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涙が止めどなくあふれ出すことはなかった

祝日、敬老の日。むかごごはんにレトルトカレーをかけて昼食。そのあと、奥さんと林試の森公園に散歩に出かける。

武蔵小山駅は初めての駅。駅舎の隣りに高校がある。文化祭開催中。老若男女が校門の中に吸い込まれてゆく。通り過ぎ、住宅街が続く。住民の地に足の着いた生活を感じる町並み。

駅から15分ほど歩くと、林試の森公園に。デイキャンプ場、広場、アスレチック、じゃぶじゃぶ池、どこも子ども連れの家族で大賑わい。巨樹に囲まれた園内は涼しい。ケヤキ、クスノキ、ユリノキ、スズカケノキなど。虫取り網を持った親子が、林の間を徘徊している。地面には殻付きどんぐりがコロコロ転がる。中央の池では、5,6匹の亀が岩の上で甲羅干ししている。池から流れ出る小川沿いの道を進むと、川中の叢の陰に一匹の大ぶりの亀がいて、流れに逆らいながらのっしのっしと川を上っている。その亀の様子を、奥さんがスマホのカメラで収める。

期待したほど広い広場がなかったため、リュックに忍ばせたフリスビーの出番はなく、1時間足らずで周遊を終える。

周辺地図を見ると、私が幼少の頃住んでいた碑文谷まで徒歩圏内と分かり、急遽、予定を変更してそのあたりをまで足を延ばしてみる。

清水池公園にたどり着き、池の周りのベンチに座りながら、近くのコンビニで買ったアイスコーヒーなどを飲む。公園の池はヒラブナの釣り堀になっていて、年輩の男性たちが一様に池に向かって釣り糸を垂らしていた。幼少の頃の記憶を呼び起こす風景だった。3人ぐらいの釣り人の集団がいて、そのうちの一人が今日はこの辺で、と残りの2人に別れの挨拶をする。地元の釣り仲間か。誰もクーラーボックスを持っておらず、看板をよく見ると、キャッチ&リリース専用の釣り堀と書いてあった。引穏やかな午後の日差しの下、地元の顔見知りとともに、ただ魚を釣っては放すという、一見無為なひとときを過ごす。贅沢な時間の使い方である。

その後、私が通っていたカトリック系の幼稚園に立ち寄る。近づくにつれて、当時の記憶が想い出される。柵越しに園の中を覗くと、芋ほりをした畑があった区画が平地になっていたことを除き、学舎も、遊具も、屋外水泳プールまで、全てが当時のまま残っていた。敷地内の教会は一般開放されていて、扉が開いている。内に入ってみると、正面の教壇、白いマリア像、天井の壁画、ベンチ足元の跪き台、その全てが、毎朝お祈りをしていたあの頃と何一つ変わっていない。当時は、言葉の意味も理解せず、ただ指示されるがままに賛美歌を歌うすりをしていたが、教会内の厳そかな空間には、幼いながら感じ入るものがあった。その感覚が蘇る。教会の中には男性の先客が一人いて、ベンチに座り、ひとり静かに首を垂れ、小声で何かを唱えている。信者の方だろうか。お祈りの邪魔をしては失礼と思い、二人教会の外に出る。

幼稚園の通学路だったとちのき並木の通りを歩く。当時よく遊んでいた田向公園へ。この公園の夕方5時のチャイムは、今でも口ずさむ。公園の近所にかつての私の住まいがあったが、その建物は跡形もなく消え去り、代わりに見知らぬモダンなマンションに姿を変えていた。

碑文谷公園に行き、ボートが渋滞する池の周りをぐるりと周って、大通りに戻ってバスに乗る。

過去の土地を巡る行為には、自ら感傷に浸りに行くようなはしたなさが感じられて、今まで消極的だった。けれども、時の流れによって変わるものもあれば変わらないものもある、そんな当たり前のことが確からしく感じられて、思いつきで寄り道してよかったなと思う。

地元に帰ってきて、夕方手前の時刻、まだ夕飯には早かったが、いつものサイゼリヤに行って、しばらくお茶を飲む。直近の菊地成孔の粋な夜電波で、ファミレスドリンクバーのおすすめカクテルに、カルピス+白ぶどう(レモン)+ウーロン茶とあって、それ早速試してみようとドリンクバーコーナーに勇んでみるが、サイゼリヤのドリンクバーにはカルピスが無かった。デフォーの『ペストの記憶』の続きを読む。しばらくして窓の外が真っ暗になり、そのまま夕食にグリルチキンなどを注文して食べて帰る。

店を出ると、この世の終わりみたいな雨が降っている。二人とも傘は持っていない。どうする?と奥さんと顔を見合わせて、ずぶ濡れ覚悟で、二人して雨の中を走って帰る。コンクリートの道路はすでに水たまりがじゃぶじゃぶ池のようになっていて、靴がびじょびじょになる。

自宅後、そのままジムに行き、トレーニングしながら『ペストの記憶』の続きを再び。

埋葬人たちが男のそばに行ってみると、いま推測したような病に感染して絶望に駆られた人でもなければ、精神を蝕まれた人でもなかった。実は妻と何人もの子供を一度にあの車に連れ去られたあまりに重苦しく悲痛な思いに打ちひしがれていたのだった。車は先ほどこの男とともに墓地に入っていた。心の痛みと耐えがたい悲しみに駆られて、男はここまでついて来たのだった。彼が心底嘆いているのは見れば明らかだったものの、悲しみ方は男らしく、涙が止めどなくあふれ出すことはなかった。穏やかに、「ひとりにしてください」と埋葬人たちに頼み、「家族の亡骸が投げこまれるのさえ見られたら帰ります」と告げた。それを聞いた人々はしつこく注意するのを慎んだ。ところが車が反転し、亡骸が無差別に穴にぶちまけられるのを見た途端、彼は愕然とした。最低でも穴のなかに丁寧に並べてくれるものと想像していたのだ。そうするのは無理だと、あとで説明を受けていたが。それでもこの光景を見た途端、もはや抑え切れなくなった男は大声で叫んだ。なにを言ったのかは聴き取れなかったけれど、彼は二、三歩あとずさりし、気を失って倒れてしまった。

ダニエル・デフォー(著),武田将明(訳)『ペストの記憶』研究者,p.78

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