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はじめての懺悔〜ひとりでできるもん〜

はじめまして。タン塩スモークと申します。

美大のデザイン科を今年の3月に卒業致しました。現在デリヘルで働いています。

コロナにより巻き起こった烈しい就職乱気流に呑まれる友人達の断末魔を聞きながら、膨らみゆく“仕事したくない欲”に身を任せ、就活戦争をノームーブで見送る生活を送っていたら、

美大卒ニート

になっていました。困った。なんだか普通のニートよりやばそうなのがやばい。

仕事したくない欲が強すぎたせいか、唯一の収入源であったバイト先は潰れました。

それからの生活といえば、niconico叡明期のゲーム実況者だった父親から譲り受けた、ひょんな事では挫けない、丈夫なヲタク心を最大限に活用し、現実逃避を繰り返しました。

芸人に嵌りオンラインライブを見漁る毎日。お笑いは、現実逃避にぴったりでした。
どんな境遇でも面白いものは面白いのです。


しかし!!!!!!!!!!!



金は



なくなる!!!!




すぐなくなる!!!!!!!



なんで!!!!!!!



!!!!!!!




帰っておいで!!!!!!!!!!




マイスィートマネー!!!!!!!!!!!






こんなこと言ったって、お金は帰ってきません。使ったらなくなるのです。義務教育がなされてすぐの子供だって、それぐらいわかっています。

現実逃避はどんどんと加速してゆき、しまいには、たくさん現場があるからと私は地下芸人にまで手を出し始めました。1枚は1000円ぐらいの格安チケットですが、毎日何度も行くとなると、バカにならないチケット代。都心までの交通費が浪費項目に追加され、またヲタ活費用はブクブクと嵩んでいきます。

まっすぐだった頃の私が輝く未来へと残した貯金を、浪費していくだけの日々を過ごしました。

そして、4月26日。時効。


貯金残高は582円でした。もう身動きが取れません。語呂合わせにすると「コヤツ」。貯金残高が私を叱って来ます。ひどい。私のお金なのに。

読者が居るか知りませんが、ここまで読んだ方は当然の事ながら思うでしょう。

いや、働けよ。いますぐ。


と。

流石に私も稼がなければならない。と重い腰を上げました。ヲタクなので、ヲタク活動が出来ないのは耐えられない。


そして、私はデリヘル嬢になりました。


読者の方の「は?」がよく聞こえてきます。

当たり前のように抵抗無く、自分の意思で、するりとこの職業を選びました。

この決断がわりとすぐに出来たのは、仕事したくない!という理由のほかに、

就活の為の制作時間がよく取れるから


とか、

好きな人の性が女で、不毛な恋から目を覚ましたいから


だとか、色々なことが挙げられますが、
大きな理由として挙げられるのはきっと自身が、中学三年生の頃から

エロいほうの「裏垢」


をやっていたことに起因するのでしょう。


当時、私は勉強がすごくできるタイプで、ものわかりと愛想が良かった為、いわゆる優等生というレッテルを貼られていました。本当にそうだったのだと思います。

中学三年生のときに出来たはじめての彼氏が何も知らなさすぎた私とそういうことをしたいがために  #裏垢女子 を教えてくれました。

それが私のはじめて見る桃色世界だったように思います。

こういうことをしたら男の子はよろこぶんだなあ。とか、そんなようなことを鼻息を荒くした彼の隣で考えていたのを覚えています。

数ヶ月後、なぜか彼に振られました。

わりとうまくいっていたので本当に何故振られたのか全く分かりません。
彼のことが諦めきれず、振り向いて貰うために、おかしな話ですが、彼の好きだった裏垢女子になりました。

今思うとこういうところが良くなかったのかもしれません。

裏垢というのは面白くて、アカウントを開設してすぐ、次々とDMに甘言が押し寄せました。普通であればこんなことはありえません。

はじめの頃は、生殖器に脳髄を食い散らかされたゾンビたちの言葉とは知れず、たくさんのヒトが褒めてくれるその状況にチョロいもんだな、とおかしみを感じた程度でした。気づけば私は性的な知識がムクムクと脳に滲みてゆくこと、日常とかけ離れたことをしているという、その背徳感にやみつきになっていきました。

すぐに彼への執着なぞはどこか遠くに飛んで行き、みるみるうちに私は裏垢の世界に潜り込んでいったのです。

そのはじめての彼氏に振られたあとは、悲恋を重ねに重ね、中学でも、高校でも、そして現在も恋人は出来ずじまい。

自己肯定がどんどんと捻じ曲がってゆくのを感じながら、不健康にも裏垢の没入度は増しに増し、高二の冬頃から、私は裏垢のフォロワーと出会いはじめました。

快楽にただただ弱く、自分のことを好きだと言ってくれる人間に飢えていた為、相手はもう誰でも良かったのです。

文面にすると最悪が増しますが、私の趣味はオフパコでした。

そして、デリヘル事務所に所属すれば趣味でしていたことで結構なお金が貰えるのです!金が尽きてしょんもりしながら、「高収入 バイト」と調べたときに私は気づきました(バーニラバニラコウシュウニュウ!)。

え!さいこう!!!

好いてくれた人間に気持ちいいことしてお金貰えるの、最高すぎる!


本当に恵まれていると思いました。脳内にファンファーレが鳴り響きます。

女でよかった〜!!ありがとう両親!!!!(最悪)

という訳で、晴れて(?)私は裏垢を卒業し、デリヘル嬢となったのです。

祖母とふたり暮しをしながら、昼間は仕事と称してグラフィックデザインの習作をモコモコ生産し、夜はデリヘルで働くという気持ちの悪い生活が始まりました。

家族や友人には、都心のデザイン会社に就職して、現在リモートワーク勤務であるという話で合わせています。家族に仕送りを送れる程度にお客も付きました。

先日、テレビで拝見しました岸辺露伴先生も、「人は心の中にある秘密というものを、何年も隠し続けることは出来ない。」と言っていました。確かにな。そりゃそうだわな。と私も思います。しかし、そんなことがあっては困るのです。なるたけこの秘密は墓場まで持って行きたい。

その為、自分はこのnoteを懺悔室として扱うことにしました。膿を吐き出し続ければ嘘も長生きするでしょう。

読者が居るかは分かりませんが、ここまで読んで下さりありがとうございます。

頑張って読みやすくなるよう努力しますので、出来れば見限らないでやって下さい。

よろしくお願いします。


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