【小説】水上リフレクション6

第六章【もつ鍋とゴールデンバット】

昨日【華美】を出た後、【アトリエ】で飲み会をした。誠二は酔っぱらって歳三のアパートに泊まっていた。汚いケツをボリボリ掻きながら、まだ歳三のベットで寝ている。
「おい、早く起きろ」
歳三は誠二のケツを蹴飛ばしてやった。
「痛ってーなんばすっとか!」
誠二は悲鳴らしき声を上げ、、ベットから飛び起きた。目をパチパチさせながら歳三を見ている。その顔は、昨日【華美】で美鈴にやられたビンタの後がまだくっきりついていた。そのマヌケさはもう漫画の世界だ。
「もう、九時だ。出かけるぞ」
「いつもの図書館か?」
誠二がゴールデンバットに火をつけ、、アホ面で聞き返す。
「バカ!今日はレース場に練習を見に行くって言っただろ。美鈴ちゃんが特別に入れるように、許可を貰ってくれたんだから早く行くぞ」
「おぉ、そうやったな。俺たちもピットの方まで行けるんやろか?」
「それは無理だな。お前がいつも舟券を買って見てるフェンス越しから見るんだ」
 誠二はそれなら、いつもと変わらないという表情で落胆していた。
若手の選手は、、和也のように実力がなければ斡旋は少ない。そのためその開催のレースには出場しなくても、前検日には地元のプールを使ってターンの練習やレース感を養う。
通常、一般人は練習を見ることなどできない。しかし今回は美鈴が特別に許可をとってくれた。その感謝の気持ちもなく、、誠二は服を着替えていた。
「行く前にもつ鍋定食ば食って行こうや。俺が奢るけんくさ」
「朝からもつ鍋かよ」
昨日も誠二は【アトリエ】での支払いを全部、自分で済ませていた。正真正銘、誠二の奢りだった。そして前回の【アトリエ】で歳三に借りた金もきれいさっぱり返してきた。金を返さなかったことはないが、いつになく返済が早いことに歳三は驚いていた。いつもは僅かな年金でピーピー言ってる誠二には珍しいことだった。そして今日も朝飯を奢ると言っている。歳三は金回りのいい誠二が不気味だったが、少し格好良くも見えた。
「とりあえず風呂に入ってこい。出かけるのはそれからだ」
「今から風呂?面倒臭いけん早よ行こうや」
「お前、今度は《臭い》って美鈴ちゃんにまたビンタ食らうぞ」
その言葉で誠二は、昨日のことを思い出したようだった。そそくさと汚いパンツを脱ぎ捨て風呂場へと走って行った。
これは使える。歳三はニヤリと笑った。誠二をコントロールするのに最強の武器を得たと思ったからだ。美鈴の女子プロレスラー顔負けのビンタだ。
 

二人はタクシーでレース場に向かった。その車中で歳三は誠二に気になっていることを聞いた。
「昨日【華美】にお前を呼んだのは美鈴ちゃんか?」
「そうばってんが、それが?」
「いや、よく美鈴ちゃんがお前の電話番号を知ってたなと思って」
誠二はおもむろにゴールデンバットを取り出し、火を着けようとした。もちろんタクシーの車内は禁煙だ。歳三は誠二を制止した。
「最初に【アトリエ】で会った時に交換したったい」
「そうか・・・。それから、お前よく金、持ってんな」
誠二はまたおもむろにゴールデンバットを取り出し、火を着けようとした。歳三は今度は誠二からタバコを取り上げた。
「それはな・・・場外(他の競艇場のレース)の舟券ば買うてみたら、それが大正解。万舟ば取ったけんね。俺もたまには当たることがあるとよ」
「そうか」
 

タクシーで走ること十分弱。二人はレース場の正面玄関についた。今日は明日から始まるレースの前検日なので、お客さんは誰もいない。二人は美鈴の名前を出して警備員の確認後、場内へと通された。
いつもとはうって変って、飲食店や舟券販売機もすべて閉まっている。観客の喧騒もなく異空間に来たような、、不思議な感覚に陥った。二人はすぐに外のフェンスまで行き、日が差し込む水面を見渡した。
「なんだかいつもと全然違うな。逆に楽しくなってきたばい」
「とりあえず今日は千晶ちゃんの走りをじっくり見よう。俺たち素人じゃ分かることは少ないが、千晶ちゃんの一生懸命さを、練習の時点から応援するんだ」
「あぁ、分かったばい」
隣には三十メートル程先に、スーツにメガネの男がいた。二宮だった。二宮はビデオカメラを準備し、練習が始まるのを待ち構えていた。歳三は、二宮に声を掛けようとしたがやめた。そのかわり歳三は誠二に言った。
「なぁ誠二。昨日の二宮の態度がどうも引っかかるんだ。もしかして俺のことを知っているんじゃないか」
その問いに誠二は歳三の肩をポンと叩いた。
「二宮は根は悪いやつじゃなか。ただ千晶ちゃんのために、一生懸命になるのは二宮にとっては苦痛かもしれん。それでもあいつは千晶ちゃんを心の底から応援したいったい」
誠二はいつなく真剣な表情だった.

