【小説】「天国のこえ」8章・休職(1)
私は、がさごそとビニール袋に手を入れた。
青く光る薬の包装シートを取り上げて、眺める。
「薬を、捨てる…」
手に取ったそれは、抗うつ薬だ。シートには半分ほど残っている。
駅ビルの占い師に、薬は良くない、薬を捨てなさいと言われ、即実行しようと思ったものの、「それじゃあ、さよなら」と薬を手放す勇気がでなかった。
どうしたら良いのか。何を信じたら良いのか。
占い師は、真剣だったし、私に嘘をついたとも思えなかった。
「捨てるんじゃ…なくて…飲まなければ良いんだ…」
独りごちて、がさ、とビニール袋に抗うつ薬を戻した。
別に、薬を飲まなくても大丈夫だろう。夜は眠れないかもしれないが…確かに薬を飲み続けると言うことは、良く無いのかもしれない。薬を飲んでいることで、日中もぼーっとしてしまうし。
私は、私なりに前向きに考える事にした。
「あ…あ…あ…」
それは、精神薬を飲まなくなって三日目の、朝のことだった。
睡眠導入剤を飲んで無いから、三日間、ほぼ寝た気がしないのだが、その日の朝の私は、昨日の朝の私ではなかった。
「え…ええ…どどど、どう…し…た…の」
上手く呂律が回らない。
全身の震えが止まらず、上手く身体を動かすことができない。ベッドから降りようにも、身体がこわばって立ち上がることができなかった。
「な、…な…んで」
この状況が、全く理解できず、私は内心パニックになっていた。パニックを起こすと、余計呂律が回らず、身体も思い通りに動かせない。
「どうし…よう…」
上手く動かない首に力を込めて、スマホ画面にかろうじて目をやることができた。
六時半。
誰かに電話で助けを求めるには早すぎる時間だ。
救急車?
一瞬、それが頭をよぎったが、この症状をどう説明すればいいのだろう。
こんな時に、一人暮らしは不便だ。
風邪もインフルエンザも、長い一人暮らしの経験で乗り越えてきたが、こんな訳のわからない体の不調は知らない。
私は、つとめて冷静になろうと努力した。震える身体を宥めながら、再びベッドへと潜り込む。
こんな状態では、会社へ向かうことなどできない。仕事にもならないだろう。
始業時間まで、耐え忍ぼう。「休む」と会社へ連絡を入れなくては。
幸い、有給はたんまりと溜まっていた。忙しいこともあるのだが、性格上なかなか休みを取ることができなかった。それこそ、風邪かインフルエンザの時ぐらいしか、有給を使っていない。
八時十五分。
始業時間の五分前だった。会社に電話を掛ければ、ほとんどの人がいるだろう時間。
「あ、…あ、ああ…」
発声練習をしてみる。朝起きたばかりの状況と何も変わらない。呂律が回らない。電話口で、これはどう思われるだろうか。…そもそも上手く伝えられるだろうか。
相変わらずこわばって思い通りに動かない腕を、ベッドの脇に置いてあるスマホへと伸ばした。
会社の電話番号は登録してある。震える手で、「会社〇〇部」と表示されている画面をタップした。
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