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【東京物語】センスオブワンダー

noteを書き始めたころ、誰に見せるでもなく本当に自己満足で書いていた。

とにかく好きなように、自分がアメリカで経験したこと感じたことを。

日本ではとても恵まれた職場にいた。

近所の事務所だった。

みんなとにかく優しくて、不器用でロクにうまいことも言えない自分を「ゴリちゃん、ゴリちゃん」と可愛がってくれた。

仕事が特段できたわけではないけれど、納期は必ず守った。

言われたことはがんばる。

逆に言われたことしかできない。

不器用で「できる人」とは程遠かった。

周りの「普通」な人たちが羨ましく、そして尊敬の気持ちでいっぱいだった。

あぁ、そんなことにも気が付けるんだ。

そんなにスイスイできてすごいなぁ。

当時の先輩方には公私ともに本当にお世話になった。

人としての温かさも教えていただいた。

自分のASDという特性と向き合いながら、やっとの思いでありつけた事務の仕事に奮闘していた。

初めてやる業務は不安だから人よりも時間をかけて、できるようになるまで何度も予習した。

会社の面談のたびに「ここで働かせていただけて本当にうれしいです。ずっと働きたいです!」と本心から伝えていた。

ある日の面談で上層部の方に

「ゴリちゃんが良ければ、社会保険に入れてあげようか?正社員でどう?」と言っていただいた。

人生でも何本かの指に入るくらいうれしい出来事だった。


そうそう。この事務所に入る前にスターバックスで早朝パートをしながら、ハローワークの求職者訓練に通ってた。

事務系の事を学ぶ講座だったんだけれど、ゴリはどうも勉強ができなかった。

先生の説明もいまいち理解できないし、ある資格にクラスでゴリだけ落ちてしまい先生をがっかりさせた。(のちに取得できました。笑)

クラスメイトの人はみんな優秀で、素晴らしい人ばっかりだった。

ゴリにつきっきりで勉強を教えてくれた優しい方もいたりして。

スタバのパートと求職者訓練の合間に、とにかく沢山の面接を受けたけど箸にも棒にも引っかからなかった。

求職者訓練の訓練校には、就職担当の教務課の先生がいる。

口はちょっと悪いから(ズバズバ言う)怖がられてたけど、ゴリは悪い人じゃないと思った。

先生に素直に相談した。

「高望みできるようなキャリアじゃないのはわかってますし、とにかく受けてるんですが全然受からなくて…」

先生は「経験者しか入れない世界だから、ゴリのキャリアじゃそりゃ無理」とバッサリ言い放った。

本当に、その通りだと思った。

「ですよね…事務のお仕事は諦めてもっと広く見てみます。」

しゅんとしていたかもしれない。

先生は就職のプロで色々な人を見てる。きっとゴリは難しいんだろうな。

その時の面談はどう終わったのか覚えてないけど(多分、ショックで。笑)あくる日、先生に「教務課に来るように」と呼ばれた。

成績が悪いって叱られるかな…

朝スタバから来てるから、居眠りとかしてたかな…?

怒られる前提で向かう。

先生のもとに向かうと、唐突に「ゴリは就職難しいよ。だから話付けといた。ここの卒業生がいるところで、本当は経験者しかダメなとこ。あなただから話してる。行くね?」

有無を言わせなかった。笑

でも先生の気持ちがすごく嬉しかった。

すぐに返事をして、お世話になることに。

そして案の定、とてもいい職場だった。


話が戻るけど、正社員の提案をいただいた丁度そのころ。

夫のアメリカ赴任が決まった。

最初は「ついていかない」と思っていた。

こんないい職場にはもう出会えない。

転勤してきて5年目でやっと落ち着けた環境。

手放したくなかった。

それにゴリみたいな特性がある人間は、普通の人よりも心地よい場所を見つけるのに更に苦労する。

けれどいろいろな事情(日米で単身赴任するには経済的に厳しい、会社に原則的に家族は帯同させる規定がある)と、自分ひとりでやれるのかという不安で最終的には帯同した。

今は色々な経験を経たので、帯同してよかったし後悔していない。

その帯同先でも本当にいろいろな経験をした。

それまでいかに自分が色々な方に守っていただいていたのか、応援していただいていたのかということに初めて気が付いた。

自分がいた環境と180度ちがう場所にきて、戸惑う日々が多かった。

日本人村では、人生を1.5倍速して「人間関係とは」を学んだ。

鬱憤やストレスは人間を変えると思った。

辛いときは前の職場で「ゴリちゃん無理しちゃダメだよ、いつでも戻っておいで」と言っていただいた言葉が何度もよぎる。

その度に、直面している現実との落差に苦しくなった。


夫も仕事で家を空け、駐妻界にも馴染めず孤独だった。

そんな時、noteや当時のTwitterは唯一の心の拠り所。自宅でひとり、今日はこんなことがあった、あんなことがあったとパソコンを叩いてる時間は本当に幸せだった。

