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カナダ・トロント郊外、モンゴメリの家へ

 夏のはじめ、トロント出身の知人から、『赤毛のアン』の作者モンゴメリがトロントで亡くなっていたことを聞いた。調べてみると、彼女の現在のお墓はPEI(プリンスエドワード島)にあるのだけれど、暮らしていたのも亡くなったのも、トロント近郊だった。
 検索に上がってきた「オンタリオ州ルーシー・モード・モンゴメリ協会」のサイトにアクセスしたら、夏季限定で水曜にランチ会があるらしい。早速電話で予約を入れて、行って来た。

牧師館。モンゴメリが暮らしていた時のように復元されている
モンゴメリが夫君と共に仕えた、リースクデール教会

『赤毛のアン』のファンと集うランチ会

オタワからは約4時間半、トロントからなら約1時間のドライブ

 オタワからひたすら西へ、約400km。平原、草原、沼地、そして緩やかな丘陵地帯の牧草地へと景色が変わった頃、Leaskdale(リースクデール)の看板が迎えてくれた。早朝出発で、到着は12時半。午後1時のランチ会にちょうど良い到着だった。が、教会の1階ホールに設られたランチ会場に、ドンジリで入る私たち夫婦…。

「マリラのいちご水」甘酸っぱくて美味しかった

 料金を払ってサイン帳に署名後、テーブルにつく。早速「マリラのいちご水」をいただき、乾いた喉を潤した。

 会場は既に、数十名の婦人たちで 埋まっていた。カナダ人女性が、こんなにマジメに夏帽子を被っているを初めて見た気がする。皆、モンゴメリの本の愛読者または研究者で、牧師館と教会のサポーターでもある。なかには、幾度も足を運んでいる人もいた。
 前菜、サラダ、サンドイッチと続き、その後はお茶と手作りのスコーン&ジャム、そして甘味盛り合わせでシメ。夫をこんな大勢の中高年女性の中へ混ぜてしまって悪かったかなと、ちょっとだけ申し訳なかったが、出されたもの全てが美味しく、彼的には満足だったそうなので由としよう。

まさかの黒一点。
今日のランチョンにふさわしい? 食器は全てアンティーク風
スコーンもジャムも地元住民の手作り
前菜、サラダ、サンドイッチ、スコーンの後に、これ!

 食事の後は、みんなで上の聖堂へ移動。食後の催しは毎週出し物が違うそうで、この時はたまたまコンサートだった。エルビス・プレスリーや、ジョン・デンバーなど、懐かしの名曲メドレーに、女性たちだけでなく夫も大喜びだった。

ひとり漫才&歌とギター演奏。みんなよく笑った
可愛らしいステンドグラスと、今も残る古い足踏みのオルガン
日本のキルト愛好グループ(Buttercups Club)から贈られたパッチワークキルト

 私たちのすぐ前に座っていたのはこの土地の女性で、モンゴメリやその子どもたちのことをよく知っていた。牧師館前にある洒落た煉瓦造りのファームハウスへ、モンゴメリは毎朝卵と牛乳を求めに行ったなど、あれこれと教えてくれた。

家のルームツアー

 モンゴメリとユアンが初めて自分の家として住んだのが、この牧師館だったという。夫であるユアン・マクドナルドとは長く婚約していたが、彼女はPEIでは未亡人となった祖母と暮らしていたそうだ。祖母が亡くなり、晴れて結婚。夫ユアンが赴任したリースクデール教会の牧師館が、二人の最初の家ということらしい。
 ユアンはキリスト教プロテスタント(長老派教会)の牧師で、モンゴメリは牧師の妻として忙しい毎日を送っていたようだ。電気もガスもない時代、家事、育児、牧師の妻という仕事の合間を縫うように、執筆をしていたのだという。
 ガイドの彼女によると、玄関を入ってすぐ左にあるサロンで毎朝2時間、ドアを施錠して一人の時間を確保し、執筆していたそうだ。子どもたちがどんなに猫なで声で甘えても、扉を開けることはなかったという。夫の執務室にはタイプライターが2台あったが、彼女はタイプが苦手ゆえ、いつも手書き。出版社にはタイプで仕上げた原稿しか持ち込めない時代で、彼女の草稿を清書するタイピストが必要だったらしい。

