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【小説】「天国のこえ」5章・うつ病(1)

 「あのおー…今日って空気薄くないですか」
 ほぼ他人のパソコンのタイピング音しか聞こえないようなオフィスで、おずおずと私は真向かいの同僚に尋ねた。
 「え?」
 同僚のマナは目を丸くし、私の方を向いた。
 「息苦しくないですか…?」
 そっとオフィスに響かないように私はささやき声をあげた。
 「いや…あ?そんなことないけどねえ?どうしたの、木村ちゃん」
 「えっと…」
 私が言い淀むと、マナは私の隣に座るお局様ことトモコに目線を向けた。
 「トモコさん、空気薄いですかあ?」
 飄々とお局様に尋ねる。
 (ああ、羨ましい…)
 私は以前から心底マナが羨ましかった。マナだってお局様のトモコの事をよくは思ってないのに、表面上は仲良くできている。
 トモコは演技がかったような動きで、パッと私の方を向いた。
 「あらっ、木村ちゃん、どうしたの?具合悪いの?」
 「えーと…」
 私は言い淀んでしまった。トモコの「圧」がすごい。
 トモコは、内心では私を嫌っている。
 もともと、他部署に私がいた時、トモコとはだいぶやり合ったからだ。生意気な小娘と思われているのも致し方なかった。
 なので、まさかトモコが居る部署に異動が決定した時は、己の運の悪さに心底ガッカリしたものだった。
 しかし、過去を振り返っていても仕方がない。私は精一杯、この部署でトモコの隣でカワイイ後輩を演じなければならないのだ。無駄であろうが。
 「具合悪いというか…息苦しくて。心臓も…なんだか不整脈みたいに飛ぶんです」
 トモコは、これまた演技がかった動きで頷いてみせた。
 「まあ、そうなの!大変じゃない。上で休む?病院に行ってくる?」
 私は、ちらりとオフィスに掛けてある時計を見た。
 (病院…に行ったとしても、十六時からの仕事までには帰って来られるかな。まだ午前中だし)
 私はトモコに顔を向けた。
 「病院に行きたいです…すぐ戻れると思います。課長に確認してもいいですか?」
 尋ねると、トモコは真っ赤な唇の口角を上げた。
 「オッケー、まあ、戻って来られなくても心配しなくていいわよ。気を付けていってらっしゃい」
 「ありがとうございます」
 ペコペコと頭を下げながら、私は席を立った。
 トモコは、本質は頼られるのが好きな性分…なのだと私は分析していた。生意気な態度をとるよりも、弱いところを見せていた方がいいのだ。
 トモコと私のやりとりを見ていたマナは、にっこり笑って、「木村ちゃん、気をつけてね」と手を振った。
 マナもマナで一癖も二癖もある「先輩」なのだが、トモコよりは私を可愛がってくれていた。

 ロッカー室に降りてきた私は、小さなサブバッグに、スマホと保険証、財布、社員証を詰め込んだ。
 「あ、一応予約…」
 スマホを取り出し、通勤の途中でよく見かける、循環器科内科へ電話をかけた。
 「いつでも来て大丈夫」
 と回答をもらい、心持ち早足で病院へと向かっていった。

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