「おい、ひまじぃ。ピットから二艇が出てきたばい」
「あぁ。どうやら赤のカポックが千晶ちゃんみたいだな」
「黒のカポックは美鈴ちゃんが言いよった男の練習相手やろ」
「そうみたいだな」
そして誠二は男子レーサーを双眼鏡で見て驚いたように言った。
「おい、あれって・・・進藤和也やなかか!」
興奮したように誠二が続ける。
「進藤といえば、この間のSGで準優勝戦までいった男ばい。そげな男と練習できるなんて千晶ちゃんもラッキーやな」
「そうか。それは楽しみだな」
興奮する誠二をよそに歳三は冷静だった。自分の役目は千晶自身のこと。いわば自分との闘いをサポートすることだったからだ。練習相手はあまり関係ないと歳三は考えていた。そんな歳三を見て誠二が言った。
「お前、なんか冷めとるごたーね。もっと気合ば入れんと!」
歳三はその言葉に反応はせず
「双眼鏡を借りていいか」と誠二に言った。
歳三は表情や仕草で、なんとかヒントになるものを探そうとしていた。その為、ヘルメットのシールドは透明の物を使用するよう事前に千晶に伝えていた。
いつもはこのヘンテコ双眼鏡、、が目障りで仕方なかった歳三だが今日は宝物のように思えた。
 

千晶と進藤和也は何やら話をした後、どんどん加速し、歳三たちの前を通過して行き、プールを三周してピットへと戻って行った。
「おい、ひまじぃ、どうだった?」
「(どうだった)ってお前こそどう思ったんんだ」
「俺は素人やけん分からんばってんが、やっぱターンの迫力がSG級の選手に比べたら全然、弱いごたぁ気がするな」
「そうか。俺も気になる所だが、それは進藤君に任せよう」
そして誠二の最初の質問に答えた。
「俺が見た感じ、千晶ちゃんはプレッシャーにかなり弱い気がする。表情は固いし、レバーを握る手も少し震えていたようにも見えた」
「ばってん、これは練習ばい。プレッシャーを感じることはなかろもん」
「普通の選手だったら違うかもしれないが、相手はSGレーサーだ。多少は緊張するだろう。練習でこれだと、本番のレースはもっときついかもな」
「そんなもんかね。俺は相手が強かほど燃えるばってん」
「もっと千晶ちゃんと会話して、正確や考え方を把握することが重要だな」
そして歳三が横に目をやると、二宮はビデオに撮った映像を見ながら何やらメモをし、パソコンに入力していた。それは一生懸命に見えたのだが、歳三には誠二の言った(苦痛)という言葉が引っかかっていた。

歳三と誠二は練習を見終わりレース場の裏門を出た。
「ひまじぃ、ちょっと腹が痛たかぁ。便所に行ってくるばい」
「分かったから早く行って来い。ここで待ってるぞ」
そこにちょうど、帰り支度をした千晶が別の裏口から出てきた。 歳三はすぐさま声をかけた。
「千晶ちゃん」
「あっひまじぃ!」
歳三は早いほうが良いと思い、千晶に話をしないかと持ちかけた。
「ごめん。今から家に帰って支度した後、ちょっと用事があるんだ。明日なら大丈夫だから連絡するね」
「そうか、分かったよ」
 その時、千晶の目線の先は、歳三の手元に注がれていた。
「何それ。そんなかわいい、小さなバックを持って。顔に似合わないよ」
千晶は歳三の持っている弁当バックを指差しそう言った。
「これはいつもレース場に来るときの俺の昼飯さ。そうだ練習の後でお腹すいてるだろ。余ってるから食べないか」
千晶は不審気にバックを見つめていた。
「中身は何~?」
「サンドイッチだよ」
「サンドイッチ・・・じゃあ貰うね。後でゆっくり食べるから。ありがとう」
そう言うと千晶は弁当バックを受け取り、歩いて帰って行った。
そこに誠二がズボンを上げながら走ってきた。
「悪りぃ、遅くなって。なんか昨日から下痢気味なんよなぁ」
「そんな汚ない話は聞きたくないんだよ」
と歳三は誠二の頭を叩こうとしたが空振りした。誠二が前のめりになり、目を細めて、千晶の歩いて行った方を見ていたからだ。
「おい、あっちにかわいい子が歩いて行きよるばい。ナンパでもしに行こうか」
「バカかお前は。娘でもおかしくないような子に声をかけてどうすんだ! 気持ち悪るがられて通報されるぞ。しかもその年でナンパとは情けないよ。そんなことより、飯でも行くぞ」
歳三がそう言って、背を向けると誠二が猛烈な強さで、歳三の肩を叩いた。
「痛てっ!何すんだよ」
歳三が振り向くと誠二はまたあの双眼鏡を使いその子を見ていた。
「お前!やめろって言ってるだろ。レース以外でその双眼鏡を使うな」
だが誠二はその言葉には耳も貸さず、バックの中からボートレーサーの選手名鑑を取り出しパラパラとめくり始めた。
「やっぱ、そうばい。あの子は女子レーサーの桐原結菜ばい。来とったんやね。どおりでかわいいと思うたばい」
桐原結菜といえば美人レーサーランキングで、常に千晶と上位を争っている選手だ。実力も拮抗していた。
「サインば貰ろおてこようかね」
「おい、やめとけよ。プライベートで来てるかもしれないだろ。それより早くメシを食いに行くぞ」
歳三は、後ろ髪をひかれて、だだをこねる誠二を引っ張ってレース場を後にした。

そして桐原結菜は千晶の後を追うように歩いて姿を消した。

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