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みかんの色の野球チーム・連載第35回

第4部 「熱狂の春」 その7

 
 
「今日勝ったら、甲子園に行くぞ」
 朝食後のちゃぶ台で、父が言った。
 一瞬、私は意味が分からなかった。津高はすでに甲子園にいるし、今日勝ったら、行くのは決勝戦だろうに。
「聞いちょるんか、太次郎。今日の試合に津高が勝ったら、甲子園に応援に行くっち言いよるんじゃあ」
「えっ!」
 驚く私に、父は言葉を重ねた。
「センバツが始まってから、『豊後交通社』の観戦ツアーが人気らしいんじゃあ。津久見駅の前から、甲子園球場直行の貸し切りバスが出よって、倉敷工戦の前夜も、県岐阜商戦の前夜も、数台のバスが出発したっち聞いちょる。昨夜も、大勢の市民たちがバスに分乗して、今ごろ甲子園に向こうて走りながら、報徳学園に絶対に勝ってみせるぞっち、気勢を上げよることじゃろう。今日の試合に津高が勝ったら、明日の決勝戦の応援に、俺どーも今夜出発する。分かったか、太次郎。15時間の長旅はきついかもしれんが、それが津久見市民としての、当然の務めじゃあ。心しちょけ」
 
 金子電器店の茶の間も、甲子園観戦ツアーの話題で持ちきりだった。
「中央町の商店会は、もう豊後交通社に申し込みを済ませちょる。ウチの隣のガラス屋も、メガネ屋も、時計屋も、オモチャ屋も、魚屋も、肉屋も、八百屋も、菓子屋も、酒屋も、乾物屋も、呉服屋も、パチンコ屋も、自転車屋も、本屋も、文房具屋も、蕎麦屋も、ラーメン屋も、寿司屋も、床屋も、パーマ屋も、金物屋も、みーんな行くち言いよる。ウチからも、ワシと女房と息子2人がバスに乗る。じいちゃん、ばあちゃん、留守番たのんだで」
 カネゴンのとうちゃんがそう言うと、
「俺も、とうちゃんと、甲子園に行くんじゃあ!」
 ペッタンが元気のいい声を出し、
「俺も、とうちゃんと、ねえちゃんと、観戦に行くんじゃあ!」
 ヨッちゃんも嬉しそうに主張した。
「実はのう、俺も、かあちゃんと行くんじゃあ! かあちゃんの勤めよる缶詰工場の会社の社長さんがのう、みんなが毎日頑張って働いてくれよる褒美じゃあち言うて、従業員と家族の旅費をぜーんぶ出してくれることになったんじゃあ!」
 ブッチンもまたニコニコ顔で、ツアーの参加を表明し、これで仲よし5人組が勢ぞろい。私は、最高に嬉しくなった。
 続いて、カネゴンの弟の、友だち3人も、
「俺も!」
「俺も俺も!」
「俺も俺も俺も!」
 競うように大声を上げた。
 最後に口を開いたのは、正真和尚。
「こないだ立花町の安兵衛爺さんが亡くなったばかりじゃあちいうのに、今朝、中田町の磯部さんとこのチヨ婆さんがポックリ逝ってしもうた。それで今夜、お通夜をのう。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
「おう、それはまた気の毒な。あんたも残念じゃなあ、甲子園に行かれんで……」
 私の父が言うと、
「いや、お通夜を頼まれたんじゃあけんど、あいにく今夜と明夜は都合が悪いち言うて、明後日に延ばしてもろうた。じゃあけん、ワシも今夜、バスに乗るでえ。津高の応援のためなら、ホトケさんも許してくれるじゃろう。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 信じられない返事を、和尚がした。
 ということで、ここに集まった人たちのうち、13人が、今夜津久見を出発。
 だがそれは、あくまでも今日の試合に勝利した上での話だ。
 そのとき、カラーテレビのスピーカーからサイレンの音が鳴り響き、26インチの画面に、準決勝第1試合の終了シーンが映し出された。
 なんと、11対1の大差で、高知が甲府商を破り、明日の決勝戦に駒を進めたのだ。
 恐るべし、黒潮打線!
 
 そして、午後2時前。
 運命の第2試合に臨む、両チームのスターティング・ラインアップが発表された。(※注)
 
 先攻は、津久見。
 1番、レフト、大田。
 2番、センター、五十川。
 3番、ショート、矢野。
 4番、ライト、岩崎。
 5番、セカンド、前嶋。
 6番、サード、山口。
 7番、ファースト、広瀬。
 8番、キャッチャー、足立。
 9番、ピッチャー、吉良。
 
 後攻は、報徳学園。
 1番、セカンド、吉田。
 2番、ファースト、太田。
 3番、ライト、米田。
 4番、センター、安田。
 5番、レフト、寺尾。
 6番、キャッチャー、大西。
 7番、サード、佐藤。
 8番、ピッチャー、森本。
 9番、ショート、加藤。
 
