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みかんの色の野球チーム・連載第34回

第4部 「熱狂の春」 その6
 
 
 正真和尚の言った通り、甲子園は2日続けて、雨。
 そして、マンモス球場に日差しの戻った4月5日の午後、私たちはいつもの金子電器店球場に集合していた。
 準々決勝は、すでに2試合が終わり、高知が熊本工を2‐0で、甲府商が市和歌山商を1‐0で降し、ともにベスト4進出を決めていた。
 いよいよ、これから、第3試合。
 津久見対県岐阜商の、プレーボール目前。
 テレビ画面を食い入るように見つめる15人の観客たちの前で、両チームのスターティング・ラインアップが発表された。
 
 先攻の、津久見。
 1番、レフト、大田。
 2番、センター、五十川。
 3番、ショート、矢野。
 4番、ライト、岩崎。
 5番、セカンド、前嶋。
 6番、キャッチャー、山田。
 7番、サード、山口。
 8番、ファースト、広瀬。
 9番、ピッチャー、吉良。
 
 後攻の、県岐阜商。
 1番、セカンド、四至本。
 2番、ショート、岩田。
 3番、ライト、高橋隆。
 4番、センター、坂。
 5番、ファースト、稲山。
 6番、レフト、田島。
 7番、サード、桜井。
 8番、キャッチャー、高橋康。
 9番、ピッチャー、細野。
 
 期待の先発メンバーの顔ぶれに、早くも15人は沸いた。
「今日も吉良か! 浅田は投げんのか!」
「雨で2日延びて、吉良は休養充分じゃあわい!」
「もし打たれても、浅田が控えちょるけん大丈夫じゃあ!」
「2人もエースがおって、頼もしいのう!」
「おりょーっ、山口が7番に下げられちょる!」
「前の試合は6番でノーヒット。それで下げられたんじゃあ。小嶋監督も厳しいのう!」
「甲子園に行くまでは、通算打率4割3分2厘で、堂々の4番じゃったけどのう!」
「甲子園に行ってからは、練習でもスランプじゃあち! どげえしたらいいんかのう!」
「やったーっ! ユキにいちゃんが先発じゃあ! とうとうレギュラーじゃあ!」
「倉敷工戦での一発が評価されたのう! 監督は調子のいい者をどんどん使うけんのう!」
「じゃあけんど、守備要員がクリーンアップで、果たして打てるんじゃろうかのう!」
「打てるように応援せんとのう! なんまんだぶ! なんまんだぶ!」
「おっ! プレーボールじゃあ! それ行けーっ! つーっ! くーっ! みーっ!」
 
 1回の表、津高の攻撃。
 トップバッターの大田が、ストレートのフォアボールで、早くも出塁。
「よう見た、大田! さすがは津高の1番じゃあ!」
 続く五十川への第1球は、なんとワイルドピッチ。キャッチャー後逸の間に、大田、すかさず二塁へ。
「やった、やった、儲かったーっ! 早くもチャンス到来じゃあーっ!」
 五十川、送りバント、みごとに成功。これで、ワンナウト三塁。
「よっしゃ、よっしゃ、きれいに決めた! よっしゃ、よっしゃ、おまえはエライ!」
 ここで打席には、3番の矢野。カウント1‐1からの3球目、三塁走者の大田が猛然とスタートを切り、外角低目の直球を、矢野が上手くバントで転がした。スクイズ成功だ。
「やったーっ! 先取点じゃあーっ! ノーヒットで、1点もぎ取ったーっ!」
 
 1回の裏、津高の守り。
 県岐阜商の1番、四至本を、吉良は速球で早々とツーストライクに追いこみ、最後はドロップで三振。
「おーっ! 今日の立ち上がりは、なかなか、いいぞーっ!」
 続く2番の岩田も、同じくドロップで三振。
「おおーっ! 今日の立ち上がりは、そうとうに、いいぞーっ!」
 3番の高橋隆も、やはりドロップで三振。3者連続三振で、早くも攻撃を終わらせた。
「おおおーっ! 今日の立ち上がりは、めちゃくちゃに、いいぞーっ!」
 
立ち上がりだけでは、なかった。
 4日前の対・倉敷工戦に比べ、吉良の出来は格段に良かった。
 伸びのある速球を内外角に巧みに投げ分けて、県岐阜商の打者を追いこみ、ウイニングショットのドロップがストンと落ちて、バットに空を切らせた。
 4回の裏が終了した時点で、早くも奪三振7個の快投だ。
「今日の吉良は、安心して見ちょられるのう」
 ブッチンが言うと、
「このままの調子じゃと、三振15個は行きそうじゃあのう」
 ペッタンも余裕で応じ、
「ユキにいちゃんが内野のカナメにおるけえ、吉良も心強えじゃろうのう」
 ヨッちゃんも得意顔のコメント。
「じゃあけんど、1点だけじゃ分からんぞ。早う、追加点を取っちゃらんとのう」
 カネゴンは、浮かれていなかった。
 その言葉の通り、吉良のピッチングの冴えとは対照的に、津高の打線は相手の細野投手の前に沈黙を続けていたのである。
 好投の吉良がもしも打たれたら、試合がこの先どうなるか、まったく予断を許さないことになる。
 早く来い、追加点のチャンス。
 誰もがそう願っていたが、来たのはピンチだった。
 
