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自分、1番の、敵。次は1番の味方と書く為に。

よく、何でこんな事してるんだろ。
したくないのにまたしちゃった。って事をしてしまう。
自分が1番よく分からない。何が好きで、何が嫌いで、どうしたいのか。自分がよくわからない。
そんな時の逃げ道は決まって、『幼少期の育てられ方』『親のせい』『毒親だから』こんなところに辿り着く。
私は中学生の頃、人殺し以外は殆ど経験したと言える程グレてしまった。
自分が親になってから分かった事は、あの頃の自分は親に対する絶望や反発心、そして寂しさ、裏切られた気持ちを、グレるという形で外に出す事で、何とか『自分』を存在意義を保っていたと感じる。
私がグレたことと
したくないのにしてしまう事。
これらは関係ないように見えて、私の場合は関係していると感じる。
私のグレた理由は、親からの純粋な愛情をもらえなかった、幼少期の寂しい気持ち、不安な気持ちを親に埋めてもらえなかった、言えなかった事からだったと今は思うが、これが大人になった今、どうなっているかというと解消されていない。
要するに、子どもの頃の不安や寂しい気持ちを持ちつつ年だけは大人になった。コナンの逆。
子どもの頃からの誰か構ってほしい、見てほしい、受け入れてほしいという承認欲求が解消されていないので、大人になった今でも人に依存的だ。
依存的な部分は私を不幸に導く悪魔の囁きで、
例えば彼氏と別れて辛い気持ちの時、私は本当に誰でも良いから少しでも優しくしてくれたり寄ってくる男に対して、すぐに自分を委ねてしまう。これは、男に対してだけじゃない。女にも同様。
寂しさが埋まるなら、誰でも、何でも良いってわけ。
これは、本当に怖い。
10代の頃はコレが犯罪だったりした。
今はそれは出来ないから出来る範囲の『何でも』になってしまっている。
これが、今の、したくないのにしてしまう思考に繋がっているかも、と、考える。全ての私のしたくないのにしてしまう行動は『依存的』な部分からくるもの。
寂しさが原因の依存的行動だと考えている。
それだけ『寂しさ』は怖いものだと私は感じるが、
そもそも、『寂しさ』を埋めなくてはいけない、埋めたいと感じているのは何故か。という事を考えた。
それは、寂しさは私にとっては恐怖やトラウマに直結しているかもしれないという事、寂しさは死に近い事だと感じているのかもしれない。
『寂しい気持ち』を想像する時、決まって、親が仕事に行ってしまう時で、1人で家に残された時を思い出す。私には弟がいるが、弟の存在は出てこなくて、1人にさせられてた事を思いだす。
この気持ちが私にとっての『寂しい』だ。
何歳かは分からないけれど、何度も何度もあった事は覚えている。けれど、その寂しい気持ちを親に言えない。言ったらダメなんだ。怒られるだろうと思うし、言えなかった。
ここには、2つの寂しいが隠れているように思う。
一つは物理的な寂しさ。1人という寂しさ。
もう一つは、親に気持ちが伝えられないという、親子のすれ違いの寂しさ。
これが何度も何度もあった為に、強くなるんではなくて、私はどんどん心に厚い覆う何かを被せていった。
寂しいという事を感じたくなかったのだな、と、
本当に最近気づいた。
自分がどんな事を感じているのか、本当の気持ち、本当の心の中は自分で感じられていない事を私は最近気づいた。心に被せてきたモノを取って本当の感じている事を感じるのは難しい。
本当に難しい。頭と心の違いが常にあるのだ。気持ち悪い。イライラする。
だから私は常に怒りっぽく、忙しなく、ゆとりがない。行動していないと寂しさに直撃するから、常に動いていたい、子ども達にはあたりが常に荒く、言葉も酷いと実感する。

今も本当の自分を考えたくなくて、また、逃げ出そうとしている。また、同じところに戻ろうとしている。
したくないのにしてる時、
寂しさ、虚しさ、を手っ取り早く解消したい行動になっている気がする。

依存的だと
人を愛する事、自分を愛する事、思いやりや、相手の立場になって考える事
他にも沢山あるが、こういう事が出来なくなる。
大人になった今、凄く苦労している。

自分にとって大切じゃなくても、その場その時その瞬間に埋まるモノがあるなら手っ取り早くその瞬間を選ぶのだ。
まさに貧相な考え方。
長期的な視野が持てず、目の前の報酬に踊らされる。
よく、気軽に『自分、依存症でー』っていう人居るが、そんな気軽に考えられるものではない。
依存的思考は人を死にも追いやる。

あぁ。どうして私は今、描いてる時でも
息子に怒り、自己嫌悪し、涙が出てくる。
変わりたい。20歳から、過食嘔吐を止めるため、沢山の知識を学んだ。頭では分かった。それが出来ない。今でも変わらない15年経った今でも。
変わりたいようで変わりたくないと思っているとも何かで見た。変わらないメリットがあるんだと。
確かに、考えるだけ変わったかのような自分で居られる。調子がいい時は、考えた事ができる事がある。
けど、今はどうだ
男に依存し、寂しさを埋める為に何でも良いから使い、結婚妊娠すれば埋まると思い、出産し、不自由になり子どもを叩き、旦那を粗末にし離婚し、また振り出しに戻り、再婚し旦那が自死し、1人で新生児を育て、不自由になり。
何してるんだろう自分。何やってるんだ自分。
こんなに恵まれた中で、不幸を演じている。
切り替えたい。今この時からできるはず、出来ない、できる、出来ない。こんな日常を毎日歩んでいる。

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