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ゴール裏はなぜいつも炎上するのか?                 

秋の風物詩だったゴール裏論争。今年は開幕前から盛り上がり、まだ4月というのに各方面で議論が燃え盛っております。

声出し、着席問題から服装規制、旗掲出、断幕制限等々、ありとあらゆるコンフリクトが起き、経営サイドやスポンサーとの関係まで出て来たり、何だか例年より大事になっているようです。

ここでは、そんなゴール裏論争を少しでもわかりやすくするために、ちょっとした整理をしたいと思ってます。

ゴール裏論の根っこって何?っていうのが、少しでも伝わればと思って書きます!

では、久々ですが、よろしくお願いいたします!

1.現代的コモンズとしてのゴール裏

はい、いつも同じく、先ずは結論から。
理由はこれ!

もめる原因が
ゴール裏≒コモンズ(=入会)だから

コモンズって何?マヂキモいんだけど。
入会って、サポだから当たり前でしょ?
みんなファンクラブ入ってるし。

という声が聞こえてきましたので図を出します!はい、ドン!

図1  コモンズとは?

コモンズとは、平たく言うと
みんなで共同管理する共有資源
のこと

ゴール裏はみんなで管理する共有資源なんです。資源とは何かについては最後に語りますが、先ずは入会から。

入会はイリアイと読みます。(法学部の人はこの辺パスでOK)日本でコモンズというと先ずは入会の話になると思います。
入会とは、特定地域の住民が、慣習に基づいて、一定の山林原野または漁場を共同で利用し、草・薪炭材・魚介などを採取することです。

これをサッカー観戦に置き換えると、ゴール裏民が、慣習に基づいて、ゴール裏と呼ばれる領域を共同で利用し、サッカーを観戦・応援すること、そう言っても良いと思ってます。

日本でコモンズといえば、最初はこの入会権の話と権利なき社団の例が出てくると思います。(代表者が定められていない権利能力なき社団のメンバーが入会権を持つとされていますので、何だか「団体さん」論とも被ってきますね。)個人的にはコモンズと入会は日本では、ほぼイコールに近いかと思ってます。

ヴェルディのゴール裏

ここで出てきたコモンズは公共財の一種、準公共財とも呼ばれます。「公共財」とは、「誰もが同時に使えて、お金を支払わない人を排除できないような財」のことです。公園とか一般の道路とかのイメージです。(公共財はとりあえず下のページでも読んでください。わかりやすいです。)

なぜ「準」なのかというと、純粋な公共財に必要な2つの要素のうち、一つが欠けているからです。
競合性、非排他性のいずれかが欠けている場合、準公共財に区分されます。

【競合】
誰かがその財を消費しても、他の誰かが消費できる量が減るか否かで区別
【包括・排除】
非排他的(包括的)かどうかは、対価を払わない人を排除することの難しさで分ける

図1の縦軸は排他的か包括的か、横軸は競合があるかないかで線引きされています。なので、

競合性が高く、排他性が低いゴール裏はコモンズと言って良いかと私は思ってます。

2.クラブ財にはならないゴール裏

でも図を見てると少し疑問が生まれてきますね。クラブにお金を払ってファンクラブに入っているサポーターが来てるんだから、ゴール裏って、本来、図の右上、クラブ財にならないの?という疑問です。
確かに会員制で座席指定すれば限りなくクラブ財には近づきそうです。が、やはり限界はあります。
たとえ利用者の区別したとしても、スタジアムの空間利用は他の利用者と同様のものになるからです。
座席やチケットには他の人を押しのける排他性がある一方、一旦、席に座れば、見え方こそ違えども観客の一人になる。それがスタジアム観戦。スタジアムで観戦するということは、その場所で起きることを否応なくみんなで体験するという強制がある状態です。
サッカー観戦では常に空間利用の制限があるんですよね。

最初に共有資源は後で書くと言いましたが、ここでついに出します。ハイ!

