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【為せば成る】消えていこうとしている産業かもしれないが、まだ伸び代しかない

 山梨県大月市には「厚焼木の実煎餅」という手焼きの煎餅があります。
 山椒のエキスを配合した小麦粉ベースの生地を、十二丁一組のまるい金型に匙で盛り付けて焼いていきます。これを三度繰り返して層を作り出す「三層重ね焼き」という技法で持って焼成される煎餅は、とても硬くなります。

 この厚焼木の実煎餅。盛り付ける量、挟む力、火にかける時間はその日の気温や湿度、生地の仕込みの状態によって変わるため、機械で焼くことが難しい上に、三層に重ねるために一枚が焼き上がるまでに時間がかかるなど、挙げ出せばキリがないほどに量産に向かない商品です。

 また、焼き手も少なく、高齢な方がほとんどです。
 僕がお店を継いだ当時、大月市内で6店舗あった厚焼木の実煎餅を扱うお店ですが、3年ほど前、1店舗が閉店しました。腰を痛めたことが理由だそうです。

 産業の高齢化が進んでいる、というのはどの産業でも聞くことかもしれませんが、僕が身を置いている厚焼木の実煎餅の産業に関しては実感を伴って高齢化が進んでおり、衰退しています。


認知の低い産業が衰退するリスクは大きい

 そもそも厚焼木の実煎餅という銘菓の存在を認知している人が少ない現状で作り手が減っていくことは非常に大きなリスクです。

 まずもって、顧客にリーチできる可能性が減ります。
 有名な商品の作り手が減った場合、生産数が減ることで手にすることができる顧客が減ります。無名な商品の作り手が減った場合、生産者が減ることで目にする顧客が減ります。
 同じ機会損失でも、意味合いはまったく異なります。

 先日、明治のチェルシーが終売することが発表され、大きな話題となりました。
 これら有名商品は全国にファンがおり、ここ最近は口にしていなかったとしても、報道をきっかけにその存在を思い出したり、実際に購入したりします。終売の発表をきっかけに店頭からすぐになくなってしまいます。
 同じく明治のカールは関東圏で終売になっていますが、関西以西ではまだ販売が続いており、関東圏の人が関西に旅行に行った際にお土産として買って帰る、なんて話を聞いたこともあります。

 厚焼木の実煎餅が終売になったとして、このようなムーブメントは起きません。それは当たり前の話です。
 認知の低い産業(商品)は人知れずなくなっていきます。

実のところ、まだ伸び代しかない

 高齢者が作り手を担い、4・50代から高齢者が支えてきた市場が厚焼木の実煎餅の現在地です、ここには多くの活路があります。

 まず、これまでインターネットの活用は皆無でした。
 市の観光協会が作成した会員の一覧ページや観光客の個人ブログ、食べログなどの投稿サイトがヒットするのみで「厚焼木の実煎餅」は情報発信されていませんでした。

 自社のホームページを作成し、通信販売を行う。
 焼いている姿を写真や動画によってSNSで公開する。

 これだけで厚焼木の実煎餅市場にとっては画期的な一歩であり、そこはもうブルーオーシャンみたいなものです。

 やっていないことがあまりにも多いのです。

 15秒ほどの、厚焼木の実煎餅をただただ焼いている後ろ姿を撮った動画をInstagramにアップしたところ1000回をゆうに超える再生数がありました。時には1.2万再生されることもありました。日本を飛び出し、海外の人にまで届いていたようです。
 これが直接売り上げに関わっているかは甚だ疑問ですが、厚焼木の実煎餅の魅力の一部が人々にリーチできることが確認できました。直接の売り上げに繋げる工夫は、動画以外のところで必要になるでしょう。伸び代ですね。

厚焼木の実煎餅を後世に残すために

 厚焼木の実煎餅の焼き手は高齢です。
 ある店舗の職人は90歳。ある店舗の職人は70代。
 そのほかの職人の年齢はわかっていませんが、少なくとも僕27歳より若い方はいませんし、30代も40代も、もしかすると50代でさえいないかと思います。
 僕だけが極端に若いのです。

 現実問題としてそれぞれの店舗で担い手が現れなかった場合、僕だけが残ります。これはまったく歓迎することではありません。

 厚焼木の実煎餅は祖父から受け継いだものです。
 これを次に繋げるのは僕の役目かもしれません。

 福岡のふくやの話を聞きました。明太子のふくやです。
 明太子のレシピを広め作り手を増やしていくことで、食卓に当たり前に置かれる存在にまで広めたのだそう。現在、福岡が明太子の一大集積地であるのは誰もが知るところです。

 これを厚焼木の実煎餅でもできるだろうか、と最近考えています。
 ここには戦略が必要でしょう。市場を拡大させる戦略も、そこで生き残っていく戦略も。それまでにもやらなければならないことは山積していますが。そもそも、もっと売り上げを伸ばせよ、ということであるとか。

 とはいえ、目標は高くありたいものです。

 高校の時の日本史の教員がよく米沢藩主・上杉鷹山の言葉を引用していましたが、まさにそれです。曰く、

為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり


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