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どこでも住めるとしたら?


どこでも住めるとしたら?

身体をここではないどこかに移してしばらくそこに居座る、という意味で考えると、「どこでも」の「どこ」は、現実に存在するどこかになるのだろうが、いわゆる「貴族の家」はどうだろうか。


毎朝誰の目も気にせず、芳しい香りに包まれて目覚める。シャワーを浴びたら、用意された着替えに袖を通し、淹れたてのコーヒーを飲む。

高級ホテルのバイキングのような朝食を、メイド達に囲まれた中、長机の短辺に座って食べる。

昼は、広大な庭園を闊歩したり、謁見する有力商人が持ち込むジュエリーを愛でたりする。アフタヌーンティーに何時間もかけた後は、夜の身支度を整える。

夜は、社交界で自分の威勢を知らしめる。自宅で開催する舞踏会にて、ゲストたちに豪華絢爛な食事を振る舞い、ワインを飲んだり踊ったりする。他の有力者とお互いの胎を見せないまま談笑し、愛してもいない女性を抱き寄せる。


こんなステレオタイプな貴族の家が現実にあるなかは分からないが、
ぼくは、ごめんだ。


芳しい香りよりも、体温で温められた布団の匂いが好きだし、朝のシャワーは心臓に、起きたてのコーヒーは胃にこたえる。

パン屑を落としながら食べる奥さんを注意したり息子の口を拭いたりしながらトーストを食べたい。

昼は、息子と動物園に行ったり作ったLEGOを愛でたりしたい。アフタヌーンティーよりも、がっつり茶色の洋食たちを食べたい。

家族が喜べばいい。インスタにもわざわざ上げない。(すごーくうまくできた時はちょっと自慢する) ワインではなく、濃いめにいれたお茶。ダンスは不要。家族とざっくばらんな会話が弾めばいい。

そして、川の字で寝る。

どこでも住めるとしたら?

いわゆる「貴族の家」とは真逆の、「庶民の家」に住みたい。
(強いて言うなら、朝起きてカフェラテがあったら嬉しい。)


「どこに」よりも「どんな」の話になってしまったが、要するに、
その答えは、物理的な場所の問題ではない、ということだと思う。

あなたの何かを、心許り充たせる記事をお届けするために。一杯の珈琲をいただきます。