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外山合宿で宗教やめました~第34回教養強化合宿体験レポート~

 今回で34回を数える外山合宿ーー正式には「教養強化合宿」ーー。これまでの参加者によるレポートも数多く、今さら合宿内容のあれこれを紹介する隙もないような気もする。だが、外山合宿を通して、詳しく言えば新左翼運動史を学び、そこに「主体性の物語」を見て、十数年間所属していた宗教を辞める決断をした体験は、世に(特に合宿に興味がある者に!)知らしめる価値があると思うので、以下にそれを記す。宗教に入っていた事実自体ほぼ誰にも伝えていなかったし、驚かれる者も多いだろうが、辞めることにしたこの際告白してしまおうと思う。外山合宿に参加する新しい動機ーー宗教とかブラックバイト・部活みたいな「辞めにくさ」の悩みの解消ーーを提示できると思うし。合宿レポというよりかは、私個人が送ってきた半生の総括のような文章となってしまうが、お付き合いいただければ幸いである。


「外山合宿」とは?

 合宿自体の詳しい説明は、先人たちのレポートに譲ることにするので、合宿における学びや暮らし(講義のスタイルとか、アメニティとか、銭湯の値段とか)についての具体的な説明については下記のようなレポートを参照されたい。

同期のレポートs

講義について詳しい:

34期の生活について詳しい:

合宿の大枠

 ファシストであり、九州ファシスト党〈我々団〉総統である外山恒一氏※1が主催し、10日間あまり福岡某所の外山邸にてカンヅメになり「教養」を詰め込まれるのが「教養強化合宿」、通称「外山合宿」である。…….ここまで見ればいかにもアヤシイ合宿であるのだが、実態は新左翼運動史を中心に(本当に中心。講義のほとんどがこれ)、世界史やら現代思想やら演劇、映画やらの文化史、果ては戦後~90年代までの日本の音楽シーン史など「「知識」」(not思想)を教えられる合宿である。あと映画や演劇を見たり音楽聞いたりもする。THE TIMERSが好きになった。

合宿OPが口をそろえて言う「知識の埋め込みだけで外山氏自身の思想を押し付けることはない」というのもそういうことだと思う。
思想の詰め込みではなく、固有名詞の詰め込みに終始し、知識の詰め込みのみが行われ、外山氏が思想を押し付けることはない。外山氏自身が「教養=固有名詞をいくら知っているか」という考えだからこそ、初日に行われる「教養チェック問題」はどれも人名なのである。

第28回「教養強化合宿」レポート さみしげな大学生の半日常
https://note.com/seisei312hanryo/n/n674c096ebd51#b82626f1-6ce3-4cef-9ce0-c2412a7b1833

以上の引用の通り、ただひたすら知識(あるいは歴史)を詰め込まれるだけである。私がヤバい思想に染まって帰ってくると思っていた友人にあたってはどうか安心してほしい

外山邸に掲げられている我々団の旗。やはりヤバそう。

「人生の一時停止」

 そして、外山合宿の「アジ」として外山氏の講義に並ぶものとして、10日間に及ぶ十数人の合宿参加メンバーとの共同生活がある。「『ファシスト』主催の合宿」なんてアブナイものに申し込んで、しかも10日間も滞在する気で来ている、ある意味「同質的」なメンツなので、当然仲良くなってダベったり、みんなで公園に行って木登りしたり(メンバーに「木登」ガチ勢の人がいた。気になる人は「アマチュア木登研究所」のツイッターをチェックしよう→@nobonobotrtr)路上観察(@nms_Rojology)したりするわけだが、

私が思う、「外山合宿での生活」の本質はそこではない。
 この10日間、参加者はいわば「人生の一時停止ボタン」を押すことになるのだ。それまでの人間関係や責任から遊離し(私は未だに「現実」に帰りきれていない)、「外山邸」というそれまでの人生とは隔絶された場所が参加者にとってのすべてになる。それまで自分とは不可分だったもの、自分にとって自明だったものが、必ずしもそうではないことに気づく。そして、本来の人生を一時停止している間、外山氏の講義や、同期、OBOGらとの交流を通して、その10日間は(人為的にではなく自然に)パッケージ化された「外山合宿的な」人生を代わりに送ることになる。この「人生の一時停止」経験はその後再生された人生の進路を変えうるものであるし、後述のように、私にとっては実際そうだった。

外山邸に貼った宣伝ビラ

※1 肩書きについては下記より引用。

主体性の物語としての新左翼運動史

 さて、前置きが長くなってしまったが、ここから「なぜ新左翼運動史を学んで宗教をやめたのか」という本題に入ろうと思う。ここからは、合宿中から最終日、そして帰郷後を順に追っていく。

