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シン・エヴァンゲリオン劇場版では生命の実VS知恵の実の構造ではないのは何故?【生命の書の正体はこれだ!】

ここからは激しく【ネタバレ】ありますので、ネタバレOKの方のみスクロールしてください。

本記事は【新劇場版】で出て来る意味のわからない単語「生命の書」のネタバレ解説をします。

この記事でわかること

●旧劇と違う設定の「生命の実/知恵の実」
●「生命の実」と「生命の書」は関係あります!
●ゼーレがどんな運命と戦っているか。
●「リリスとの契約」は改訂して、「???との契約」になった

私の考察の前提条件として、旧作の設定は可能な限り、新劇場版には引き継いでいない前提で考察しております。

1・旧劇と違う設定の「生命の実/知恵の実」

ヱヴァンゲリヲン新劇場版は、エヴァンゲリオンの旧作のやり直しに見えて、設定が違うキーワードがたくさんある。

今回は新劇と旧作で設定が変わっているキーワードの中から、ストーリに関わる重要な単語「生命の実」と「知恵の実」の話をする。

まずは旧作の設定を確認しよう。


ー旧作の設定

旧作(テレビ版、旧劇場版)のエヴァンゲリオンではテレビを見るだけではわからない設定が多い。そういった設定は公式設定集やゲーム作品などで補完されている。

簡単な設定はこうだ。

第一始祖民族と言う宇宙人が白い隕石に「アダム」という「生命の実」を持つ生命体を乗せて放った。彼は「白き月」という隕石に乗り。地球に飛来し、そこで自分の子どもとなるいくつかの生命体を育てるはずであった。
生命の実を持つアダムは知恵を持たないが、永久に生き、無限のエネルギーを持つ生命体だった。そして「生命の実」とは生物的な永久機関だ。

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それに対して、同じく第一始祖民族は「知恵の実」を持つ生命体「リリス」を地球とは異なる星に放った。しかし、生命の実を欲したリリスは、自身の乗る黒き月をアダムと同じ地球へと向けた。

白き月のアダムは先に地球に到着していたが、後を追って黒き月が地球に到着。勢いよく追突するとその衝撃で、アダムは大ダメージを受け自己修復すのため、長く眠ることになった。リリスも同時に永い眠りに入ったが、眠りに入る前に「リリン=人類」を生み、地球に放ち、死海文書という文章でこれから起こることを予言して、来るべき復活の時を待った。

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2014年、日本に飛来するアダムの子、使徒はリリスに接触することで、リリスとリリンを一掃する「サードインパクト」を起こすべく、人類に牙をむく、というのが旧作の設定だ。


2・新劇場の「生命の実/知恵の実」

さて、この生命の実と知恵の実、劇場版ではほとんど登場しないのだが、「シン・エヴァンゲリオン」の中で、実は設定が違うことがわかった。

知恵の実を与えられた生命体の運命は2つ。
①生命の実を与えられた生命に滅ぼされるか、②自らが生命の実の生命体を滅ぼし、知恵の実を捨て、新たな生命の実の生命体になることだ。

この話、使徒に滅ぼされる運命に逆らう運命の説明のように思って普通に見ていたし、「知恵の実」は聖書の設定同様の、知恵を得る代わりに、永久に生きられないということを指しているのだなぁ、と思って納得していたが、よくよく考えるとすごく変なのだ。

1・生命の実を食べた生命体は滅ぼした
第12の使徒が最後の使徒だった。カヲルが第13使徒になるというハプニングはあったが、最後の「生命の実の生命体」は倒された。
この時点で未だに「生命の実の生命体に滅ぼされる運命」から逃れられたはずなのに、引き続きフォースインパクトを起こさなくてはいけないのは何故か?

