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フットボーラーのための楽典入門

はじめに

こんにちは、Gorikongです。なかなか忙しさにかまけ筆を執る気持ちになれず、「書こう」「書けない」「書かねばならぬ」という葛藤の中、いよいよ書き出した次第です。またお前変なの書いてるなと笑って支援していただけると助かります。(音楽に決して詳しいわけではないので間違っていたら逆に教えてください。)では、スタートです。

いきなり結論

サッカーをめぐるデータ化(デジタル化)あるいは論理化は、西洋文化として必然的に発生する事象であり、普遍的な価値を持つものである。

ひらたく言うと「西欧の人達って必ずこうするよねー、まあ便利なんだけど」ぐらいの意味です。

それは音楽をめぐる理論化の流れをみると、良く理解できると思われます。

なので、ここでは音楽の理論化とサッカーについて比較しながら、西欧人が如何に物好きであるかを考えてみたいと思います。

*詳しい動機やおまけの話は以下を参考にしてください。


1.「記譜法」の発明とフォーメーションの発見

~Playのための相対値の発見~

音は形もなくて見えないものですよね。素晴らしい演奏(Play)がされても、もう同じものは残っていない。録音技術がなければ2度と同じ音楽を聞くことはできません。これはサッカーも同じですね。

その素晴らしさを伝えたり、あるいは再現しようとする人からしたら、どうですか?

「記譜法」はグレゴリオ聖歌の指導から生まれたと言われています。
聖歌隊の指導に悩んでいたグイード・ダレッツォはグレゴリオ聖歌の中から「聖ヨハネ賛歌」を選び、ある試みをおこないました。曲で使われている音から高さの異なる音を選び、それぞれに名前をつけることで、旋律を歌えるようにしようという試みです。その斬新なアイディアによって後世に残る二つの重要な発見がありました。

①音階の元を作った (ドレミファソラシド」を考案)
②音部記号の元を作った(ト音記号等の音部記号で譜面の音符がもつ「本当の音」が決まる)

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これはサッカーで言うとフォーメーションの発見でしょうか。選手の位置を明らかにし、関係性を明らかにすることで、playの内容を考察できるようになる。
相対的な基準という意味では、ナチュラルに発生したイングランドスタイルに対して生まれたスコットランドの2-2-6、その後大流行したWMシステムを経て、4BKが定着するぐらいまでのスパンに当たるのでないでしょうか?

参考までにペレの動画


この二つの発見から音楽は数百年かけてより精度の高い理論を作り出していきます。ちなみに今の楽譜の形、五線譜の原型は1300年代に生まれたと言われています。
サッカーで言うと5レーン理論でしょうか(笑)。

2.平均律とPositionalPlay バッハ=グアルディオラ? 

 ~絶対値から導かれるPlay~

より精度の高い音楽理論とはなんでしょうか?
ここで登場するのがみなさん音楽の授業でお馴染みのバッハ。
バッハは平均律を発明します。


平均律とはなにか。平均律とは,元の音から1オクターブ上の音までを,対数で12等分したものです。わからないですよね。

ピアノの鍵盤を思い浮かべてください。ドから始まって一つ上のドまで12の鍵盤があると思います。白が7黒が5の12の音は、この平均律から導かれているのです。

音と理論が、ピアノという楽器を通して、ついに一つになります。平均律の登場以降、コードやスケールといった様々な概念が発展しますが、あまりに煩雑なので、ここでは省略します。

平均律がもたらした功績の中で、次の二つはインパクトが強かったと思われます。

①平均律ではとなり合う音同士の感覚は常に等間隔である
②転調しても安定した調和のある響きが得られる

転調とは曲中に調子が変わることです。ポップスやロックでいうキーが変わることと同じです。平均律は音の関係性が崩れないので、転調しても調和が保たれます。ギタリストは曲によってギターを変えますが、ピアニストは変えませんよね?平均律のメリットをピアノは最大限生かした楽器と言えるかもしれません。

【参考】 バッハ/平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番 ハ長調

サッカーに準えてみると、平均律はなんとなくPositionalPlayっぽいですよね。ピッチを5レーン理論等に基づき均等に割ることで、個人の戦術やタスクを明確にする。そんな風に思えるのは私だけでしょうか?転調はフォーメーションチェンジですかね?サッカーのデジタル化といえばWyscoutなどはもう有名ですよね。音楽では何百年もかけて進化してきたものがサッカーではどうなるのか興味深いですね。

まとめ   科学は天才を産み出せるのか?


さてここまで発展してきた理論ですが、果たして実際どのようにplayに役立つのでしょうか?

きーすさんの言う野生と科学の話に近いかなと思うのですが、音楽の例で言うと、ジャズの話を思い出してしまいます。

W.マルサリスというプレーヤーがいるのですが、彼の評価はかなり別れます。天才という人もいれば、ジャズとして違和感を感じるという人もいるといった具合です。

彼は父親がジャズプレーヤーでニューオリンズ生まれとナチュラルに学ぶのに恵まれた環境にありながらジャズに触れずに育ち、後天的に学んだプレーヤーとして有名です。

同じ曲を聞いてみてください。

まずはマルサリスから。        Wynton Marsalis - Stardust

次はジャズの巨人、コルトレーン。   Spotifyの33曲目です。

感想はさまざまかなと思います。

音楽だけでなく、スポーツも含む芸術は『〈自由〉になるために限界を越える手段として形式や制限』を使うという側面もあります。

科学的に論理的に学ぶことがたとえなにがしか制約になったとしても、それを超えた時、本当のクリエイティブなPlayが出きるのではないかなと私は思います。

【参考 引用元】

サッカーの理論化は、音楽の理論化と同じく、西洋思想をもろに受けているなと感じてもらえれば幸いです。現象を論理的に治めていく過程で、まずは何らかのフレームワークを作成し落とし込む。その中でなにがしかの基準点を作り、そこを起点として周りとの関係性をつめて、評価の体系を作る。全体からの切り出しと小分けにしての分析を積み重ねていくのは何でも一緒なんだないうのが良くわかりました。

かなり強引ですが、書きたいことは書きました。読んでいただきありがとうございました。こんな文章ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

頑張って書きましたが、全然、音楽詳しくないので間違ってたら、教えてください。よろしくお願いいたします!ありがとうございました。




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