 5回の裏、県岐阜商の攻撃。
この回の先頭打者、5番の稲山のバットに、吉良のストレートが完璧に捉えられた。
 快音を残した打球はライト方向へグングン伸び、右翼手岩崎の頭上を越えて、ラッキーゾーンの手前で落ちた。
「やられたーっ!」
 テレビ観衆たちの悲鳴をよそに、稲山は一塁ベースを蹴り、二塁ベースも回る。やっとボールに追いついた岩崎からの返球を中継したショート矢野。だが、その送球も虚しく、ランナーは悠々三塁へ達した。
 ベース上に立ち、ガッツポーズの稲山。三塁側スタンドから、大きな歓声と拍手が巻き起こる。
 この試合、吉良が初めて許した安打は、長打。しかも三塁打だった。
 ノーアウト、三塁。試合の中盤に訪れた一打同点のピンチに、金子電器店球場の15人は静まり返った。
 画面が、一塁側ベンチに切り替わる。右足を踏み出すように立ち、戦況を見つめる小嶋監督。その手に握られた、ジュースの缶。
 その中身は、ウイスキーなのか。ピンチを凌ぐ、秘策が出るのか。
 だが、酒仙のニイちゃんは動かず、画面は再びマウンド上の吉良へ。
 次打者、6番の田島と対峙した長身メガネのエースは、三塁走者の動きを警戒しながら、キャッチャー山田のミットへ速球を投げこんでいく。
 スクイズの気配は見られず、2つのストライクを得た吉良。こうなれば得意のドロップが落ちる。田島のバットが空を切り、三振。
「ほーっ……」
 テレビの前に、安堵の息。しかし、まだまだ、一死三塁。
 続くバッターは、7番の桜井。
 こんどはスクイズありと見たのか、吉良、初球からドロップ。2球目もドロップ。
 カウント1‐1となり、次の3球目、吉良の左足が上がると同時に三塁ランナーの稲山がスタート。呼応してバントで身構える桜井。だが、外角に大きく落ちる吉良のボールをファウルするのがやっとだった。
 カウント2‐1からの仕切り直し。ここで一転、岐阜商ベンチは強攻策に出たが、吉良のドロップにかろうじて当てた打球はセカンドゴロ。名手前嶋が捕球と同時にバックホームして、ランナーを封殺。
 これで二死一塁とした吉良は、続く打者をも退けた。
「やった、やった、ピンチ脱出じゃーっ!」
「良かったのう、良かったのう。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 15人の顔に、笑みと活気が戻った。
 
 相変わらず打線は追加点を奪えなかったが、メガネのエースは踏ん張った。
 6回の裏は、3人でピシャリ。
 7回の裏の、一死二塁のピンチでも、決め球のドロップで後続の2打者を撃退。
 8回の裏も、ドロップ、ドロップ、ドロップで、3者を凡退させた。
 
 そして、9回の表。念願の追加点が入った。
 先頭の大田がヒットで出塁すると、続く五十川とのヒットエンドランがみごとに決まり、ノーアウト二塁三塁。3番の矢野は凡退したが、4番の岩崎がセンター前に弾き返して、三塁から大田が2点目のホームイン。
 ここへ至っての追加点は、事実上のダメ押し点となり、県岐阜商の意気をくじいた。
 9回の裏は、スイスイと気持ちよく投げて、ゲームセット。
 終わってみれば、合計13個の三振を奪った、吉良のドロップ・ショーだった。
 
 恒例の、勝利監督へのインタビュー。
「伝統校の県岐阜商を相手に、2対0の勝利で、ベスト4進出。おめでとうございます」
「はい。おめでとうございます」
「県岐阜商打線を、2安打完封。今日は、吉良投手の好投に尽きますね。最大のピンチは、5回の裏のノーアウト三塁の場面でしたが、監督、あのときのお気持ちは?」
「はい。吉良が私のサイン通りに、きちんと投げてくれました」
「ベンチからサインを? どんなサインを送られたのですか?」
「簡単なやつです。私が缶ジュースを右手に持ったら、直球。左手に持ったら、ドロップ。それだけですよ。あ、しゃべってしまった。もう明日からは使えませんね」
「なるほど、缶ジュースが良く効いた訳ですね」
「はい、良く効きました。いい気分です。酔っています」
「は……? 酔って……?」
「いえいえ、吉良の完封劇に酔っているのです」(※注)
「なるほど、なるほど……」
 またしても、酒仙のインタビューだろうか。
 とにもかくにも、春夏を通じて初のベスト4進出の快挙。金子電器店球場の観客たちは、笑顔、笑顔、笑顔でいっぱいだ。
「おい! ビールとジュースを出せ! みんなで祝杯じゃあ!」
「はいよ! 今日はもう祝勝閉店のまま! 明日も勝たんとなあ!」
 カネゴンの両親が、意気の合ったところを見せた。
「ふっふっふっ」
 禿げ頭のカネゴン爺ちゃんが笑い、
「ほっほっほっ」
 白髪頭のカネゴン婆ちゃんも和した。
 緊迫の勝負の場から、歓喜ほとばしる宴席へと変わった、金子電器店の茶の間。
 その26インチのテレビ画面の中で、報徳学園のカモシカたちが躍動を始めていた。
 
 2時間後、オレンジソックスの準決勝の相手が決まった。
 5対2で、報徳学園の勝ち。
 あの平安を打ち破った新居浜商も、カモシカ打線の機動力を封じることはできなかったのだ。
 こいつは、たいへんな試合になるぞ。
 スケッチブックのトーナメント表に今日の試合結果を書きこみながら、私の視線は、早くも明日のグラウンドへ注がれていた。
 
 
 
(※注)もちろん、ウイスキーにも酔っていたのである。

 

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