ゲンドウはユイに会うために補完を進めるのは理解するが、ゼーレが「我らの願いは既にかなった。良い。すべてこれで良い。人類の補完。やすらかな魂の浄化を願う」と言って、補完の進行を止めない。


つまり、生命の実の生命体を
全て倒しただけでは
運命からは逃れられないのだ。


2・人類補完計画の最終設定
旧作のゼーレの目指す<人類補完計画>は人類を「生命の実」と「知恵の実」の両方を持つ完全生命体にすることであった。

しかし、今回の<人類補完計画>は異なっている。

<知恵の実>を捨てて、<生命の実>を持つ生命体になる。

今回の人類補完計画では「知恵の実」は捨てるべきものであり、「生命の実」こそが運命に打ち勝つものになっているのである。

つまり、<生命の実>こそがすべてで運命に対して、<生命の実>が全く役に立たないことが記されている。


新劇場版の世界の中で「生命の実」と「知恵の実」は対になる実ではなく、「生命の実」が完全上位の存在となっている。



3・ゼーレの考える「死」

運命から逃れ慣れない「知恵の実を与えられた生命」であるゼーレの苦しみをよく表しているのは以下のゲンドウのセリフはこれだ。

ーあなた方も魂の形を変えたとはいえ、知恵の実を与えられた生命体だ。悠久の時を生きることは出来ても、われわれと同じく、訪れる死からは逃れられない。死を背負った群れの進化を進めるために、あなた方は我々に文明を与えてくれた。人類を代表し、感謝します。死をもって、あなたがたの魂をあるべきところへ帰しましょうー

ゼーレは悠久の時を生きることができる存在だが、「訪れる死」からは逃れられない。

これは2つの可能性が考えられる。

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1つ目は「寿命は永遠だが、肉体を損なえば死ぬ。」
つまりゼーレは機械化により老化しない存在だが、体やシステムに問題があれば死んでしまう。
冬月がゼーレたちを葬り去る時、機械を停止すると脳やせき髄など生物的な部分が見え停止する。このように、老化以外の死からは逃れられないという意味にとらえることができる。

2つ目は「死の概念が異なっている」。
ゼーレはシステムを落とさない限り死なない存在であるがゆえに、「魂が死んでしまった」まま生きることを「生」と捉えていないのではいか。
そして、その「魂の死」は「知恵の実」の持ち主である限り逃れられない。


私は後者だと思っている。なぜなら、前者が問題だとしても今までは生きてきたし、使徒が死んだ世界であれば、脅威も少なくなる。ほぼ、「死」の運命からは逃れられている。

第13の最後の使徒がいなくなった世界は本来、幸運に満ち溢れている筈だ。
つまり、「死」を克服したゼーレが一番恐れているのは「魂の死」であり、その「魂の死」はいずれ人類にも降りかかる筈なのだ。


4・知恵の実の生物の運命

実は、この生命の実と知恵の実の「生命の実の生物」が「知恵の実の生物」を一方的に狩るかのような構造について、早くに気づいていたが、知恵の実の生物である人間が全ての使徒を倒してもな襲い来る運命が何かわかっていなかった。

しかし、下の記事を書き終わったあとに気が付いたのだ。

あれ?渚カヲルだけじゃなくて、全ての生命の実を持つ生物は全てループしているんじゃね??????

新劇場版の生命の実の効果は「全ての生命の実の生物が滅びた時、再び運命はやり直す」という円環する生命が与えられているのではないだろうか?

つまり、

「生命の実」の生命体は全滅すると、
再び時間を超えて
円環する。

つまり、使徒を滅ぼしても
人類が「生命の実」を手に入れない限り、
時間は円環し、
また、使徒に支配されるだけの
運命に支配される。


この考えを確信したのは、渚カヲル以外にも円環にとらわれている存在を見つけたからだ。それが「碇ゲンドウ」である。

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「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で、渚カヲルがこういう。「碇ゲンドウー彼が今回の円環の中心だ」。
これは、渚カヲルが複数回経験する円環の中で「たまたま碇ゲンドウが中心にきた円環」になったのかと思ったが、ゲンドウもネブカドネザルの鍵を手に入れてから「円環」を複数回経験してると思われる発現があった。それは碇シンジが新劇場版では起こしていないインパクトについて「かつて、お前(シンジ)が行ったインパクトとことなり…と話すシーンだ。

