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ありがとう。のぞみの4号車9番A席。

京都へ向かう新幹線にて。

色々と精神的にも業務的にも忙しい日々が続いていて、
新横浜を出てすぐ、思わず自分を甘やかして食べたひれカツサンドの記憶を最後に、気づいたら眠ってしまっていた。

基本的にはヴィーガンだけれど、やはり肉は体を元気にしてくれる。
だからたまには食べることを許している。それが自分なりの境界線の曖昧さ。

1時間ほど経って目が覚めて、ふと窓の外を見やった。
なだらかな丘のようなサイズのを背に、田舎らしい民家がまばらに立っている。
山のふもとには、ドームの曲線とレトロさが気に入った天文台のような施設が佇み、
視界を右から左へと横切っていく。

何だか理由はよく分からないけれど、
すごく懐かしいような、少し切ないような、
でもどこか、安心するような気分になった。

景色はさら流れて。
一面が黄金色に染まった黄緑色の世界が開かれる。
それは地平、どこまでも続く一面の水田だった。
まもなく沈もうとする斜陽が、その景色の中に橙の彩を与える。
モンゴルでバスの中から眺めた景色にもどこか似ている。

「美しいなあ」と思った。
ただ素直に、でも心から。

景色を眺めることを忘れてしまっていたのか。
いや、強迫障害を身の内に飼うようになってから、車窓から景色を見ることを恐れるようになっていたのか。まあ、景色には強迫観念を呼び起こす可能性があるから。
でもこの風景は大丈夫だ。このどこまでも続く橙と緑なら。

久しぶりに、心底穏やかな気分だった。
やはり、こういう景色を日々心で思いだすことを心掛けながらも、
定期的にちゃんと、本物を摂取する必要があるのだ。
「水田」と「山」、「斜陽」と「まばらな民家」を通じて、
日本という風土への懐古的な愛おしさがこみあげてくる。

美しい国だな、ここは。

ときおり通り過ぎる小さな町を見て、
ここにも人間の生活があるのだと尊い温かな気持ちになる。

ここも、今日を生きる誰かの根ざす土地であり、
誰かの想うふるさとなんだろうなあ、と。

思い起こせば、この名古屋までの新幹線は、自分がまだ獣医を志していたあの頃、岐阜大学の受験へと向かうために乗っていた新幹線と同じだ。
あの頃は自由席に座れなくて、列車間のスペースで壁にもたれて外を見ていた。

そんなことすらも、ゆっくり思い起こす時間を私たちは意図的にとることができない。

でもそれは、こうやってふと偶発的に再会を果たす記憶だからこそ
また大切に、刻まれ直す記憶になるのだろう。


そんなこんなで心地よい感傷に浸っていたら名古屋に着いた。
一気に人が下りて、一気に乗ってくる。
新しく隣に座ったサラリーマンらしき若い男性は、礼儀正しく会釈をして座り、荷物を漁りだす。

ガサガサとする彼の手からリポDが落ちた。
「お疲れ様やで」と心でコメントを挟んだ。
彼は謝りながらそれを拾った。

彼が机に広げたレジ袋からは、おにぎりが2つと海苔巻き、そして氷結のグレープフルーツが出てきた。いい晩餐だ。

「カシュッ」と良い音がして、彼の喉を氷結が流れ込んでいく。
スマホを横にして見始めた、宇宙兄弟のアニメを添えて。

人間っていいなあ。

あとおれもビール飲みたい。


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