中央奥にある少し大きめの椅子が、モンゴメリの執筆位置

 階段脇には、牧師館にしては小さいと思われるダイニングルームがある。モンゴメリ自身、このダイニングルームはあまり好きではなかったそうだ。狭い上にとても寒く、薪暖炉が煙かったことがその理由。手前にも横にも向こうにもドア、脇には2階への階段と、位置的には通路でもある。

確かにキッチンには近いが、なぜか落ち着かないダイニングルーム

 ダイニング奥のキッチンは、一度に数人が作業できそうな広さ。奥に手動洗濯機が置いてあった。ドアのある大きなパントリー(食庫)も併設されている。ダイニングより広いかもしれないキッチン、使用人がいてこその広さだと思われる。

カナダの農家に今でもありそうな、薪の調理ストーブ
手前左が手動洗濯機。一度にシャツ数枚しか洗えなかったそうだ

 2階には、主寝室、子ども部屋、ゲストルーム、メイド部屋と、寝室が並ぶ。どの部屋のベッドにも、パッチワークのキルトが掛けてあった。

全て手縫いのパッチワークキルト

 当然ながら、まだトイレは家の中にない時代。かわいらしい陶器のポットが、床に置かれていた。

 階段を上りきった踊り場に置いてあった、足踏みミシンが印象的だ。両側に引き出しが3つずつ付いたシンガーのモデルは、この時代の最高級グレード。モンゴメリの印税の程を物語っているかのようだ。

つい最近手放したが、これと同じのを持っていた…

 この時代の女性は、家事の全てを電気なしでこなしていた。冷蔵庫もない時代、食事の支度も大変だったに違いない。牧師の妻として週末にある教会行事の手伝い及び地域の婦人や若者たちの相談相手、子どもの日曜学校の教師となっていた彼女。いくら住込みのメイドがいたとはいえ、牧師館を切り盛りし、子どもの躾や教育、縫い物までもして、さらに執筆して大きな収入を得ていたのだから、カナダ人女性の尊敬の的であるのは間違いない。だからこそ、今なお多くのファンがいるのだろう。

心地よい疲れと共に家路へ

 帰路は、途中までナビが違う道を選んでくれた。よく整備された舗装道路、瀟洒な家々が並ぶ田舎町を抜けていく。同じオンタリオ州とはいえ、自宅付近とはまた違った雰囲気。大都会トロントに近いせいかもしれない。

 モンゴメリは、『赤毛のアン』を故郷PEIにいた頃に執筆したが、その後の多くの作品はリースクデールで書いている。新婚で赴任した土地、初めての自分たちの家、出産、執筆、出版社との交渉など、良いことも悪いことも、たくさんあったであろう牧師館の暮らし。忙しくはあったが、幸せに満ちていたのだろうか? 当時とそうは変わっていないだろう牧歌的風景と、抜けるように広くて青い空を見上げながら、そんなことを考えた。

典型的なオンタリオの田舎の風景
遠目には水蓮のように見えるが…

 丘陵地帯の小麦畑は、もう収穫が始まっているところもあった。心地よい風は、既に夏の終わりを告げているようだ。
 湿地帯の池には、ゆく夏を惜しむように、小さいながら水蓮かと思う白い花がたくさん咲いていた。
 山や湖の多いカナダ西海岸地方も素敵だが、東部であるオンタリオ州も魅力に溢れている。

 夏のカナダは日が長い。沈みゆく夕陽を背に、マリラのいちご水の味を思い出していた。

***

参考URL:lucymaudmontgomery.ca(オンタリオ州LMモンゴメリ協会)
場所と連絡先:+1-905-862-0808
11850 Durham Regional Rd 1, Uxbridge, Leaskdale, ON L0C 1C0,  CANADA

その他:教会と牧師館は100m以上離れているので、歩く必要あり。
    博物館の開館は、基本的に夏季限定(6〜9月)。
    お茶、食事、ハウスツアーは要予約。詳細は参考URLにて。
    

 


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