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みかんの色の野球チーム・連載第23回

第3部 「事件の冬」 その6

 
  だが、私たちの意気込みとは裏腹に、特別捜索隊の夜の活動は、その必要性を失った。
 午後5時過ぎ。八幡神社から帰宅した私を待ち受けていたのは、母の口から出てきた、予期せぬ知らせだったのだ。
「良かったなあ、太次郎。昨日から行方が分からんようになっちょった、おまえの友だちのユカリちゃんが、中央町で見つかったち、さっきPTAの役員さんから電話があったんじゃあ」
 思わぬ朗報に、私は驚き、喜び、ホッとしたあまり、全身から力が抜け落ちて、へなへなと茶の間の絨毯の上に座りこんでしまった。
「今日の4時頃、中央町の勝山病院の前にユカリちゃんがおるところを、見廻り中の消防団の人たちが見つけて、保護したんじゃあと。ほんとうに良かったなあ」
 母は、とても嬉しそうだった。
 もちろん、私も同じだった。大好きなユカリが、無事に保護されたのだから! 自分を悩ませていた情報の秘匿が、大事を招かずに済んだのだから!
でも、どうして、勝山病院の前で? 意外な場所での事件の解決を不思議に思った私が訊ねると、母は一転、表情を曇らせて答えた。
「それがなあ……、ユカリちゃんは、1人じゃ無えかったんじゃあと……。フォクヤンといっしょに、おったんじゃあと……。フォクヤンがユカリちゃんを背負うて、病院の前に立っちょるところを、消防団の人たちが見つけて、捕まえたんじゃあと……。ユカリちゃんはそのまま病院の中に運ばれて入院して、フォクヤンは警察署に連れて行かれたんじゃあと……」
「やっぱあフォクヤンじゃったんか! ユカリをさろうたんは!」
 思わず、私は大声を上げた。人さらいの噂は、ほんとうだったのだ!
「まさかなあ……。フォクヤンがなあ……。そげな恐ろしいことをする人間とは思えんのじゃあけんどなあ……」 
 誘拐犯を擁護する母の言葉を無視して、私は立ち上がり、電話に飛びつくと、受話器を取ってブッチン宅のダイヤルを回した。3回目のコールで、彼は出た。
「おう、俺じゃあ。今、ウチのかあちゃんから聞いたんじゃあけんど、ユカリが見つかったんじゃあちのう。犯人はフォクヤンじゃったっちのう」
「おう、俺もさっき、高木先生から聞いた。やっぱあ俺どーの勘は当たっちょったのう。やっぱあフォクヤンのやつは人さらいじゃったのう」
「おう、じゃあけんど、どげえして勝山病院の前じゃったんかのう。彦岳の山小屋じゃあ無えかったんかのう」
「おう、俺もそいつを不思議に思うちょったところじゃあ。どげえしてかのう。もしかしたら今晩のテレビのニュースに出るかもしれんのう。まあ、これで、特別捜索隊の任務は終了じゃあ。明日からまた、学校が始まることになったし。ペッタン、ヨッちゃん、カネゴンにも、俺から電話しちょくわい」
「おう、頼んだぞ。ほんじゃあまた、明日のう」
 そう言って、私は電話を切った。果たして、今夜7時からのOTV大分テレビジョンのニュースに、ユカリの誘拐事件は採り上げられるだろうか。
 
