ナスビの学校

子どもたちが「生きる方法」をできるだけたくさん学んで巣立っていく。そして,その学校を巣…

ナスビの学校

子どもたちが「生きる方法」をできるだけたくさん学んで巣立っていく。そして,その学校を巣立った子どもたちが,誰にも操作されず,自分の人生を自分で歩んでいける。そんな学校をつくりたい。 そんな学校を「ナスビの学校」と呼びたい。

最近の記事

#77_「学習観」が変容する学び

社会科で自由進度学習を進めています。 単元の導入段階で、子どもたちに「ゴール」を伝えます。「知識・技能」に関するゴールと、「思考・判断・表現」に関するゴール、この2つを設定することが多いです。 たとえば、中学校の地理的分野だと、こんなふうに。 ゴールを示したあとは、子どもたちが計画を立てます。たとえば、こんなふうに。 3時間構成であれば、3時間分の計画を一気に立てます。もちろん、計画は変更されることもあります。 子どもたちは、それぞれ、自分が立てた計画にそって学習を

    • #76_探究のフィードバック

      探究する子どもたちのなかに、教師のところへフィードバックをとりにいかない子どもたちがいます。 何を言われるかわからず、こわいから。 わかります。「いいね」「すごいね」ばかりを言われても、探究は前に進みません。でも、「何を言われるかわからないこわさ」がフィードバック獲得行動を抑制してしまっていることを、教師は重く受け止めなければなりません。どうすれば、その「こわさ」を軽減することができるでしょうか? 私の探究に、他人のアイデアを入れると、私のオリジナルではなくなるから。

      • #75_サッカーをつくる「ことば」

        サッカーをつくる「ことば」をつくっています。 息子がサッカーをしています。毎週末、サッカーの練習や練習試合、公式試合があります。朝から夕方まで、サッカーグラウンドにいることもしばしば。とても楽しい時間を過ごさせてもらっています。 私は応援するばかりですが、妻は息子の食事をつくり、持ち物をチェックし、いろんなトラブルに備えた準備を、いつも万端に整えています。頭が下がります。 そんな妻から、あるとき、ふと、言われたことがありました。正確に再現することはできませんが、おおよそ

        • #74_お風呂場談義

          お父さんは、どうして、先生になったの? 今日も、息子とお風呂に入りました。この問いが出てくるまでに、いろんな話をしていました。きっかけは「僕はお父さんと同じ学校には通えないの?」という質問でした。そこからいろいろと話題が発展し、この問いに行き着きました。 お父さんは、どうして、先生になったの? しばらく考え込んでしまいました。そんなこと、ここしばらく、考えたこともなかったし、これまで自分のなかにどんな「答え」を用意していたのかすら忘れていたようだったからです。 こんな

        #77_「学習観」が変容する学び

          「聞く」という行為は、話し相手が「聞いてもらえたなあ」という感覚をもってはじめて成立する。

          「聞く」という行為は、話し相手が「聞いてもらえたなあ」という感覚をもってはじめて成立する。

          民主主義を実践するときのサイズ(規模)は大事だ。あまりにもサイズが大きいと、実践の難易度が上がる。まずは手の届く、目の届くサイズで実践を始めてみることだ。

          民主主義を実践するときのサイズ(規模)は大事だ。あまりにもサイズが大きいと、実践の難易度が上がる。まずは手の届く、目の届くサイズで実践を始めてみることだ。

          「自分のなかに異質な他者を住まわせる技術」があると、他者と対峙したとき、落ち着いて自分を保つことができるようになる。それは「他者と共生する作法」であり、「他者とともに新たな発見を生成していく技法」であるのだと思う。

          「自分のなかに異質な他者を住まわせる技術」があると、他者と対峙したとき、落ち着いて自分を保つことができるようになる。それは「他者と共生する作法」であり、「他者とともに新たな発見を生成していく技法」であるのだと思う。

          #73_「純度100%」の自分の考えはない

          「これって、どうすればいいですか?」 生徒が先生に相談する。 「ああ、それなら、こんなアイデアはどうかな?」 先生が生徒に答える。 「なるほど、ありがとうございます!」 生徒が先生のもとを去る。 ひとりになった生徒は考える。 「確かに、先生が言ったアイデアはおもしろいし、自分もやってみようと思う。だけど、なんか、引っかかる。何かが、引っかかる。この、引っかかっているものは、いったい、何なのだ?」 ひとりになっている生徒は考える。 「でもさ、これってさ、私の考えじゃない