新左翼運動史

 先にも述べたように、外山合宿の講義のメインは新左翼運動史である。3日目から7日目まで、立花隆氏の『中核vs革マル』という本の上巻を読んでいた。「〇〇年に□□大学で△△事件が起きA派がB派とC派に分かれた」「そして◯年後にB派がX派とY派に分かれて、X派の代表誰々誰々はこういうことをした」ということを数日間延々と聞くことになる。とにかく新左翼はちょっとした(というと失礼だが)きっかけですぐに分裂するのである。あとすぐ内ゲバを起こして殺し合う。特に中◯派と革◯派と解◯派。はっきり言ってほとんどの合宿生はこの延々と続く新左翼運動史の講義にどこか辟易することであろう。今や、講義で紹介される「◯◯派」みたいなのの大半は往年のようには活動しておらず「終わった」(ように思える)話に思えるからだ(実際ここまで新左翼運動史を徹底的にやる意味は後々ちゃんとわかるので、参加者はお楽しみに)。

 「歴史は結局『ナラティブ(物語)』であり、どのように解釈するかこそが『歴史学』である」。結局、同じ「歴史」それを見る者の解釈によってその姿をいかようにも変える。アメリカ史を研究している私の指導教員の決まり文句だ。そしてそれは「新左翼運動史」という「歴史」にも当てはまる。意義をいまいちつかめないまま新左翼運動史を学んで数日たったころ、私の頭におぼろげながらイメージが浮かんできた。「主体性の物語」としての新左翼運動史。私はこの歴史をそう解釈した(無論外山氏には外山氏なりの解釈はあるだろうが)。登場人物たちは皆、革命を起こしより良い社会を築くために学生運動に身を投じる。ある者は既存の団体に入り、またある者は新しい団体を立ち上げる。そして、自分が身を置く団体の方向性と自らのそれに齟齬が生じるや否や、分派を作り元の団体と袂を分かつ。そこにあるのは、「何らかの目的を持って団体に属し、その団体において目的が果たされないと思えば脱退する」という、「主体的に所属団体を選んでいく」運動家たちの姿だ。実際のところ、彼らには彼らなりのしがらみはあったのだろうが、それは関係ない。この際、現実はどうあれ私にとってそれが「主体性の物語」に映ったことが重要なのだ。翻って私はどうだろうか。人生を「一時停止」して、普段の自分とは距離的にも精神的にも限りなく離れた外山邸で自分を客観視した。大して信仰を抱いていない宗教を惰性で続けている、合宿に来る前の自分の姿が見えた。

部屋と宗教と私

 ここにきて初めて説明するが、実は私、十数年間ある宗教団体に所属していた。手かざし系で、漢字に山冠がつくやつだ。子どもの時分、母親に誘われてそのままズルズルと続けていた(別に大金取られるとかではないゆるめの団体なのだが)。そこにおいて、これまで私は「優等生」だったのだろう。行事には概ね参加し、行事運営などの無償奉仕活動にもよく出向いていた。青年部組織でも出世していき、幹部として中間管理職的なこともしていた。私は内心、まさにオーウェルの言うところの「二重思考」状態だった。教義は信じるべき時ーー礼拝する時、他の信者と離す時、信者の子供を青年部組織にリクルートする時ーーは信じていたし、そうでない時は信じていなかった。信仰があったのかはよくわからない。「あった」と言えば嘘になるし、「なかった」と言っても嘘になる気がする。ただ、この「二重思考」が孕む矛盾には、あえて目を向けまいとしていた。
 しかし、行事での奉仕活動のために、ほぼ毎週土曜日か日曜日のどちらかは朝8時から夜6時頃まで出ずっぱりになること、中間管理職として、教団幹部やら上司やら地域の「顔役」やらと部下の間で板挟みになりつづけていることへの疑問は心のどこかにはあった(金は取られないがその代わり時間を取られる団体なのだ)。救いを求めて入るはずの宗教でなぜ苦しまなければならないのか?この団体へのコミットメントは人生の多大なる無駄ではないのか?(給料も出ないのに!)だが辞めると言えば何を言われるかわからないし、親の立場も悪くなるだろうし、自分の部署はどうなるのか。だから、辞めようと思わないように「二重思考」を続け、矛盾から目を背けてきた。

 そんな時に私の目前に飛び込んできたのが「主体性の物語」としての新左翼運動史である。彼らは「躊躇なく」(私がそう感じたことが重要なのだ)所属団体を抜け、元いた団体とバチバチの抗争を繰り広げる。自分の思想が変われば大っぴらに「転向」する。(当然といえば当然のことではあるが)「団体には属したいから属す」「居たくない団体には居ない」という主体性がそこにはあった。遠く離れた福岡の地で、数日間その物語を聞き続けていたことで、その物語は内面化され、自分の所属についても考えざるを得なくなった。無自覚に使い分けてきた「宗教内の自分」「宗教外の自分」という2つのペルソナの存在に気づき、もはや前者の仮面を被ることができなくなった。