 午後7時、母がテレビのチャンネルを「4」が真上に来るように回した。
 丸いチャンネルには、12も数字がぐるりと並んで付いているのに、津久見市の視聴者が実際に観ることができるのは、3つだけ。「1」のNHKと、「3」のNHK教育と、あとは東京の民放の系列局である「4」のOTV大分テレビジョンだ。(※注)
 いつもの日なら、まだ仕事中の父も、今日ばかりは早めにコタツに入り、じっと画面を見つめている。
 ふだんはニュース番組などにはまったく興味を示さない2人の妹たちも、今朝の学校でそれぞれのクラスにも刑事さんの聞き取り捜査が入ったとあっては、事件の詳細を知らずにはおれないといった表情だ。
 しかし、待望の「ザ・ニュースおおいたセブン」が始まっても、衆議院議員選挙の立候補者の届け出の締め切りがいつだとか、激動する中国情勢がどうのこうのとか、いつものメガネの男性アナウンサーは、小学生にはチンプンカンプンの話題を読み上げるばかり。
 やがて画面にコマーシャルが流れ始めたのを見ると、私はコタツを出て、便所へ行った。暖房のまったく無い空間は寒く、今ごろフォクヤンも警察署の牢屋の中でガタガタ震えているのだろうかなどと想像しながら小用を足していると、扉の向こうから、
「おーいっ、太次郎! 始まったぞーっ!」
 父の大声が聞こえたので、私は慌てて用を済ませ、ちょちょいと手を洗って、ささっとタオルで拭き、便所を飛び出して、テレビの前に舞い戻った。
「……津久見市で行方不明になっていた女子児童に関するニュースです。昨日の下校途中から行方が分からなくなっていた津久見小学校6年生の深大寺ユカリさんは、本日10日の午後4時頃、同市中央町の勝山総合病院前の路上に、老人男性と2人でいるところを市内の消防団員2名によって発見され、無事保護されました。ユカリさんは右の足首を捻挫し、顔や手に軽いかすり傷を負い、現在同病院に入院して治療を受けていますが、担当の医師によると、その他の健康状態にまったく問題はなく、意識もしっかりしているとのこと。なお、いっしょにいた老人男性は津久見警察署に連行され、同署内で事情聴取を受けていましたが、その後のユカリさん自身による証言から、実はこの男性が、山道で転んで右足首を捻挫して動けなくなっていたユカリさんを見つけ、山中にある小屋まで背負って運び、暖を取らせ、食事や水を与え、その夜充分な睡眠を取らせた後に、今日の午後から再びユカリさんを背負って下山し、治療を受けさせるために市内の同病院まで歩いて運んできたことが判明。津久見署は、ただちにこの男性を釈放しました。ユカリさんを遭難から救ったこの老人男性は、同市で廃品回収業や炭焼き業を営む、住所不定・年齢不詳のFさん。また、ユカリさんが遭難した山は、津久見市・佐伯市・上浦町・弥生町の2市2町の境に聳える標高639メートルの彦岳で、学校からの帰りに、なぜユカリさんがこの山を登っていたのかは明らかにされていません。ユカリさんの父親で、矢倉セメント株式会社の津久見工場長を務める深大寺和宏さんは、世間をお騒がせして誠に申し訳なく思っております。娘の捜索に全力を上げてくださった警察署、消防署、消防団、並びに教職員組合の皆様はもちろんのこと、娘の命を救ってくださったFさんには心から感謝申し上げており、ぜひともお礼の気持ちを形にして差し上げたいと思っている次第ですと、語っているとのことです」
 ニュースを読み上げたメガネのアナウンサーの顔がテレビの画面から消え、再びコマーシャルが流れ始めたそのとき、パチパチパチパチという拍手の音が母の両手から鳴り響き、
「やっぱりフォクヤンは、いい人じゃったんじゃなあ……」
 しみじみとそう語る彼女の目は、涙で潤んでいた。
「人さらいやら悪口を叩くバカもんがいっぱいおるけんど、見てみい、こげな立派な人間じゃったんじゃあ、フォクヤンは」
 父もまた、感心しきりの表情で、母に同調した。
「にいちゃん、良かったなあ、彼女が無事に見つかって」
 智子が、例によって冷やかすように言い、
「へぇーっ、このユカリさんちいう人、にいちゃんの彼女じゃったんなあ」
 郁子がつられて声を上げたが、私は妹たちを怒る気にはなれなかった。
 なぜならば、依然として、大きな謎に頭を支配されていたからだ。
 われわれ特別捜索隊の睨んだ通り、やはりユカリはフォクヤンといっしょに彦岳の山小屋の中にいた。
 だが、われわれの予想と決定的に違っていたのは、ユカリが自ら進んで彦岳に登ったという点だ。
 真冬の厳寒の中を、あんな高い山に、なぜ?
 みんなといっしょの遠足ならいざ知らず、1人ぼっちの下校時に、なぜ?
 行き先を、誰にも告げずに、なぜ?
 それが明らかにされていないと、ニュースの中でアナウンサーが述べていたが、それもまた、なぜだろう?
 分からない。まったく分からない。
 謎を追いかけようとする私の思考は、
「さあ、メシじゃ、メシじゃあーっ!」
 という父の大声に、虚しく掻き消されてしまった。
 
 

 
(※注)3年後の1970年に、もう1つ民放系のテレビ局が開局したときは嬉しかった。その6年後、大学進学で上京した筆者は、東京のテレビの放送チャンネル数の多さに腰を抜かした。田舎と首都の情報量の差を知り、愕然としたのである。


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