高円寺狂騒曲

2022/5/25

高円寺駅を出る。
北口に向かって左に向かうとマクドナルドがあって、その裏の高架下。
そこが僕の住処で、生活の真ん中。

2017年2月、この街に降りて、初めて息をした。
鋭い人間の生気が生々しく肌に刺さる、東京。
田舎から出てきたばかりの僕は、それ自体がサーカスみたいな、騒々しい歌に聞こえた。

初めて道に立って、歌を歌ったとき。
隣には知り合ったばかりのヤハタトシキが居て
薬屋の前で、交互に歌いあった。
「いいねえ」なんて言い合いながら。

それから出来るだけ毎日歌ってきたと思う。
どうしてそういう選択をしたんだろう、と思うしなんで路上を選んだのかもわからないし。
とにかく何かを絶やしたくなかった。東京の火。
自分だけでもいいから、どうにか証明したかったんだと思う。

初めて声をかけてくれた人は、高円寺になぜかずっといる刺青のおじさん。夜にそのまま、飲み屋に連れて行ってくれて、金がないから貸してくれとせがまれた。なぜか家に着いてきて、山積みの段ボールの隙間で二人で眠った。次の日は日曜の朝なのに、朝に起こされて「歌いに行くぞ!」と言われて、駅に連れていかれて歌った。おじさんはどこかから取ってきたビールを飲みながら、僕の歌を聞かず、すれ違う人たちにずっと罵声を浴びせていた。

たくさんの夜に救われてきた、支えられてきた。そして、幾度となく辞めようと思った。

続けてた、というよりも続いてきた。
五年もの間、惰性と暮らしと義務と情熱の、都合のよろしい隙間の中で。
少なからず人生や日々の帰路に立った時に、真っ先に辞めようと思うことだし、一番守ろうと思うものだった。

騒々しくて、狂っていて、自分勝手にそれぞれが命が自立して交錯している街。
たくさん寄り付いて、たくさん離れていく街。
優しさなんかないのに、許された気持ちになる街。

高円寺はいつだって。

最近は、路上ミュージシャンも増えた。
警察も随分とうるさくなった。よく通報もされるようになった。
長い工事が始まって、新しい改札ができる話も聞いた。

「高円寺はいつか卒業しなければいけない街だ」
そんな記事に出させてもらったことがある。

この街も、どんどん綺麗になるんだろうな。
過ごしやすくて、スタバができて、若者が集まって。生きづらく生きやすい街になるのかもしれない。

胸がキュッとなる。
何も決まっていないのに。
いつまでもここにはいられないね、って思う反面、いつまでもここにいてほしい、ってちゃんと思われていたいんだろう。

友部正人の歌詞を借りれば、
僕は君を探しにきたんだ。

生活に鼓動のように巡っている、この街で生きること、歌うこと。思い出になってはいけないと思うし、思い出にしなければいけない気もする。

たくさんの人に会いに行きたい。
いろんなところに行っていろんなことを聞きたい。その人のことや暮らし。
まだまだ歳を取ってもやりたいことがたくさんある。
薄くなる頭皮にビクビクしながら、一緒に歳を取りたい。
東京に出来るだけしがみつきながら、しっかりとよかったって言い合えるように、歳を取りたいのだ。

きっと、どんなに綺麗に整った街になっても、高円寺は、なんにも変わらないんだと思う。わがままで、まるだしで、少しほくそ笑みながら、座っててほしい。

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