男に二言はない

転機

 そしてある日の講義終了後、夕食の席で私は「宗教やめようかな」と同期に相談をもちかけた。それまで、他人に宗教のことを話したことはほとんど一切なかった。世間における宗教への風当たりを了得していたことももちろん理由であるが、何よりも自分の「二重思考」を崩すきっかけを与えたくなかったからだ。しかし、合宿メンバーと外山氏には話しても大丈夫なような気がした。様々な人間が集まる外山合宿は、自分の出自や身分について、開示してはならない「聖域」はないように思えた。皆、相談を聞いてくれた。初めて自分の宗教について部外者に話した(宗教マニアで私の宗教の本部にも訪問したことがある人がいてアレコレ聞いてくれた)。話す過程で、初めて自分の宗教を批判的に考えた。もう「二重思考」はできなくなった。なお外山氏には「辞めたいんだったら辞めるしかないよね」という至極当然のアドバイスをいただいた。そらそう。

「帰ったら宗教をやめます!」

 「帰ったら宗教をやめます!」そう宣言した合宿9日目の夜。この日の夜はOBOG、外山界隈の人々を加えて交流会が開かれる。その席の自己紹介で、私はそう宣言した。(ウケるかなと思ったのもあったが)20数人の前で宣言してしまえば、もう抜けるほかなくなるという算段だった。何分他人に宗教について話すことが新鮮で、一生宗教について話しているbotと化していた気がする(ごめんなさい)。

外山邸に貼った決意表明

 ともかく、宗教やめます宣言をして、その翌日帰路についた。ちなみに親不孝通でたまたま見かけて買ったCBPを使ったら思ったより効いて夜行バスステーションでカウチロックかましてしまったりしている(もうやらない)。

だから僕は宗教をやめた

 そんでもって大阪に帰ってきた。すると母親がいて、どうやらもうすぐ宗教施設に出かけるようで、その支度をしていた。ここで打ち明けなければ決心が鈍ると思い、上着のボタンを留めていた母親に「宗教やめたい」と告げた。「困ったな」と言われた。そりゃ顔も知られていて仕事も任されている息子が突然辞めるとなると、母親の自分だって立場が悪くはなるだろう。「あの世で後悔するよ」とも言われた。だが、だからといってもう「やっぱ続けます」とは言えない。昨日宣言してしまった以上、もう退路はなかった。宗教アンチの祖母が「辞めれるか辞めれないか、これが人生の区切りの一つだよ」と背中を押してくれたのもありがたかった。
 その翌日、施設にて青年部組織の上司、幹部と私で話をした(前日に上司より電話口で熾烈な引き止めに合ってビビっていたので同期に応援してもらった。ありがとうございます)。到着後、いつものように御神体に拝みはしたものの、もうそこに神聖さは感じられなかった。「ここで辞めるのはもったいない」「ここで辞めたら逃げ癖がつく」と散々引き止められたが、「信じていない宗教に属していたくない」と「主体性の物語」を訴えて意志を貫いた。
 そして僕は宗教をやめた(実はまだ書類出す段階があり正式に辞めれてはないんですがそこは御愛嬌)。

外山合宿に行こう

 後半は完全に自分語りとなってしまったが、ともかく伝えたいのは外山合宿に行こうということである。宗教でもブラックバイトでもブラック部活でもフレネミーでも毒親でもいいが、離れたくても離れられないものがある人はぜひ行ってみてほしい。世界のどこをあたってもここでしか聞けない「主体性の物語」があなたを待っている(残念ながら次回35期の開催は結構先になるようだが)。あと外山合宿で洗濯機の使い方も学び、生活無能力者を一歩脱することができた。

おまけ 外山合宿に行く前に聞いておきたかったアドバイス集

ここからは、合宿参加者への個人的なアドバイスを今思いつく限り列挙しようと思う。これが全てではないので、他のレポートも参照すること。

・帰る前に服の忘れ物がないか確認しろ!!!!(1敗)
・洗濯機はちゃんと使えるのでそんなに服持っていかなくていい(2,3日分あれば耐える)
・ドライヤーやタオルなどアメニティは充実している
・コンビニやホームセンター、ドラッグストア等は徒歩圏内にある(山奥の秘境の地と勝手に思っていた)。
・スーツケースでも行けるが荷物置き場が狭く取り出しにくいと思うのでカバンかリュックの方が良いと思う。
・全てが狭い(当然)。狭さに適応できる服・持ち物等の準備をしよう。
・講義中はずっと地べたに座ることになる。折りたたみ椅子(何個かはあるが足りない)を持って行くべし。
・ノートはPCやらタブレットで取っても大丈夫だが、何分狭いので紙の方が取り回しやすい(あと雰囲気が出る)。
・服装は本当に自由。講義中帽子被っててもいい(髪セットしない代わりに帽子被りたい人も安心)。

とりあえずは以上。他思いついたら足すかもしれない。


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