同じような人とも繋がれた。現地でお仕事をしようと頑張っている人、駐妻界で孤独を感じている人。

あぁ、現地で頑張ってる人がいる。

自分と同じようにこの環境に「違和感」を感じている人がいる。

心が安心した。自分だけじゃないんだ。

だんだん、ゴリのXやnoteの投稿を読んでくれる人が増えた。

反響が来るのはとても嬉しかった。

田舎に住んでるちっぽけな主婦に優しい、くすぐったくなるようなあたたかい言葉が届いた。

けど同時に攻撃的な言葉も増えた。

冒頭で書いたように、ずっと自由気ままに書いていた。

思ったことをそのまま。

だんだん配慮することが増えた。

あの方面はこう思う、この方面はこう思う。

誰も不快な思いをしないように、注釈を一生懸命にいれた。

そんな息苦しさも感じてきた中で、かなりショックな書き込みがあった。

その書き込みをした人達は同じ時期に渡米してきた方達で、仲良く絡んでいた時期もあっただけに全くの他人ではなかったからかもしれない。

妙に生々しい言葉だった。

被害妄想でかまってちゃんだとか、病気を盾にして余計なことを言っているから人が避けるのは因果応報だとか。

読んでいて涙が出た。

冒頭で長々と日本時代を書いたけれど、それはASDという特性を自覚して人様に迷惑をかけないように、自分なりに努力はしてきたんだよと少し伝えたかった。

他人が自分の言動で嫌な思いをしないように、自分が足手まといで迷惑をかけないように、毎日アンテナを張っている。

だけど、きっとできていない。

頑張りも虚しく、自分が一番わかっている。

そんな柔らく繊細な部分を気を遣ってきたはずの他人という存在から、ブスッと刺されたようだった。

前から言っているんだけれど、ゴリはとてもネガティブな人間。

ポジティブになる要素がない。

だから投稿はネガティブなものになりがち。それを悲劇のヒロインを装って信者を集めていると書かれていた。

信者という呼び方は、むしろ読んでくださってる方に申し訳ないけれど…装っているのではなくメンタルがいつもネガティブだということはもう一度、お伝えしたい。

あと、本当かどうかわからない内容をnoteでまとめて利益を上げるのは人としてどうか?とも指摘されたけど、全て本当の事を書くことをモットーにしているので強く否定したい。

200円くらいの記事がいくつかあるけど、身バレ防止のためと書いてある。あんまり売れない(笑)サポートも有難いことにいただくけれど、1年に1回あるかないかだ。

もしこのブログが創作なら、すぐさま小説大賞に応募しようと思う。

ネガティブな人間が書く記事はネガティブだ。

江戸川乱歩に「胸キュンな青春漫画」を書けと言っても難しい。

きっと必ず椅子の中に潜んでいる男子同級生が出てきてしまう。

仕事の事をつつかれると、相手に対して反撃する言葉がどうしても「あなたも働いてみてから言って」という言葉になる。

しかし、現実の日本人村で奥様達になじられようとこれだけは絶対に言いたくなかった。

とても傲慢な言葉だから。

駐妻(夫)界には働けなくて悩んでる人、葛藤している人がいる。

ゴリはそういう様々な葛藤を抱える人達に救われてきた。

居場所をもらって、共感してもらい励ましてもらった。

恩義がある。

それに働けたのはタイミングと、会社が許可してくれたから。もっと言えば海外に来たのも自分の力ではないので驕ってはいけないと思っている。

今考えると日本時代も職場で「他人に良いことばっかり言ってる、ぶりっ子だ」などと一部の人から言われた。駐妻界はまた特殊だったんだけれども。

日本時代も今回のゴリへの強い言葉の後も、大丈夫だよと励ましの言葉をかけてくださる方がいて本当に救われている。

誰かで傷つくたびに誰かの優しさが身に染みる。

ただ、きっとこの傷がいえるにはもう少し時間がかかる。

アメリカでは人生を見つめるいい機会だった。嫌なことがたくさんあった。

でもその度にそれ以上の学びもあった。

「これからどんな人生になるか」ではなく「どんな人生にしていきたいか」を日々考えている。

今回のような他人に対して行き場のない怒りを経験することは駐妻界でもあった。当時は「見返してやる」という道に進んだ。

でも、それは少し違った。

相手を見返さなくても、アメリカで自分が働いた経験も、人間関係で悩んだ末に得た教訓も友人も既に自分のものだ。

ASDやパニック症とはこれからも向き合っていく。たまに「一生このままなのかな、怖いな」と途方もない気持ちに押しつぶされそうになる。

今回のように盾にするな、因果応報だといわれると肩身も狭い。

だけれど、きっと少しづつ良くなってる。あと20年もすれば楽しくなってくる。

誰かに嘘だと言われようが、アメリカで感じたこと経験したことは紛れもない真実。

人生のいつ役に立つのかは知らないけれど(棺に入るまでには…)きっと必ず自分の人生の糧になる。

自分の人生を動かすためにこれからを頑張っていきたい。



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