見出し画像

地方大学は解くべき「問い」の整理を求められている

教育は、AIの進化により、これまでの「教える」から「学ぶ」に主体が変わります。「学習者主体」です。
学習者を教えることに主体とした学習、つまり、受動的な学習ではコンピュータには勝てないからです。
その潮流を表すキーワードは「脱・正解主義」「脱・自前主義」「脱・予定調和」「脱・一律一斉」です。
さらに、これらを日本の地方大学について考えると「デジタル」「標準化」「実質化」を求めていくことになります。

コロナで地方にやっと追い風が吹きました。その上で、政府が脱・東京一極集中を図れば、むしろ東京周辺は大変でしょう。地方は地元志向が高まれば競争相手は少ないので、ひと息つけます。
先日、地方トップ進学校の高校教員が「都会と地方では教育が異なる」と言っていましたが、その地方の教育を考えたときに、地域の教育をリードする地方国立大学がリージョナルセンターとしてナショナルセンターとして機能しているのかは問い直されるべきでしょう。学習機会の確保のために学習内容を標準化して一部の国立大学や私立大学を公立大学にしてしまった方がいいのではないでしょうか。
この混乱の中で早く地歩を固めるにはオンラインという飛び道具を自在に使ってアライアンスを組んで豊かな講座提供をしていくようなことも考えられるでしょう。

いかに学生がありがたいと思うことができるか、いかに「学習者本位」であるかです。オンラインという利便性もありがたいことでしょうし、経済的な負担を軽くすることもありがたいことです。なによりも自信を持って社会に飛び出していけるように学ぶことこそが学生がもっともありがたがることではないでしょうか。そして、ラーニングアウトカムを実質化することが求められることになるでしょう。「なにを理解できるようになったか」「なにができるようになったか」。それらを実質化しなければ学ぶ意欲を喚起できなくなるのではないでしょうか。

もう何年も(20年かぁ)18歳人口の減少は続いており、今後、さらに減少していきます。
高校新卒者を対象としないことに活路を見いだすなんてことはこの20年間ずっと言われきたことですが、さて、大学はなにができたでしょうか。既に、オンライン学習事業は企業のものになっています。大学はそこに参入することは可能でしょうか。

教育は社会の影響を大きく受けます。その一方で社会を変えるのは教育です。
また、教育を変えるには時間がかかります。タンカーの舵を切るようなものとも表現されます。
AIの進化、高度なデジタル化、デジタルオリエンテッドな発想などなど、デジタルなくしてこれからの社会を語ることはできません。
さて、教育は、大学は、そして、社会はどのように変わることができるのでしょうか。
いまデジタルトランスフォーメーションを叫ばれ、社会構造が転換を求められています。それにともない、教育はなにを求められるのでしょうか。

こうした問いに答えていかねば、少子化の中で、既存の大学は必要とされなくなるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?