その海は真水にレモンと塩を落とした海
その海は悲しみとやり場のない怒りで荒れ狂った海

海のそばで生まれ育った
夏になると毎年祭があって
海の神様に神輿を奉納するために
男も女も子供も神輿を担いで海に入っていく
何百年と続く祭は
人が死んでも戦争があっても続いた

その海はわかめとこんぶのよく育つ海
その海は豊穣をもたらす穏やかな海

海風を感じながら生きてきた
風の止む日は一年に数日しかない
湿った風は夕方まで洗濯物を干しておけないし
台風がくれば家も車もボロボロなのだけど
私はこの海が嫌いになれない

その海は私を写す鏡
その海はいま凪いでいる

海辺で綺麗な貝を拾った
珍しくもない貝だった
風はいつまで止まっているのだろう
いつか吹きすさぶに決まっていると思いながら
きのうとは湿った空気を違って感じている

波止場まで歩いて身を乗り出し
指に海水をつけて舐めた
その味はきのうまで私の涙だったもの

その海は真水にレモンと塩を落とした海
その海は私をきょうに連れてきた海