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みかんの色の野球チーム・連載第1回

プロローグ

   初めて飛行機を見たのは、12歳の春だった。
 漫画とか、映画とか、テレビに出てくるやつじゃない。本物の飛行機だ。
 いまから40年も昔。ここから1000キロも遠い、東九州の小さな港町。昼前の花曇りの空を、ブゥーンとプロペラの音を響かせて、そのセスナ機は飛んできた。
そして町じゅうに、瓦屋根の家々に、道を行く人々に、丸刈りの私の頭上にも、数えきれないくらいたくさんのオレンジ色の紙をまき散らしていった。
 夢中で拾ったそのチラシを、私はもう持っていない。けれど、そこに印刷されてあったことはいまも鮮明に覚えているし、この先、一生忘れることはないだろう。
 それは、地元の野球チームへの、祝福のメッセージだった。
 もう52歳になった私の心の中では、飛行機と野球が仲よく同じ引き出しに入っているのだ。
 不思議なものだ。あれから40年が経ち、あの町から1000キロも離れた東京に暮らしているのに、ここ調布市の多摩川の河川敷では、視線を上に向ければ近くの飛行場を離陸した機影が早朝の夏空をよぎっていくし、横を眺めればどこかの草野球チームが練習に汗を流している。
自宅から往復するだけでも50分近くかかるというのに、愛犬との散歩に毎朝この場所を訪れるのは、私が過去の記憶に操られているのかもしれない。
「ブッチン」
 愛犬に、私は声をかけた。
「そろそろ帰ろう。会社に遅刻しちゃうからな」
 牡4歳のダルメシアンは、すくっと立ち上がり、私と並んで歩き始めた。ブッチンは、いい子だ。私の言うことを理解してくれるし、何よりも従順だし。毛色が白地に黒のブチ模様だから、ブッチン。名づけの理由は、ただそれだけではないのだが。
 まだ朝の7時前だというのに、気温はぐんぐん上昇している。今日も暑い一日になりそうだ。草野球の練習はいつまで続くのだろうか。
 ふと目をやると、若いピッチャーがハンカチで顔の汗を拭っている。それが青いハンカチなのを見て、思わず私は笑ってしまった。あの夏の甲子園ブームが、調布ではいまも続いているのか。(※注) 
 
40年前。小学6年生の私の視線の先でマウンドに立っていた投手は、顔を拭くハンカチなんか持っていなかった。
ニキビだらけの面に、分厚いレンズのメガネをかけ、噴き出る汗をものともせず、ただひたすらに投げ続けた。
 そして、試合のたびにチームを勝利へ導いた。
 彼には、魔球があった。現代では誰も、そのボールを当時の名前で呼ぶことはない。
 ドロップ。
 昭和42年の春、大分県立津久見高等学校野球部のエース、吉良修一の投げる魔球ドロップは、面白いように縦に曲がり落ち、面白いように三振の山を築いた。
 そう、私はいまも鮮明に覚えているのだ。
 生まれ育った、あの田舎町のことを。
 段々畑をオレンジ一色に変えた、たわわなみかんの甘い実りを。
 真っ白い石灰山の岩肌に炸裂した、ダイナマイトの凄まじい轟音を。
 コバルトブルーの海に突き出した、ギザギザの海岸線を。海に浮かぶ、船と島々を。
 言葉は荒っぽいが心根の優しい、人口4万足らずの市民たちを。
 大人たちの無償の愛情に見守られた、無軌道で幸福な日々を。
 ときには恐怖のどん底に突き落とされた、未開の地の少年時代を。
 夢や失望、喜びや怒りや悲しみ、発見や成長や達成、危険や挫折や恥や痛みをともにした、純真無垢なる幼馴染たちを。
 そして何よりも、市民たちの最大の誇りであり、押しも押されぬヒーローであり、まばゆいばかりの輝きを放つ至宝に他ならなかった、津久見高校野球部を。
地元名産のみかんの色でストッキングを染めた、まさに「オレンジソックス」と呼ぶにふさわしいユニフォームを格好よく着こなした、監督と選手たちの勇姿を。
 彼らの目覚しい活躍と、成し遂げた空前の快挙を。
 それらが巻き起こした、歓喜と狂乱の10日間を。
 あの頃、あの年、あの月、あの日、あの時、あの地で生じたさまざまな事柄は、時間と空間の遥かな隔たりの中を、細くて長い一本の糸を通じて、現在の私と確かにつながっている。そして、その記憶の糸を、甘酸っぱい感傷や恥じらいとともに、私は時おり手元に手繰り寄せたりするのだ。意図的に、あるいは無意識のうちに。
 
私と愛犬は、帰り道を歩き続ける。目の前にコンビニとファミレスが見えてきた。そこの交差点を渡って右へ曲がると、自宅まであと少しだ。朝の日差しは強く、気温はますます上がり、体じゅうを汗が包んでいる。帰ったらシャワーを浴び、朝食を取って、都心まで1時間ちょっとの通勤だ。
 道路を渡ろうとしたそのときだった、どこからともなく声が聞こえてきたのは。

――タイ坊、生きちょんか。――

 それが空耳なのかどうかは、私にはどうでもいいことだった。忘れもしない、その声の主。ブッチンだ。愛犬ではなく、私の幼友達、吉田文吾こと、ブッチンの声だ。
幼稚園の2年間と小学校の6年間。偶然と偶然が重なってずっと同じクラスにいたブッチンが、家族の次に長い時間を共有したブッチンが(だからこそニックネームを愛犬の名前に頂戴したのだが)、私の耳ではなく、心の中へ話しかけてくる。

 ――タイ坊、生きちょんか。――

 少年時代とつながっている細くて長い糸を、私は再び手繰り寄せ、糸電話のように口に当てた。
「ああ、生きちょんぞ」
 空を見上げて、私は答えた。
「タイ坊こと、石村太次郎。故郷を離れて34年。今日も元気に生きちょんぞ」
 私の声は、届いただろうか。
 私の中で、12歳のままのあどけない笑顔を浮かべている、古い友へ。
 私がいくつ歳をとっても、いつまでも色あせることのない、思い出の人たちへ。
 私の人生で、いちばん幸福だったと確信している、輝かしいあの日々へ。
 
 
 
(※注):高校・大学・プロ野球で活躍した斎藤佑樹さんが、2006年度の夏の高校野球甲子園大会で早稲田実業を優勝に導いた。試合中にマウンド上で、折りたたんだ青いハンカチで汗を拭うしぐさから「ハンカチ王子」の愛称が付けられた。翌年に「ハニカミ王子」としてブレイクしたのが、ゴルフの石川遼選手。
 


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