 津高の先発投手は、今日も、吉良。
 県岐阜商を完封した、昨日の見事なピッチングを再現してくれるだろうと、小嶋監督が期待しての連投だろうか。
 そういえば、今朝の大分日日新聞スポーツ面の「今日の見どころ」欄は、津久見対報徳学園を「キラーボール対カモシカ打線」と表現していた。吉良のボールを「キラーボール」とは上手いシャレだと感心したが、果たしてカモシカたちは、ドロップの落とし穴という罠に掛かってくれるだろうか。
昨日と違うのは、キャッチャーを山田から足立に代えて8番に入れ、山口と広瀬の打順を1つずつ繰り上げた点だ。
 キャッチャーの変更は、山田が過去2試合ノーヒットと当たっていないからだろうか。甲子園でまだヒットが出ていないのは、キャプテンの山口も同じだ。6番の打順で、今日こそは本来の豪打を発揮してくれるだろうか。
前嶋選手は、今日も、5番セカンドで先発。甲子園に来るなりレギュラーに定着するとは、さすがは強運の持ち主だ。そのラッキーボーイぶりを、この試合でも披露してくれるだろうか。
 そして、去年の夏の甲子園大会の1回戦、この相手に喫した3‐8負けの無念を、新生オレンジソックスは晴らしてくれるだろうか。
私があれこれ思案している中、主審がプレーボールを告げた。
 
 1回の表、津高の攻撃。
 報徳先発のアンダースロー森本の前に、トップバッターの大田、セカンドゴロ。
 2番の五十川は、ライトフライ。
 3番の矢野は、三振に倒れ、あっという間にスリーアウト。
「はああ……」
 金子電器店球場に、ため息がもれた。
 
 1回の裏、津高の守り。
 報徳1番の吉田をピッチャーゴロに、2番の太田をセカンドゴロに仕留め、今日も吉良の立ち上がりは上々と、15人の観衆がホッとしたのも束の間、3番の米田にフォアボールを与えて、ツーアウト一塁。
 相手の機動力を警戒するあまり手元が狂ったのか、ここでなんと吉良、一塁へ牽制悪送球。ボールがファウルグラウンドを転々とする間に、走者の米田は一気にサードベースを陥れた。
「あああーっ!」
 15人の悲鳴。
 だが、変調はこれにとどまらない。続く4番の安田に、吉良、またしてもフォアボール。ツーアウト一塁三塁のピンチに、
「ああああーっ!」
 悲鳴は高まる。
 そして次打者、5番の寺尾への2球目を投じたとき、一塁ランナーの安田が二盗に成功。これでツーアウト二塁三塁と、早くもカモシカたちに蹂躙されて大ピンチ。
「あああああーっ!」
 茶の間に響く悲鳴の中、しかしエースは踏ん張った。伝家の宝刀キラーボールが打席の寺尾の目前でストンと落ち、空振り三振。
「ほーっ……」
 15人は、安堵の胸を撫で下ろした。
 
 2回からは、息づまる投手戦となった。
 吉良は、1回裏の乱調が嘘のように立ち直り、5回の裏まで報徳学園打線をノーヒットに抑えた。投球の半分以上をドロップで落とし、カモシカ打線からすでに7個の三振を奪う力投ぶりだが、球数が80とやや多いのが、心配といえば心配だった。
 報徳学園の森本もまた、1回からの好投を持続させた。下手投げから、内外角の低目にコントロールされたカーブとシュートを上手く使い分け、5回まで津久見打線にヒットを1本しか許さず、三振は5個を奪った。球数も54という、快調なペースだ。
 
 6回の表、津高にチャンスが到来した。ワンナウトから、ピッチャーの吉良が自らレフト線を破るツーベースを放ち先制のお膳立てをしたが、後続の大田と五十川が凡打して、無得点。
 その裏、報徳学園が好機を掴んだ。この回先頭の太田がレフト前にヒット。続く米田はライトフライに倒れたが、次打者の安田のピッチャーゴロで、ランナー二塁へ進塁。しかし最後は寺尾が三振して、無得点。
 
 7回の表、津高、無得点。その裏、報徳、無得点。
 8回の表も、津高は、無得点。その裏、報徳も、無得点。
「ついに9回まで、0‐0のまま、来てしもうたのう……」
 私の父が、焦りにも似た呟きをもらした。
 
 そして9回の表、津高の攻撃。
 この回の先頭打者、吉良が三振。打順は1番に戻ったが、大田がファーストへのファウルフライで、早くもツーアウト。
「はあーっ……」
 落胆する、観客たち。しかし、ここで2番の五十川が、センター前ヒットで出塁した。
「たのむー。何とか、してくれー」
 その、何とかを、3番の矢野がやってのけた。
 好投する報徳の森本のカーブを捉えた打球が、レフトの頭上を越えていったのだ。
 一塁から快足を飛ばして、五十川がホームイン。ついに均衡を破った。1点先取だ。
「やったーっ!」
「点が入ったーっ!」
「これで勝ったーっ!」
 長らく続いた重苦しい時間から解放され、金子電器球場は大いに盛り上がった。
 次打者の岩崎がセンターフライに倒れ、追加点は取れなかったが、
「1点あれば、充分じゃあーっ!」
「吉良の出来なら、充分じゃあーっ!」
「勝った、勝った、もう勝ったーっ!」
「おーいっ! ビールとジュースを出せーっ!」
 もうたいへんな浮かれようで、ほんとうにビールとジュースが出て来た。
「さーて、吉良ちゃん、ビシッと締めてねー。ごくごくごく、ぷっはー」
 と、カネゴンのとうちゃん。
「キラーボールで、ちょちょいのちょい、じゃあ。ごくごくごく、ぷっはー。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 と、正真和尚。
 
 だがしかし、カモシカ打線は、そんなに甘くなかったのだ。
 
 
 
 
(※注)この試合には2人の「おおた」が出場するが、津久見の1番打者が「大田」、報徳学園の2番打者が「太田」である。
 
 

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