見出し画像

西川美和「永い言い訳」を読んで

 この物語は、妻を事故で亡くした主人公が忘れていた、また嫌いになっていた”愛”を取り戻す話だ。主人公の幸夫は、クズで薄情で傲慢で自意識過剰で未熟な人間だ。基本的に自分のことにしか興味をもたず、他者の気持ちを想像することなどはしない。私は、この主人公に自分を重ねてこの話を読んだ。
 主人公が、その愛を取り戻すきっかけになったのは、妻の友人でともに亡くなった女性の子供たちとの生活である。その生活は、主人公にとってどのような意味を持ったのだろうか。充足感を得るためのものか、居場所となるためのものか、もしくは愛を得るためのものだったのだろうか。いずれにせよ、子供たちは主人公にとって、かけがえのない、愛する存在となる。主人公は、一度子供たちと離れることで、その想いに気づき、より強いものとしたである。
 私が印象に残ったシーンは2つある。一つ目は運動会の日、大宮宅を出て、バーのトイレで吐いたあとのシーンである。ある男は主人公に、踏み外したことのある人間にしか言えない言葉があり、それによって救われる人もいるという趣旨のことを言った。これは、踏み外した人間にとって希望となる言葉になりうる。私がこの言葉が印象に残り、また、感動したのは、なにより、私が主人公の言葉によって救われたためである。
 もう一つは、この物語のクライマックス的なシーンと思われる、陽一を迎えに真平と主人公が電車に乗っているシーンだ。主人公は真平に、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放してはいけないという。主人公は謙虚さというもの少し覚えたのかもしれない。主人公は、その人生のなかで幾度となく人と別れてきたのだろう。それに傷つきながらも、見栄や意地を張って、傲慢に生きてきた。また、それを自覚しながらも、そういう風にしか生きられなかったのだ。しかし、妻を失い、子供たちまでも失いそうになったとき、気づいたのだ。いや、主人公は、気づいていたのかもしれないが、それが自分の言葉になったのだ。少し謙虚になれたために、他者の存在のありがたさを実感する。それがつまり、人生とは他者だという言葉の意味だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?