          #73_「純度100%」の自分の考えはない

          学校を変えるための公式=なんじゃこりゃあという違和感✖️何でも言っていいんだという安心感✖️一緒にやってみようという共犯感

          学校を変えるための公式=なんじゃこりゃあという違和感✖️何でも言っていいんだという安心感✖️一緒にやってみようという共犯感

          https://note.com/gengen1026/n/na924991c3c73 子どもたちの行動変容を直接的に目指そうとするのではなく、まずは教師自身が自分の行動変容を目指すんだという思想としてSWPBSがある。意外とその部分の語りに分厚さがないというのが「SWPBSをやりませんか?」と提案される現場側の実感。

          https://note.com/gengen1026/n/na924991c3c73 子どもたちの行動変容を直接的に目指そうとするのではなく、まずは教師自身が自分の行動変容を目指すんだという思想としてSWPBSがある。意外とその部分の語りに分厚さがないというのが「SWPBSをやりませんか?」と提案される現場側の実感。

          学校の外側で、教科の外側で実践されている探究=中核、学校の内側で、教科の内側で実践されている探究=周縁。中核から周縁へ。中核にこそ、本質がある。

          学校の外側で、教科の外側で実践されている探究=中核、学校の内側で、教科の内側で実践されている探究=周縁。中核から周縁へ。中核にこそ、本質がある。

          「探究」と「相談」はどんな関係にあるのか?どんな関係をとるのがいいのか?「フィードバック」では語りきれない部分を掬ってくれるのが「相談」という概念かもしれない。

          「探究」と「相談」はどんな関係にあるのか?どんな関係をとるのがいいのか?「フィードバック」では語りきれない部分を掬ってくれるのが「相談」という概念かもしれない。

          「中核と周縁の逆転」がブーム。教科の授業=中核、総合=周縁というイメージは現場に根強い。これを逆転させる。総合の研究を通して明らかにされる知見が、教科の実践に役立つ。そんなふうに発想すると、総合がよりおもしろく感じられてくる。

          「中核と周縁の逆転」がブーム。教科の授業=中核、総合=周縁というイメージは現場に根強い。これを逆転させる。総合の研究を通して明らかにされる知見が、教科の実践に役立つ。そんなふうに発想すると、総合がよりおもしろく感じられてくる。

          探究を推奨する人たちは「変化」や「成長」を求め、期待する。それはとても大事だし、私もコミットする。ただ、その前提として「探究する空間にいたい/いられる/いていい/いてほしいと思われている」みたいな手触り感が保障されることが大事なのではないだろうか。

          探究を推奨する人たちは「変化」や「成長」を求め、期待する。それはとても大事だし、私もコミットする。ただ、その前提として「探究する空間にいたい/いられる/いていい/いてほしいと思われている」みたいな手触り感が保障されることが大事なのではないだろうか。

          探究することが「居場所」になる。探究しているあいだは自分らしく「いる」ことができる。探究がうまくいくかどうかは、そこではあんまり大事じゃない。探究していると、もちろん大変だけど、自分がケアされていく実感が到来するように感じる。そんな「探究」と「人間像」の関係を論じられたらいい。

          探究することが「居場所」になる。探究しているあいだは自分らしく「いる」ことができる。探究がうまくいくかどうかは、そこではあんまり大事じゃない。探究していると、もちろん大変だけど、自分がケアされていく実感が到来するように感じる。そんな「探究」と「人間像」の関係を論じられたらいい。

          「探究が好きな子ども」「探究したいけど方法がよくわからない子ども」「探究に何の興味も持っていない子ども」「探究とかやりたくないしと思っている子ども」いろんな人間像が前提として浮かび上がってくる。そのなかでフォーカスしたいのは「探究を必要としている子ども」だ。

          「探究が好きな子ども」「探究したいけど方法がよくわからない子ども」「探究に何の興味も持っていない子ども」「探究とかやりたくないしと思っている子ども」いろんな人間像が前提として浮かび上がってくる。そのなかでフォーカスしたいのは「探究を必要としている子ども」だ。