見出し画像

折り合い

大人になるということは、
ある程度のことを我慢できる様になること。
あるいは、自分の感情を制御できる様になること
を指すのであろうか。
所謂、人間として成熟した過程
での大人なのであろうか。
何をもって成熟とするのかも定かではないが、
自分が成熟途中であることは確かだ。
流石に15歳の自分と現在の自分が同じ精神だとは
思わないが、根底の部分は変わっていないと思う。
15歳から音楽が好きなことも、
理想とする人間像も相変わらずだ。

ただしかし、この世界で生きていくにつれ
身の回りや自分のアイデンティティに疑問を抱き、真理に触れてしまったとき。
今までのうのうと生きてきた自分が
恐くて堪らなくなった。
この世に産み落としてくれた親でさえも、
自分とは違う考えを持った人間であり
言ってしまえば自分以外の何者でもない、
他人である。
その事実を知ってしまった時、
途方もない、孤独を感じるのだ。
一生互いを理解出来ぬまま、
この世を去ってゆくのだろう。
そう思うと心の奥底がキリキリ痛んでくる。
この人生を歩んでゆく上で、
何処かで必ず衝突してしまうのだ。

この頃思うことがあるが、
世の中の真理を知れば知る程
何かを失うことに気がついた。
当然、無知であることも哀しいが、
知らないことが多い方が
何事も楽に生きられるのではないかと思う。
他人の気持ちを理解しようと必死だった
過去の自分も結局は何も理解出来なかった。
ただ、理解しようとしただけに過ぎなかった。
人間誰しも、結局自分のことは
自分しか分からない。
最後は自分の意思で何事も選択してゆく。
対人関係において相手に
期待してしまうことは仕方が無い。
ただ、100%信頼し切ることはほぼ不可能だ。
裏切られた、だとか、
その事実は酷く許し難いものだが仕方が無い。
信頼しきれない上でどうお互いを
許し認め合っていくかが重要であると私は思う。

この世界に生を享けて、二十年。
たった二十の年月なのかもしれないが
余りにも自分の理想とした、大人が存在しない。
年を重ねただけで偉い気になっている老人。
ご馳走様でした、の一言も言えない
小さい子供を抱えた父親。
SNSに取り憑かれた中身のないミーハー。
欲だけに駆られて、
目の前のものが見えなくなったあいつ。
生きていて、嫌なやつばっかりでうんざりする。
(私の友達は本当に良い人ばかり)

結局、小さい頃思っていた大人なんてものは
存在しなかった。
大人なんて酒と煙草が合法で
愉しめるようになっただけだ!
世の中は思っている以上に何も変わらないし
その現実を、親から、または
その社会から否応なしに突きつけられる。
なぜ祖父のお葬式に、あの議員の供花が
飾られているのか。
なぜ将来のことを考えると、
足がすくんでしまうのか。
政治、宗教、金、全てが
社会を取り囲むように渦巻いている。
所謂、腐りきっている思想や社会と
どう馴れ合いながら過ごしてゆくか。
何が正しくて、正しくないのか。
自分は何を思い、何を信じ、
誰と育み合いたいのか。
二〇歳はとことん揺れている。
孤独に怯えている。
いつか、折り合いをつけなければならない
時期が来ることも分かっている。
その中で、どう自分と向き合えるのか。
私は缶ビールを飲みながら、
そのことを考えている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?