スタジアム観戦の共有資源とは、その試合の間にその空間で観戦する間にする体験全てなんですよね。

その空間を利用することで得られる体験こそが、そこでプレーされているサッカーを見る以上の財(商品・サービス)と言っても良いかもしれません。その体験を損ねる行為に対して、皆が声を上げるのはとても理解できることだと思ってます。

3.ファンマーケティングとオールドサポの価値観がぶつかる場所

運営サイドは、顧客に価値を与えることは、当然、重視しています。ホームスタジアムだからこそ体験できること、顧客の満足を何より大切に考えることが、ひいては動員に繋がり、より素晴らしい観戦体験を広めることが出来るからです。なので、スタジアムで、様々なマーケティング施策が行われているのは皆さんもうご存知でしょう。

結果、様々な楽しみ方が増え、多様な客層が出来てきたようにも見えます。個サポ、ファミリー、兼任、ぼっち観戦等、ファンの楽しみ方は様々で、これまでの絵に書いたようなサポーターとは異なった人たちがゴール裏にも流れてくるようになりました。
今までハンターが狩りを楽しむ山だったのが、釣りをする人、花を愛でる人、きのこを育てる人等、里山に多様な目的を持った人が集まるようになった。それが昨今のゴール裏なのかもしれません。

即ち、たくさんの人により良き体験をしてもらおうと運営が人を集めた結果、元々、排他性がない組織のメンバーが多様化してしまい、内部で価値観のぶつかり合いが起きているのが、今のゴール裏なのだと思います。

4.慣習こそチームの文化

価値観のぶつかり合いは、コミュニティのあり方を揺さぶります。どうしても新しく来た人たちが権利を叫び、今までいた人たちがそれを許さないという構図になりがちです。

ただこれまでの経緯を考えると、その場所を守り続けてきたのは経営サイドでなく、コアサポだと思います。里山を守っていたのが地主でなく、村人たちであったように。
ヴェルディの場合は、過去に色々なことがあってそれでもチームのためにと奮闘してきてくれた人が、コアのほとんどです。
彼らが作ってきてくれた慣習が、今のゴール裏文化を支えていてくれているとさえ思ってます。
もちろん社会は変わるし、時代も変わります。
価値観はアップデートされるべきでしょう。
ただこれまでの慣習に基づかない変革は、良い結果にはなかなかつながらないと思ってます。

最近、私が良く呟いているのは、もう少し慣習や文化を、コアから発信してほしいということです。新しい人たちに知らせるだけでなく、現在の社会一般の価値観とのズレを認識するためにも、それは必要なはずです。

新しく来た人たちは、これまでここを守っていた人たちに耳を貸してください。その場所にはその場所の慣習法があるはずですから。そして新しい慣習を一緒に作っていってください。

以下の言葉は村人の警告ですが、因習の塊と笑わずにしっかりと目を向けてほしいです。

−この"入会"という言葉にピンと来ない方は要注意です。あなたは単にコミュニティーに参加できていないというだけでなく、たいへんな迷惑要素、言い換えれば出て行ってもらいたい人になっている可能性が高いと、私は勝手に感じます。

ちなみに運営に頼るのはダメです。慣習を勝手に壊しますから。自分たちの手で何とか上手くやってほしいなと思ってます。コモンズの失敗については、以下を参照してください。

まとめ

太字だけ読めば、基本、理解できると思いますが、一応まとめます。

競合性が高く、排他性が低いゴール裏はコモンズ(みんなで管理する共有資源)

に当たります。

コモンズを具体的に言うと

ゴール裏民が、慣習に基づいて、ゴール裏と呼ばれる領域を共同で利用し、サッカーを観戦・応援すること

になります。

(スタジアム観戦の)共有資源とは、その試合の間にその空間で観戦する間にする体験全て


を指します

その共有資源を巡って起きているのが、以下のこと。

たくさんの人により良き体験をしてもらおうと運営が人を集めた結果、元々、排他性がない組織のメンバーが多様化してしまい、内部で価値観のぶつかり合いが起きている

これがゴール裏が、毎回、炎上する理由です

そして、これを乗り切るには、慣習に基づいた変革を行うことが必要ではないかというのが私の主張でした。もちろん、そこには価値観の表明→すり合わせの作業が必要です。

少しはゴール裏論争の理解に役立てたでしょうか。長文最後までお読みいただきありがとうございました。






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