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結論ないが焦りについて考えてみる

焦りとは何なのか?を考える。
焦るの語源は、馬が気がはやって足をばたばたさせることから、足迫る(あしせる)→焦る、となったらしい。
人間に置き換えると

・約束の時刻に間合わないから、焦って準備して出かける
・仕事の納期が迫っているため、焦って取り組む

といった場面がよくある。
焦りとは、ある期限に間に合わせるために生じるものか。

原始時代の人間でも、狩りをしている最中、肉食動物から襲われそうになる時、焦りの感情が生まれそうだ。動物に食べられない期限に間に合わせるために本能的に焦りの感情が生まれる。
焦りの感情により、全速力で逃げるだろう。こう考えると、人間に備え付けられた必要な感情とも思えてきた。

昨今は、「焦り」がネガティブな感情で語られることが多い。テクノロジーが日進月歩で進み、時の流れが早く感じる世の中と「焦り」が付随して語られることが多いと感じる。

いつからこんなに時の流れが忙しなくなったのだろうか?
ちょうど、鷲田清一著『待つということ』を読んだ。
例えば、祖父母の代・50〜60年前までは手紙でやり取りをしていたという。
結婚する前の祖父は祖母に恋文を書いた。早ければ1週間で帰ってくるかもしれないし、1ヶ月かもしれないし、帰ってこないかもしれない。とにかく祖父母は手紙が来るのを「待ち」わびていたという。
こちらの方が、今より何か少しはかなくてロマンチックな気がしてきた。
しかし、昔の人はよくこんなに「待てた」なあと感心する。
対して、我々現代人はテクノロジーの進歩で、すぐ連絡を取ることが可能になった一方、「待つ」ということができなくなってしまっている気がする。
「待つ」ということと時の流れが忙しくなったことは関係がありそうだ。

例えば、現代は手紙の代わりにLINEを使うが、LINEを送ると返信が「まだかまだか」と気になることがある。
「即レス」という言葉の通り、1時間でも返信が遅いと苛立つ人もいるという。1分1秒でも無駄にしてならないと駆り立てられ、時間に追われ、焦りが生じているのではないか。これを突き詰めると、人間は機械になってしまう。

以上、焦りについて結論なしに色々書いた。読者も焦りについて考えてはいかがだろうか。

(気が乗ったら続く)

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