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ドサクサ日記 10/16-22 2023

16日。
移転して再オープンした札幌のカウンターアクションで弾き語り。Discharming Manの蛯名さん、NOTWONKの加藤君のソロ(SADFRANK)、そしてマレウレウの3組を迎えてのライブ。3組のファンでもあるので、どの方位からも楽しかった。蛯名さんが演奏した岡林信康のカバー「私たちの望むものは」。人間の存在はまったく美しい何かではなく、その危うさや醜さ、というかそうして言語に分化できない未明ものまでが表されたようなアウトロのノイズがとても美しかった。加藤君の演奏はいつでも奥行きがあって素晴らしい。マレウレウはいつも特別な宇宙を感じさせてくれる。俺は俺で精一杯歌った。物販では皆、一応に感謝の意を伝えてくれたけれど、音楽は聴く人や楽しむ人がなくては成立しない。助けられているのはこちらのほうで、見つけてくれてありがとうと思う。アンコールが最高だった。

17日。
前夜から咳がひどくなった。札幌に来てからは体調の変化に気がついていたので、誰とも食事には行かず、もちろん打ち上げなどにも参加せず、部屋でじっとりと茸のように過ごした。帰りくらいはと千歳空港で松尾ジンギスカンを食べる。美味しいジンギスカン料理店が星の数ほどある時代になったが、松尾は松尾としか呼べない独特の味があっていい。インディ時代から食べ繋いできた知恵、みたいな味。

18日。
名古屋公演を飛ばしてしまった。残念で悲しい。様々な思いは「お詫び」という文章にまとめさせてもらった。GUGのライブはとても良かった。Zeppというキャパを震わせるに十分な楽曲のクオリティと演奏だったと思う。そして、これからも、そういう楽曲を作り、演奏し続けることができるバンドのひとつだと思う。当時に見かけた「桶川の泣き虫ウィーザー」というキャッチコピー。むむむ、と思ったことを覚えている。俺らのほうがウィーザーだろうと、どうしようもないライバル心を抱いたのだった。しかし、音源を聴くうちにすっかりファンになってしまった。そうした彼らとこのタイミングでがっつり対バンがしたかった。俺たちの演奏は中途半端なものになってしまったけれど、彼らは音楽は昔から少しも変わらず、もちろん経年変化はあるけれど、この夜もキラキラとしたスーパーバンドだった。

19日。
喉の専門医の診察を受ける。「22日には一応歌えるようになるが21日歌ったら22日はうなだれるだけしかできない。今週の公演は延期できるならそうしたほうがいい」ということだった。とても残念だった。点滴を受け、大量の薬を処方された。目眩がするくらいの量の飲み薬を抱えて家に戻る。熱は完全に下がった。声は出ない。喉よりも身体全体がバキバキであることが辛い。倒れるようにして寝た。

20日。
声を出さないようにして、静かに過ごす。夕方から整体の予約があったので、施術を受けた。背中も肩もバキバキだが、四十肩の症状は少しずつ良くなってきていると感じる。喉の不調は風邪が原因だけれど、四十肩の夜間痛による睡眠不足が原因でもある。半年以上もまともに寝られていなかったことが、ジワジワと体力を奪ったと実感している。少しずつ、眠れる時間が長くなってきたのが不幸中の幸い。

21日。
ソロまわりの音源で予期せぬトラブルがあったので、スタジオでミックス作業。海外の一流のエンジニアと仕事をすると、自分の癖というか、悪癖、ルーズにしているところが露になって恥ずかしい。もちろん、いい部分も見つかった。改めてエンジニアリングにはラッキーがあまりなく、実直に、手を抜かず、誠実にやったことだけが答えとなって帰ってくるのだと思った。クリエイティブには運の側面が少なからずある。間違ったことが結果的に成功になる場合もある。とはいえ、そういうラッキーは準備していたやつにだけ訪れる。ミキシングや録音はそういうわけにはいかない。同じことを何度もできてこその「技術」だからだ。エンジニアに求められているのはそういう仕事。その土台があってこそ、クリエイティブな発想が活きてくるのだ。まぐれのヒットで何度も打席が回ってくるような仕事ではない。

22日。
引き続き、療養。寝てるだけというのも辛い。喉は完全に潰れるところまで歌わなかったので、快方していることがわかる。以前に四日市で無理をしたときは岐阜公演が飛び、ぶっといステロイドを打ちながら名古屋2dayを行い、その影響はその年だけではなく、翌年まで喉の調子がおかしかった。ある種の無鉄砲さは若さの特権でときどき羨ましくもなるけれど、経験がもたらしてくれるものもある。