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日本における英語教育の罠とその解決策に対する意識。

The difference between winning and losing is most often not quitting.

WALT DISNEY

さあ。本日も書いていきたいと思います。
突然ですが、このタイトルを読んでどう思いましたか?
私が、読者なら「最高にイキってるなぁ」と感じますね。笑

もしも、このタイトルを読んでそう思ったなら、まさにその通りです。
イキってみました。笑

さて、くだらない話は置いといて本題へと入りましょうか。
でも、本当は自信がないんです。この文章は、理解しづらくわかりにくいかもしれません。もしもわかりにくかったり、文法がおかしかったら謝ります。てか、先に謝ります。ごめんなさい!!

HONDAI


 近頃、日本国内においてグローバリズムの浸透が顕著に見られます。例えば、学校教育では、小学校から英語の授業が始まり、高校では英語の4技能を重視するようになりました。 また、社会では、多国籍企業や外国人労働者が増え、英語でコミュニケーションをとる機会が増えました。

 しかし、学校教育の英語指導には依然として問題があります。その問題点の一つ目は、文法や単語の用法などを厳格に定義してそれに従わせようとする指導方法です。これは、英語という根本から異なる言語を日本語で考えるという、とても非効率な方法の指導になってしまいます。具体的にどう非効率なのかというと、長文読解などの時に、文法などの公式に当てはめる人が多いように見受けられますが、この方法では、1つの定義に狭まれて大切な読解という能力に悪影響を及ぼします。私は、「文法事項を踏まえずに読解しろ。」と言っているのではなく、”文法事項”を一つの軸として考えるべきだと個人的に考えます。自分自身、アメリカの高校生が読む洋書を月に三冊程度読破していますが、やはり、文法というのを厳格に見極めて読むと読解率が下がると実感します。長文などに関しては、抽象的思考をしてぼんやりと背景を脳裏に浮かべながら、読解することが良いと考えます。そして、文法への厳格化は抽象的に捉えるということから、遠ざけてしまうため、厳格化ではなく”軸”であり、そこからぼんやりと自分なりに理解することが必要だと思います。



 二つ目の問題点は、英語コミュニケーション能力の低迷です。これは私の経験談から語りたいと思います。私は、人に教えるということが好きで、学童教育などのボランティアに所属して英語を教えたりしていますが、その経験の中で感じるのは、英語で話そうとするときに文法や単語の意味に酷く執着して、言葉に詰まるということです。このことの理由として考えられるのは、やはり先程にも述べた通り「英語の定義化」にあると考えます。もちろんこのことの利点は、英語の根本を理解できることや、理論的に学習できることにあると思います。事実、日本人の英語の文法力という観点で見れば、欧米に追い付くほどの理解力であるそうです。 しかしながら、日本の英語教育では文法を理論学習させてしまうから、語学学習者に対して強迫的な文法に対する意識というのが芽生え、どんどん抽象的に捉えることができなくなり、英語の話すという能力が下がってしまうのではないでしょうか。


 これらの対策として、どのようにすればよいでしょうか。
それは、外国人「ALT」と話すことが抽象的に捉えることへの道筋になると思う。
なぜか?
 外国人「ALT」と話すことが抽象的に捉えることへの道筋になると思います。
ーなぜか?
それは、理論的に学習した英語を実践的にとらえることでどんどん自分の中で抽象化することができるからです。たとえば、仮定法を学習した学生がALTと話すうえで、最初は理論的に解釈している脳は処理に悩むかもしれません。だけど、何回も会話を検証することで、自然と嚙み砕いて解釈することができるようになり、突然「こうしたらどうだろうか」と応用する力が鍛えられます。そこで、実践し、反省、そして実践を繰り返すことで、英語の抽象的思考力というのが自然と身につき、それを読書などに生かすことで、英語という学問に対する理解そして新たな視点が生まれると思います英語という学問に対する理解そして新たな視点が生まれると思った今日この頃の私でありましたとさ。

ここまで、読んでくださった読者はいるのだろうか。多分途中で離脱して寝てるかもしれない。けど、途中まででも読んで下さったあなたは私にとって最高の宝なのでありました…めでたしめでたし。

それでは、また明日。

読んでくれて本当にありがとうございました。(小声)


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