Using again

あんなに厳しかった父親が
優しくなって、帰り車で送ってくれた時に
降りる時、少し寂しそうな顔をしてたこと

初めて恋をした女の子が生まれた街や
見たくもなかった自分が生きてきた駅を
電車が通り過ぎても苦しくなくなったこと

中学の時、いじめてたあいつが
高校になってなぜか改心して偶然出会って
握手をしたコンビニ

引き伸ばした夜、家に帰りたくなくて
酒を飲みながら小樽から乗車した
札幌行きの終電

逃げるように東京に来て、逃げるようにぶつけるように歌っていた夜では
きっと見えなかった、感じようとも思わなかった「ふるさと」が少しずつ温度を伴って、目に映る。

札幌三日間という強行ライブが終わり

蓋を開けてみたらたくさんの人たちと音楽を通して会話ができたことがとても嬉しかった。

そして、ミュージシャンとして、そうなんだ、
僕は音楽を通してしか、人と会話できなくなっていた、という健康的で破滅的な欠損に気付いたりする。

ふるさとはずっと嫌いだった。思い出すから。痛くなるから。

普段ならすぐ高円寺に戻るんだけれど、そんなふるさとにら今回は少しゆっくりとライブが終わってもゆっくりいる予定がある。

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六年前、音楽を始めたこと、誰にも言わないで持ち始めたギターや、数冊の詩のノートや、二人しか来なかった最初のワンマンライブや。

グッナイ小形としての始まりは、もはや人間としては齢二十四を数えていて、若いとはいえ人間的にはある程度の成熟を果たしているはずの中で、それをすべてかなぐり捨てるような人間性の放棄と現実の逃避、そして夢とも言えないまほろばへの夢想から始まった気がする。

毎日歌うこと、作ること、伝えること、それが全てで、僕の発する信号で、不完全なりに完全になろうとする微かな電波の集積が、東京での壊れかけたハイペースの活動に繋がった。

「病気」「走れ、月」
こんな僕の曲のベースにあるのは
寂しくて足りなくて、自分なりに取り憑かれたように歌に費やした、現実のわだかまりの結果かもしれない。

忘れられることが怖かった。
認めてもらえないことが辛かった。
証がないことがなによりも惨めだった。

お金がない生活など別にきっと苦ではない
寒い部屋で寝ることだって
お腹が空くことだって、なにも辛くない。

グッナイ小形という歌を通して、誰にも会えないこと、君がいないことがあの時期は、ただただ寂しかったんだと思う。

一度踏みきったアクセルは、何度かの座礁を経ても、車輪をさらに回して、加速しか許されない制約に乗りながら、中央線の果てまで向かって走り出す。

そんな中央線が、あの娘の胸に突き刺され、とおそらく本気で思っていたし、思っている。

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今年に入ってからは大きな何とも言えぬ不安の中、色々なことを思案しながら、心と身体、夢と現実の中で、試行錯誤をしていった10ヶ月でした。

久しぶりに来たふるさとに立ちながら
多くを思い出す。
出会ってくれた人々のことを考える。

悲しいから歌うのではなく
苦しいから生きるのではなく
働くために生きるのではなく

ずっと前から知っていたのかもしれないし
ずっと前からわかっていたのかもしれないし

僕らはもう許されてるし、愛されている。
許されていたし、愛されていた。ずっと。

生きるために歌いたいし、
誰かが生きるための歌であってほしい。

おそらくなにも変わらないのだろうけれど
ゆっくりと人間を取り戻していきたい。

忘れてきたものを忘れないように。
変わらないことも変わらないように。

それは変わらず後悔や過去との
対話だったり格闘だったり
そういうもののきっかけかもしれないけれど
暮らしや日々の少しずつが
それらから芽が出て根を張ってできた今に
正当や希望さえ感じる。

もう、投げつけるような、逃げるような、そんな音楽でなくて良いのだと思う。

そして、そんな不安定で
辞めれない止まらない
音楽があってくれて、よかった。

だからこそ、12月くらいからは
振り切ったアクセルを
少しだけ勇気を持って、緩めながら
活動していけたら、と思ってます。

そうやって教えてくれたたくさんの愛や日々のでこぼこ、きっちり全部抱きしめはできないのだろうけれど、うまくいえないけれど、
もっと溺れて愛していきながら、その体温を歌を作りたい。

あいつまたやってるよ。

それこそ日々と暮らしに音楽があったことだった。


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