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【短編小説】「1989」第七話(全七話)

 以前描き下ろしたギター小説を加筆修正した(している)ので、全七回で連載しました。最終話なので前回までよりボリューム増(加筆ふくむ)です。

「1989」第七話

 プロデューサー・ヤガミさんがやらかした。
 登り調子のなか、プレッシャーを感じながらも、身の丈以上に得た金銭をどのように使うか考えたあげく、不得手な不動産投資に突っ込んで大火傷を負う。
 そして、安定しない心をなぐさめるために、違法な薬物へ手を出した。どこからのリークかは定かではないが、待っていたかのように、またたく間にそれは各週刊誌へ煽情的に掲載される。事務所はもとより、ナナミとのユニットの解散も余儀なくされた。ヤガミさんは府中刑務所で刑に服しているらしい。あのあやしげな長髪も、いまでは坊主頭なのだろう。

 強制的なユニット解散後わたしは、時間を持て余していた。もちろんナナミとともにきらびやかなステージに復帰することは可能だった。しかし、冷静に考えてみると、万人の目前で最適解を顕しつづけることは過剰な重圧であり、自分たちを壊す材料なのでは、と、ヤガミさんの末路を観て思ったのも事実だ。
 世に照らせば、やらかしてしまったヤガミさん。しかし、わたしにとっては感謝の気持ちしかない。

 ナナミは姿を消した。そのとき、わたしは彼女を探そうともしなかった。

 西暦二〇〇〇年。二十一世紀を目前にしつつ、わたしは二十代の終わりを迎えようとしていた。
 解散後、表舞台に立つという呪いを避けて裏方に徹していた。カタギな仕事に就こうと思ったこともあるが、もはやツブシは効かない。音楽しかない。レコーディングに参加することもあれば、音楽教室の講師、音楽ライターも務める。音楽の持つ重力は呪いのようにまとわりつく。

 昔ナナミと創った曲が何度もオリコン・ランキングに入っていたおかげで、そこそこの印税が毎年振り込まれていた。CDは売れなくなったと聞くので、他での収入だろう。昔アルバイトで勤めていたカラオケ・ボックスは、まだあるのだろうか。健在であれば、この収入のいくばくかはそこからもたらされているのかもしれない。

 ある日、テレビ番組で昔の歌番組の特集が放送されていた。
 そこにはかつてのナナミとわたしの姿があった。
 ナナミ。わたしの奏でるフレーズを最大限に活かしてくれた女神。
 急に胸がしめつけられるような感覚になる。
 わたしは伝手をたよってナナミの所在を探した。

 ナナミは西新宿にあるジャズ・バーでつまらないフレーズを奏でていた。
 周囲の重圧に耐えられなかった、もしくは自身の衝動をうまくコントロールできなかった表現者が集う水たまり。
 羽化できないままのボウフラがただよう水たまり。
 たとえ万が一羽化できたとしても、その羽で奏でられるのは、多くのひとには届かない幽かなモスキート音。結局他人の血に依存しながら生きながらえることしかできないという呪い。

 ナナミはうつろな目で、客席にいるわたしのほうを見る。まばゆいほどのスポットライトに照らせれていたので、わたしの存在には気づかなかっただろう。気障なほどのスーツに身を包んだわたしは、西新宿駅構内で買い求めたカサブランカの花束をもって控室に向かった。
「あっれ? どっかで見た顔」
 控室に入ったわたしを見て、ナナミは無表情で言葉を発する。
「ケイノだよ。おぼえていない?」
「ケーノ? うーん、わっかんないや」
 わたしは、静かに背後にかくしているカサブランカをナナミの前に差し出す。
「わ、きれーい。ユリの花かな」
「うん。ユリ科だけど、これはカサブランカっていうんだよ」ナナミは花弁に顔を近づけて香りを確かめる。わたしは深呼吸して、言葉を続けた。「結婚式のブーケによく使われるんだ」
「けっこん?」
「そう、おれといっしょになってほしい。おれはナナミの音でしか生きられない」
 一瞬間をおいて、ナナミの涙腺が決壊する。とめどなく涙があふれている。
「わ、わたしでいいの? ケイノになってもいいの? あ、最新型のTRITON買ってもいい?」
 最後の冷静かつ打算的な発言はさておき、ナナミはわたしの求愛を受け入れてくれた。

「エピローグ」

 数年後ふたりの娘が生まれ、幸運に恵まれながら彼女らは健やかに育ってくれた。十八歳になる長女は、わたしが中退してしまった大学に入学するらしい。その昔、御茶ノ水にあったキャンパスは、少子化やらリーマン・ショックやらの影響で地価に耐えられず、郊外に移転していた。形や場所を変えても在り方を変えない姿勢は好ましい。都会で身をすくませながら、背の高いビルで営むよりはよっぽど大学らしい。

 上京してちょうど三十年が経過する、奇しくもこのタイミングで年号が変わるそうだ。令和ねえ。まさか長女の学生証も、わたし同様にキャリーオーバーされてしまうということはないだろう。
 年号なんぞ、どうでもいい。

 休日、娘たちが外出したところで、ナナミが嫁入り道具(代金はわたしが全額支払ったはずだが、彼女がそう言い張るので)であるTRITONを弾き始めた。
 わたしもフェンダー・ツイン・リバーブに火を入れ、その演奏にストラトでペンタのフレーズを重ねた。
 三十年経ってもペンタしか弾けない。でも満足している。この先もきっとそうだろう。在り方は変わらない。

 <了>

↓ 前回までの連載はこちら

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