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鬼女紅葉神社と巫女

街中で、母と話している。私は、しばしば名古屋の実家にある、父の形見のクルマに乗って、主に西日本へ出掛けており、いつものようにどこそこへ行くという話をした。

今回は、伊賀の山中に行こうか、そこはまた今度にするか、といった話で、そうした話をした後、街中で母と別れた。

私はこの後、結局伊賀の山中へ向かう。そして、かつて山岳修験で栄えたと思われる、神仏習合色を留めた神社へ参拝した。日はまだ高かったが、鬱蒼とした森の中にあるのか、境内は少し暗い。

神社の名は、「鬼女紅葉神社」という。

建てられてからかなりの時間を経過したと思われる木造の拝殿は、正面以外の三方の壁がなく、ところどころに柱があって天井を支えている、神楽殿や能舞台のような造りだ。

その拝殿の、入口中央、辛うじて屋根の下かどうかというところに立つ。ここで、何がしかの神事が行われており、拝殿に五、六人くらいの参列者がいる。「鬼女紅葉神社」とはいうものの、参列者は全て男である。その点を少し訝しく思った。

ある参列者が、複数の御朱印帳を揃え、神職に差し出した。そして、差し出した参列者が、何冊の御朱印帳を差し出しますというような意味の、あまり長くない祝詞を唱えた。

私もまた、前に進み出て、複数の御朱印帳を神職に差し出した。そして、同じように祝詞を唱えようとしたが、神職に祝詞は唱えないで良いと言われたので、唱えずに、元の位置へ引き下がった。

そうして神事が進行するうちに、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。神職に、まぶたを指で上下にこじ開けられて、目が覚めた。

「これなら3mmでいいだろう」

というような言葉を、神職が言ったかと思うと、小さなトゲのようなものを取りだした。3mmというのはそのトゲの長さのようである。

そのトゲに、墨を付け、私の左頬に、渦巻きのようなものを描く。カイゼル髭の末端を大きく渦巻くようにしたものが、黒々と描かれた。

私は寝ぼけていたので、されるがままにそれを受け入れた。どうも、拝殿の床に横たわっていたのを、半ば抱き起され、墨で髭を描かれたのだが、描き終ったところで、肩を掴まれ、しっかりと起こされて、元のように立たされた。それで、意識は元のようにはっきりとした。

私の左隣の参列者も、眠ってしまったようで、同じように神職に肩を掴まれて起こされ、立たされていた。

神事の最中にこのように眠ってしまっても、ここでは特に問題のあるような行為ではなく、注意されたりすることもなく、無言で起こされ、立たされた。神職も、特に険しい表情はしていない。この神事では、参列者が眠ってしまう事もままあるようだ。

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ここで目が覚めた。鬼女紅葉というのは、信州戸隠・鬼無里に伝わる鬼女である。私は若い頃からその伝説に魅かれ、かれこれ十八年程追っている。鬼女紅葉について、WEBサイトを作り、個人出版の書籍も出して、商業誌にも記事を書いた。

しかし、鬼女紅葉を伊賀と関連付けて考えた事は一度もない。近隣の伊勢・近江の国境にある、鈴鹿峠に出没したという鬼女・鈴鹿御前については、似たようなところがあるなと思ったことはあるが。

寝ぼけながらも、我ながらそこが不審であったが、そうこうしているうちにまた眠気が襲って来た。

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私はクルマの後部座席右側、運転席の後ろに座っている。左側には、母が乗っている。
そして、クルマを運転しているのは、緋袴を穿いた、割と若い巫女さんだ。

既に日は落ちている。この巫女さんが、これから我々を送って行ってくれるらしい。ありがたいことで、ここで「巫女さん」と敬称を付けているのは、ありがたいなという思いが初めからあったからだ。

場所は、割と街中であるようだ。少し離れた場所に灯りが見え、すぐ近くは灯りもまばらなので、街の外れなのかもしれない。

巫女さんは、クルマを運転して、そのまま神社の建物の一部のようなところに突入した。木造の建物である。社殿というよりは、道場という雰囲気だった。

薄暗い、古い木造の建物中に、巨大な天狗の面がいくつか見える。ここは「修験道場」らしい。夜でも建物の中が見えるという事は、内部に灯りが点いているということだが、人がいたのかどうかは分からない。

また、この巫女さんが、おかしな行動を取ったとも、我々は感じなかった。むしろ然るべき行為のように感じた。クルマで建物に入ったのにも関わらず、特に損傷するような事もなく、何事もなかったかのように、クルマは再び外に出た。

ここで、我々は一旦クルマを降りた。送ってもらう道中も長い事だから、途中で喉も渇く。だから私は自販機を探したのだが、周囲には見当たらない。

「巫女さんもお茶を飲みたいと思うが」

と私が口にすると、母は、

「巫女さんはお茶なんて飲まないだろう」

というので、結局何も買わず、近くの駐車場のような場所で待機しているクルマに乗り込んだ。

巫女さんは、いくらも走り出さないうちに、再度停車して、やや困ったようなような険しいような表情で、何か言いながら、足元に両手を伸ばして動かしている。

どうやら、雪駄の鼻緒が切れたらしい。しかし、巫女さんは、歯を食いしばって、ふんぬと鼻緒を引っ張って縛り、雪駄を履けるようにした。

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ここで再度目が覚めた。初めの夢の伊賀の山中の神社と、二回目の夢の修験道場は、非常に深い関係があり、里宮と奥宮のような関係あるように、ぼんやりと思われた。そして、初めの夢と二回目の夢は一続きの夢であると、これまた寝起きのぼんやりした頭の中で、少しも疑いのない事実というような確信を持っていた。

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ヘッダー画像は、長野県長野市戸隠にある、紅葉稲荷神社である。ここは鬼女紅葉の伝承地だ。ただし、神社名は「紅葉稲荷神社」であって、夢に出て来た「鬼女紅葉神社」ではない。夢のような、人が何にも入る事できるような社殿もない。

また、写真は年に一度の祭の際のものなので、神職と多くの参列者、紅白の幕、神饌(お供え)などが映っているが、日頃はお供えや幕はなく、人に出会う事も滅多にない。

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こちらの写真は、群馬県沼田市にある、修験道場・迦葉山弥勒寺である。京都の鞍馬寺、東京の高尾山とともに「日本三大天狗」と呼ばれるほど、天狗で知られており、殿内にこのような巨大な天狗の面がある。初めの夢の社殿も二回目の夢の道場も、こういった雰囲気であった。ただし、初めの夢のような、壁がない造りではない。社殿の入口が大きいので、多少オープンな雰囲気はあるが。

なお、迦葉山弥勒寺は、神仏習合色の濃い霊場であるが、曹洞宗の寺院である。

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隣県・栃木県の鹿沼市にも、このように大きな天狗面のある、古峯神社がある。こちらは神社であるが、社殿はかなり大規模であり、また割と新しい感じがある(実際の建造年代は分からないが、仮に古くとも相当整備していることは間違いない)。初めの夢も二回目の夢も、かなり時間の経過した事がすぐに見て取れるものだったので、雰囲気は異なる。

とは言え、迦葉山も古峯神社も、わずか二、三週間前に参拝したばかりであり、記憶に新しい。それでこの二つを思い起こした。

(令和二年八月二十三日の午前に見た夢)

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