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偏見と妄想のガタンゴトン


6月下旬の蒸し暑く、空がどんより曇っていた日の早朝7時45分の出来事だった。

家を出た私は2人の娘を最寄り駅までの道中にある保育園に預け、最寄り駅までの道のりを急いでいた。

高級住宅街とマンションのある歩道を早足で歩く人をさらに早足で抜かし、地元の人のみぞ知るような駅まで細い近道をすり抜け、踏み切りのカンカンと鳴り響く遮断機の、ゆっくりと威圧的に降りてくる遮断棹をすり抜けて線路と反対側の駅の出入り口から地下の改札を通り抜け地上のホームへと上がった。

いつもの電車の出入り口のいつもの電車内の場所に行くために、エレベーター口の付近の、電車の出入り口が足元に示された特定の箇所で止まり、ホームに駆け込んでくる電車に乗り、いつもの場所で立つ。

そしてホームに入ってくる電車のプシューとエアの鳴り響く両開きのドアが開いたと同時にその場所へ行き、クーラーの効いた車内で一息をつく。

微かに、そして確かに蒸れてベトっとなった背中とお腹に嫌気を覚えながら、額に出てくる汗をカバンの中のタオルを取り出して吹いた目線の先に彼は存在していた。

否、堂々と屹立していたと言った方がニュアンス的にフィットするかもしれない。

僕の目線の先の4、5メートルの所、狭い車内で吊り革を握りしめながら、「保健体育」とデカデカと書かれた、おそらく高校の大判の教科書を開き、彼はその内容を熟読していた。

学校の夏服を着ている。
頭は坊主が伸びた状態の素敵な無造作ヘア。

後ろ髪の一部分が、ピンと逆立ち重力に逆らっている。

我々が「寝ぐせ」と呼んでいるそれだ。

彼は黒縁のメガネをかけて、おそらく視力は両方とも0.5以下であろう。

レンズが微かに曇っている。
しかし、そんなことはお構いなしに、保健体育の大判の教科書をデカデカと開き、やはり熟読しているのだ。

背中には大きな黒のバッグが、「何がそんなに詰まっとんねん」と、関西人では無くても関西弁でツッコミを入れてしまいたくなるくらいパンパンに膨れ上がっている。

背中の黒のバッグの後ろのハジにあるプラスチックの輪っかからは、おそらく体育館などで体育をやる際に履くであろうシューズの入った巾着袋が紐で括られて空中でブラブラと揺れている。

いつしか僕は彼の虜になっていた。

ここから本題かつ私の得体の知れない好奇心と共に文章に忍び寄った妄想の結果を楽しんで頂きたい。

おそらく彼は高校2年生であろう。

名前はおそらくサトウタロウ君。おそらくだ。

運動神経はおそらく苦手で、体育のサッカーではディフェンダーを任され、試合形式では1回もボールに触れないタイプだ。

触れたとしても、蹴ったボールが明後日の方へ飛んでいき、余儀なく試合を中断させるタイプだ。

世の中には考えるより先に行動したいタイプの人間がいるが、彼はその真逆だろう。

頭にまずは論理をしっかり詰め込み、自分の中で論理の組み立てが理路整然と出来上がってから動くタイプだ。

否、論理が理路整然と出来上がっても、「いや、待てよ、論理のどこかにもし1つでも欠陥が発生していたら全ての積み上げが意味をなさなくなる」と頭でごちゃごちゃ考えて結局、行動をしなくなるタイプだ。

それであるから、数学などの理系科目にはめっぽう強い。

数学の青チャートなんかの例題は、3回通りは済ませてしまい、演習問題にまでしっかりと取り掛かるタイプだろう。

微分積分に感動し、数列にのめり込み、行列はお手のもので、そのうち青色チャートは全ての例題と演習問題を満遍なく終わらせてしまうであろう。

ベクトルに出会ったとき、彼は少し苦しくなるかもしれない。

この「向き」と「大きさ」を合わせ持つ概念であるベクトルには、生徒の間で、または巷で「恋愛ベクトル」という冗談じみた概念を教師から冗談混じりに教えられる。

4組の○○ちゃんの恋愛ベクトルの向きは2組の○○くんで大きさはこのくらい、だけど○○君の恋愛ベクトルは○○ちゃんに向けられず、3組の△△ちゃんにこのくらいの大きさで向けられている。

こう言った具合に。

高校生の男女間では、この恋愛ベクトルがいろんな方向へいろんな大きさで飛び交っており、複雑系を成している。

そんな複雑系の中にいることを彼も悟る。

そして、以下のことをさらに悟るのだ。

頭のいい彼は、キャッキャと休み時間の廊下で蒸れて騒いでいる可愛い女子たち、あるいは全ての女子たちの恋愛ベクトルが彼には絶対と言っていいほど向けられていないことに。

だから行動よりまず論理から入ろうとする彼は、恋愛においてもやはり論理から入ろうとするのだ。

どうしたらモテるのか。

生物学的な根拠が欲しい。

「女子」という論理は、または意味とは、そして概念とはなんなのか。

彼がモテるための生物学的な根拠が知りたい。

そのために、期末テストのこの時期、保健体育の授業は彼にとってちょうど良い教材であったのだ。

ここには男女の違いや、体の構造が絵と図でわかりやすく示されている。

全て理解すればテストも点数が良くなるし、「女子」を知ることができる。

そのように「論理的に」検討した彼は、電車の移動時間という「スキマ時間」に保健体育の大判の教科書を熟読していたのだ。

ひたすら口パクで、大判の教科書の本文を黙読している。

ようやく彼という人間に対しての理解が深まったのかもしれない。

私から彼に一言だけ、一言だけアドバイスしたいことがある。


社会に出たら、「保健体育」は、「思いやり」なんだよ。

「思いやり」とはなんだろう。

おそらくそれは、「センス」であり、気づくことなんだ。

センスとは、人の気持ちに気づくことなんだよ。

センスとは、坊主が伸びた髪の毛の寝ぐせは滑稽なんだと気づくことなんだ。

センスとは、パンパンのリュックサックを背負って電車内に立っていたら、後ろの人にリュックが当たったり、人が通れないなと気づくことなんだ。

センスとは、「保健体育」の大判の教科書を熟読することと、女子からモテることは「ねじれの位置」にあることに気づくことなんだ。

そしてセンスとは、どうやら磨くことが出来るらしい。

君はまだ若い。

僕もまだ若いが社会に出てから、多少は悟った内容があり、それをささやかな気持ちで君に伝えたい。

君は学者になるかもしれないし、他の道に進むかもしれない。

恋においては前途多難が待ち受けているかもしれないが、焦らずに失敗を繰り返しながら「気づき」を深めてほしい。


他意はない。


期待している。


一言のアドバイスをと言いながら、老婆心の如く、色々と伝えてしまった。

まだ私もおばあちゃんになるには程遠い年齢なのだが。

そして電車の乗り換えのため、私は彼の乗った車両から降りた。

ホームから彼のいる車両内を除くと彼はまだ例の教科書を熟読している。

そして、彼の乗る電車は動き出す。

彼のカバンから吊り下げられたシューズの入った巾着袋は、電車のガタンゴトンの揺れに合わせて、所在なさげに揺れていた。

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