシー関の作家性に絶大な信頼を寄せ、価値観を共有し、やがて二人はかけがえのない友人となっていく。亡くなって(2015年時点で)13年たってもなお、ナンシー関に対する山田さんの友情は変わらない。
「あれから13年たった今も、芸能人が何かしでかすたびに『ナンシー関ならこう言ったはず』と想像する人が後を立たない」と山田さんは書く。ナンシー関の没後、その文体をまねたテレビ評が週刊誌に次々とあらわれたが、誰もナンシー関には及ばなかった。

このエッセイで「なるほど!」と思ったのは、ナンシー関の「消しゴム版画」の原点は、同じ青森出身の版画家・棟方志功だったということである。ナンシー関にとって、子どもの頃から版画は日常の中に存在していたのである。

ナンシー関は、矢野顕子さんのベストアルバム「ひとつだけ」の「寄せ書き」に、こんな文章を書いている。

「『ひとつだけ』は、矢野顕子の歌唱する力を改めて認識させてくれる曲だと思う。
ハマリすぎなので言うのが、ちょっと恥ずかしいくらいだけど、「ひとつだけ」の入っているアルバムを、上京したての浪人の時に本当によく聴いた。そのうえ、それまで矢野顕子の曲は黙って聴くものだと思っていたのに、いつも一緒に歌ってたりした。別に都会のコンクリートジャングルは冷たいとか思っていたわけではないんだけど」

めずらしく素直な文章だ。これだけの文章だが、ナンシー関にとって矢野顕子さんが大きな存在だったことがよくわかる。
そして矢野顕子さんも、青森出身である。
青森出身のナンシー関は、同じ青森出身の棟方志功や矢野顕子さんの影響抜きには、語れないのではないだろうか。

…と、青森出身の祖父母をもつ私は、そう考えるわけです。


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