グッナイ小形

グッナイ小形

最近の記事

とても晴れた月曜日

気がついたら10月くらいから更新していなかった。 嘘だ、一月くらいに書いたんだけど やっぱりちょっと消したんだ。 知らない間に冬になってたりした。 何があったっけ、いろんなことがあった。 一月に6キロ太った身体は順調にちょっと減った。 2月から新しい仕事になって、身体がバキバキになって、もう22:30とかには眠くなってしまう。 息子は9ヶ月で11kg超という規格外のデブさを発揮していて、よく笑うようになった。 この前首が座ったばかりなのに、もうハイハイが始まって、もう

    • 夢の島で暮らしてる

      仕事が終わって。 帰ったら奥さんと息子が寝ていた。 先に寝るねと奥さんが言って部屋に戻って 息子が見たことない寝相をして寝ている。 残ってた、いいちこを水で割って飲んだ。 炭酸水はもうなかった。 あまりにもすごい寝相をしていたので 時々鼻元に手をかざして、息をしてるか確認した。 そよ風みたいな息が手に触れて安心する。 ずっと更新できてなかったホームページが なんとか手動で更新できそうなので一つ一つ打って更新した。一人一人の名前を打ちながら、こんなたくさんの人と

      • 元気を出せって言ってるじゃないか

        コロナ禍って打ったら、コロナ禍って予測変換で出てきた。 すごいな一つの言葉になってしまった。 何が禍だ。 僕らは生きてたぞ。 高橋のりえちゃんと久しぶりの再会。 積もる話しかないのに、他愛もない会話ばかりした。でも嬉しい。 二、三年ぶりとかに会ったんだけれど、 それでもお互いの様子は、SNSなんかあまりこうしんしなく更新しなくても。 なんかお互いの感じでわかってた。 日々はわりと目次を眺めてるようで、 思い返したり夢想したりするし、 困ったことに30を過ぎてしまって

        • もう幸せになっていいと思うんだ

          身体中が煮詰まってる。 煮詰まって、沸騰してる。 暮らしに、一人増えた。 三ヶ月の里帰り出産期間を終えて 奥さんも帰ってきた。 食べて、寝て、泣いて、ちょっと動いて 笑ったり困ったりする。 小さな身体でたったそれだけなんだ。 それだけの小さな優しさが 大好きで、心配で、祈る。 僕たちはもうそのために愛しさのために 未来を考えて、暮らしに向き合って、 ちょっとだけでもって、もがいていく。 一日ずつ歩いて行くと 息子の顔を見ていると 毎日変わっていく顔や仕草や声に。 一

        とても晴れた月曜日

          いつまでも続くとばかり

          北海道にいる。 とても寒かったり、暑かったり、何日か過ごした。 一ヶ月ぶりの奥さんは もう妊娠37週。 大きくなったお腹で少し緊張しながら会った。 いま動いたよって言われて、触ってみるけどなかなか僕が触れた時は動いてくれなかったりする。 手を離した瞬間に、ビクビクと動いたりして 彼女と子供しか知らない言葉で 話してみるみたいで、ちょっと寂しかったりした。 歌も歌わず、何もしない日々を何日か過ごしていながら、これからのことやいままでのことを考えたりした。うまく言葉にで

          いつまでも続くとばかり

          わたしたちへ

          ちょうど一年くらい前に 高円寺にあったケンタッキーが無くなった。 閉店したとき、僕は向かいの京樽の前で で座って歌ってて。 スタッフの人たちが最後の挨拶を店内でしているのを見た。 ほどなくして、工事が始まって、高円寺高架下の建物は東側がバァーってなくなって いまも続いている。 工事現場になったケンタッキーを見つめながら この一年歌ってきたんだけれど とうとう西側のマクドナルドも無くなってしまうみたい。 ワンタン屋さんも理容室も三月に無くなっちゃうみたい。 反対側に

          わたしたちへ

          遠吠え

          親友に子供が産まれた。今日。 自分のことのようにやっぱり嬉しいんだ。 その人はたぶん人生で一番恥ずかしい時間を 人生で一番時間のある時に 人生で一番過ごしたひとだ。 電話してくりゃいいのに、たぶん照れくさいんだろうから、ときどき「おがたー」と、だけLINEを入れてくれる、そして僕が電話する。 明後日産まれるんだー、ってこの前教えてくれた。 奥さんも知り合いでその人の結婚式は、とても素晴らしくて、泥酔して次の日、友達に三万借りて北海道から帰ってきたことがある。 あま

          Using again

          あんなに厳しかった父親が 優しくなって、帰り車で送ってくれた時に 降りる時、少し寂しそうな顔をしてたこと 初めて恋をした女の子が生まれた街や 見たくもなかった自分が生きてきた駅を 電車が通り過ぎても苦しくなくなったこと 中学の時、いじめてたあいつが 高校になってなぜか改心して偶然出会って 握手をしたコンビニ 引き伸ばした夜、家に帰りたくなくて 酒を飲みながら小樽から乗車した 札幌行きの終電 逃げるように東京に来て、逃げるようにぶつけるように歌っていた夜では きっと見え

          きみは、ぼくの東京だった

          2017年12月31日 東京でのはじめての大晦日。 10ヶ月働いた初めての就職先での僕は、もう社内で干されてる程度には、終わってた。 給料日が来たら、前月からの払えなかったノルマを一気にライブハウスに振り込めばギリギリ家賃が払えるかどうか、毎月四苦八苦の暮らし。 コロナ禍の高円寺も大概騒々しいけれど、その5倍くらい人々が歩いて、絡まれて、失望して、お酒を飲んで。 毎日路上をして、毎日生きて、毎日恋をして、毎日夢見てた。 僕の家は、電気とガスと水道が全て止まって、廃

          きみは、ぼくの東京だった

          無職の隘路

          大学生の頃、音楽なんてやる遠く前。 某企業の就活インターンかなんかで 「新しい大学を考えよ」みたいなプレゼンがあって、「校舎をなくして街を全部大学にしたらいい」みたいなことを発表したことがある。 その反面 「書を捨てて街に出よ」 こんな言葉に若い頃は、なんて無責任で若者を舐めた言い方なんだ、って思ったこともある。 街に出るということは、街で生きるということで。社会に出るということは、世界で生きるということで。 そんなことわかったのなんて、実感したのなんて恥ずかしなが

          無職の隘路

          高円寺狂騒曲

          2022/5/25 高円寺駅を出る。 北口に向かって左に向かうとマクドナルドがあって、その裏の高架下。 そこが僕の住処で、生活の真ん中。 2017年2月、この街に降りて、初めて息をした。 鋭い人間の生気が生々しく肌に刺さる、東京。 田舎から出てきたばかりの僕は、それ自体がサーカスみたいな、騒々しい歌に聞こえた。 初めて道に立って、歌を歌ったとき。 隣には知り合ったばかりのヤハタトシキが居て 薬屋の前で、交互に歌いあった。 「いいねえ」なんて言い合いながら。 それから出

          高円寺狂騒曲