無職の隘路
大学生の頃、音楽なんてやる遠く前。
某企業の就活インターンかなんかで
「新しい大学を考えよ」みたいなプレゼンがあって、「校舎をなくして街を全部大学にしたらいい」みたいなことを発表したことがある。
その反面
「書を捨てて街に出よ」
こんな言葉に若い頃は、なんて無責任で若者を舐めた言い方なんだ、って思ったこともある。
街に出るということは、街で生きるということで。社会に出るということは、世界で生きるということで。
そんなことわかったのなんて、実感したのなんて恥ずかしながらごく最近のことだし、自分が全てだってきっとまだどこかで思っている気がする。
ギターの弦を変えながら腹に刺さる弦が妙に象徴的で、臆病になったりする。
今月の初めに、アルバイトをギブアップしてから、非常に陰鬱した生活を送っていて(自己責任)
、どうしようかどうしようかと考えていたのです。
「小形さんはずっと路上で歌ってて欲しいです!それがかっこいい!」
と若者が純粋な眼差しで真っ直ぐと言ってくれるようなあの新しい感動に引き換え、肉体と精神は、歌に耐えきれずに軋むように暮らしの中に落ちていく。
いっそ歌で食っていきます!って言おうかと思ったのだけれど、そういう時だけ収益は十分にあって、それでも何か一抹の違和感が残った気持ちの狭間で、なんにも応答してくれない求人サイトを毎日眺めていた。
歳をとるにつれてこんな飲食でしかほとんど仕事してない夢見がちなフォークシンガーは相手にもされず、残酷な朝を迎えては夜に往く日々でした。
そんな中、今日いいご縁でなんとか、当てが見つかったて、とてつもなく幸せになった。
ああ!世界!ありがとう!
という気持ち。
帰ったら一週間悩んでたバンドの歌詞がすぐにできた。
プロとして変なのかな。音楽で、と言った方が良かったかな。格好わるいかな、とも思ったりするのだけれど。
のうじょうりえがいつか小形がどうして売れないみたいな話をしてた時に「小形は周りの人を幸せにしてあげたいって思う人間なんだ」って言ってくれたことを思い出して、とても救われます。
その円周を出来るだけ広くすることが、たぶん日々の中で僕にとっては力になるはずだなと改めて思って眠る。
書も大事だ。街も大事だ。
書を捨てて、街に出た人たちがたくさんいるのが高円寺なのかもしれないね、この街が好きで良かった。
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