「クララとお日さま」における階級と労働

1.序論

昨今、人工知能をはじめとした高度なテクノロジーが目を見張るような発達を遂げ、われわれ人間の生活や社会の在り方にもその変化に呼応するように大きな動きが生まれている。

2021 年に刊行した、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』(Klara and the Sun)では、近未来のアメリカを舞台として、「AF(人工親友)」として販売されているヒューマノイド・ロボットのクララ(Klara)が関わる人々や社会の姿をクララの目線から描いている。AFをはじめとしたテクノロジーの普及により、さらなる分断や不平等が横たわる社会をありありと描く本作品は、我々が歩むことになるかもしれない社会を先見していると言えるだろう。物語の中で特に現代社会との大きな違いが見られたのは階級と労働にまつわる描写であった。

このことから本論では『クララとお日さま』において AF という存在は、階級と労働の在り方にどのような影響を及ぼしているのかに注目し論じたい。


2.階級と AF

古代から現代まで続く階級制度は、社会の人々を所属するグループによって分類し、優劣をつけ、管理し、搾取してきた。近未来のアメリカの姿を描く『クララとお日さま』では階級の制度や優劣について直接言及されてはいないものの、会話や人々の描写により強調される。

クララがお店のショーウィンドーに並び、街の様子を眺めている際に、ガラス
の前で悲しそうな表情になる子どもたちに気が付く。店を管理し、AF の教育を行う店長さん(Manager)に尋ねると、クララの観察力の鋭さを評価した上で次のように述べる。

“What you must understand is that we’re a very special store. There are many children out there who would love to be able to choose you, ... any one of you here. But it’s not possible
for them. You’re beyond their reach. That’s why they come to the window, to dream about having you. But then they get sad.”(11)

その後クララは、アメリカ人のジョジ―(Josie) に出会い、彼女の家で生活を送ることとなる。彼女は向上処置(lifted)と呼ばれる遺伝子操作の副作用に日々悩まされるという困難を抱えてはいるものの、家政婦の住む豪華な家で暮らし、十分な教育を受けている。一方でジョジ―の幼馴染であるリック(Rick)は、AF を持たず、みすぼらしい家に住まい、向上処置を受けていないという理由だけで教育を享受する手立ては少ない。

ジョジ―が招待した同年代の子どもたちが集まる交流会(interaction meeting)では、ジョジ―は周囲と溶け込み、受け入れられる一方で、リックは排他的に扱われ見下される。

加えて交流会の中で浮き彫りになったのは、 “I have a B3(AF の最新機種)now, ...You’ll see him next meeting.”(87) という言葉が表すように AF を所有することがある種の自慢でありブルジョアの証となっているということだ。

このような描写から、AF は社会的な地位が高い富裕層だけが手に入れることが出来る商品であり、かつ AF は階級の証明として富裕層の間で親しまれていることが推測できる。


3.労働と AF

技術革新はいつの時代も労働とともにあり、労働、そして労働者の在り方に大きな影響を及ぼしてきた。『クララとお日さま』においても AF の登場によって変容した労働のありさまを見てとることができる。

ジョジ―の父ポール(Paul)はかつて研究員として化学プラントで働いていた。しかし “He was substituted. Like all the rest of them. ” (112)だと母親クリシー(Chrissie)は語る。

また、クララが街に出たけた場面で街頭にて出会う男性は “We’re protecting the proposal to clear the Oxford Building.There’s currently four hundred and twenty-three post-employed people living inside it, eighty-six of them children.”(266)と言い請願書へのサインを求める。

その後の劇場にてショーを見るシーンでは、見ず知らずのご婦
人は“First they take the jobs.Then they take the seats at the theater?”(269)とクララを苛む。

このような描写から、かなりの数の人々が AF の登場により仕事を失い路頭に迷っていることが読み取れる。

4.階級と労働と AF
第2節、第3節では、それぞれ階級と労働という観点から AF が人々に与えた影響について見てきた。二つの点に共通して言えることは、AF が持てる者(haves)を補い、強くするために用いられているということだ。

反対に、持たざる者(have-nots)は AF に仕事、地位、機会など様々のものを奪われている。 このような AF の在り方は、持てる者と持たざる者の格差を広げ、分断を生むことを促進する。

加えて、優れたサービスを提供するために生み出された存在である機械(AF)が人間の競争相手となったことにより、社会にとって有用か否かで人間を評価し、有害な人間や不要な人間は排除して良いというような優生思想が蔓延しているように思う。その結果として、いつの間にか人々は支配しコントロールしていると思っていた AF に踊らされている構図が本作品の中に見受けられた。

5.結論
『クララとお日さま』では、人工知能をはじめとした高度に発達したテクノロジーと人間の共存の問題を取り上げている。その中でも本論では、人間と社会の関りにおいて切っても切れない関係である階級と労働に、技術革新(AF)はどのような影響を及ぼすのかという点から物語を眺めてきた。

この作品では人間がより幸せに、豊かに生きていくために発達した技術の数々が間接的ではあるが人間から様々なものを奪い、そして植え付けている様子が繰り返し描かれていた。

カズオイシグロは、人間と人間が生み出したテクノロジーの摩擦が増える時代において、我々の行かんとする道の残酷さと不条理さを訴えかけているのではなかろうか。

#クララとお日さま

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