つまり、碇ゲンドウは「ネブカドネザルの鍵」で生命の実と知恵の実を持つ存在になり、「円環」する側になったのだ。
銃で撃たれても死なないことを指摘されて「神は何も拒まない」と自身を神扱いするのはこのためである。

なお、「始まりと終わりは同じといわけか」という渚カヲルの発言は第12使徒が本来最後の使徒であり、次自分が再び第1使徒として生を受けることを強く認識ている発言であると同時に、その他にも決められたような「最後」が用意されていることを知っているような発言である。

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5・ゼーレと「リリスの契約」

さて、ゼーレは自分がいつまでも死なない体を持ちながら、永遠に生命の実の生物に一方的に狩られる「円環」の中でしか生きられないことを知っており、この円環から抜けることのみが「生」であり、この円環の中にとらわれている限り「逃れられない死」であると捉えていたと考える。

ゼーレが死ぬとき、碇ゲンドウの言った「諦観された神殺し」とは、この一歩的に狩られる円環の中から解き放すことを指していたのではないだろうか。

ゼーレは神の定めた円環から抜けることを諦め、「死」を以て、円環の仕組みから逃れることを試みたのではないだろうか。

そして、この円環から抜け出すための方法が「リリスとの契約」だ。

リリスの契約で明かされているのは、「決められた数の使徒の殲滅」だけだ。
ここからは「円環」する生命体から「円環」を取り戻す方法と考えると、道は1つ。「リリスの契約」に使徒の殲滅が描かれているのは、リリス以外の使徒を倒した時、最後の使徒となったリリスを生贄にし、インパクトを起こし、人類を次の「円環する生命体」へと進化させることを同時に行う。そうすると、本来は「リリス」が死に、再度「円環」が始まるはずが、全ての使徒を円環に閉じ込め、人類だけだが「円環の運命」から解き放たれると考える。

しかし、ゲンドウがネブカドネザルの鍵で自ら「生命の実の生命体」となった。
ゲンドウはユイを見つければあとは、人類を生命の実の生命体へとする<人類補完計画>を行うため、ゼーレの補完は達成される。

つまり、「死海文書の契約(=リリスの契約)改定の時がきた」とは、「リリスの契約から、碇ゲンドウの契約になった」ということを指している。



6・生命の書

円環を実現するものが「生命の実」であるなら、「生命の書」とは記憶を持ち込むシステムだと言える。

渚カヲルが「君は生命の書に名を連ねているからね。何度でも会うさ」と言ったのは、この円環の中で次の円環へと記憶を持ち込むためのシステムだと思われる。

これはずばり「生命の実を持った者の脳みそ」を指すと考える。

理由は2つ。

碇ゲンドウが頭を撃ち抜かれ脳みそが飛び散った後、その脳みそを自分の頭蓋骨の中へとわざわざ入れなおしたからだ。
不死身であり、もはや神の体となったゲンドウがわざわざ脳みそを戻すのは「意味があるから」である。
用意周到なゲンドウは今回のインパクトも失敗する可能性も加味して、次の円環に備えて、「生命の書」を集めなおしたのだ。

2つ目は「ネブカドネザルの鍵のロストナンバー」に頭がないこと。ネブカドネザルの鍵はおそらく「生命の実を持った体だけ」の存在であるため、円環の中にいるが、「魂」や「記憶」がない。

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これはまだ体のみで、魂や記憶の入っていない「エヴァインフィニティ」も同じだ。

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これに魂が入ることで顔ができるのだろう。




おさらい

●生命の実ー円環の中を生きることができる存在。使途などがこれに該当する。
●生命の書ー生命の実を食べたものの記憶。
●知恵の実ー善悪の概念と引き換えに「死の運命=円環の中で生命の実の生物に支配される」から逃れらえない生物
●リリスとの契約は改訂してゲンドウとの契約になった。


何故、円環が始まったか、いつ円環が起こるか、だれが円環をさせるのか、実際に円環するとどうなるか?ここら辺はまた別の機会に。

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