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Smoothieに参加して感じたもの

このnoteは「スキマスイッチ TOUR 2020-2021 “Smoothie”」
のネタバレを含みます。まだ何の情報も入れたくない方は
読まないことをオススメします。


先日、12/24に「スキマスイッチ TOUR 2020-2021 “Smoothie”」に行ってきました。
正直、ツアーが発表された時、「え、このご時世でツアー??大丈夫か?」
素直にそう思いました。きっと筆者以外にもそう思った人はいるはずです。

でも、そうまでして二人は何を届けたかったのか。
いくつか感じた部分があったので、ここに残しておこうと思いました。

席は半分、会場内はマスク着用、声出し禁止、換気タイムがある、規制入退場、入場時検温、チケットは自分でもぎる、入退場時必ず手指、靴裏消毒、グッズのディスプレイも手を触れない指示、フライヤーも各自で取るなど、徹底した感染対策。また、プレイヤーの楽器たちも入念に拭かれていた。

ツアーはミディアムからバラードが中心のセトリ。中心というよりほぼ全部その辺りのテンポ。正直、初心者にはなかなか攻め攻めのセトリだったと思う。

00.overture
01. ボクノート
02. LとR
03. 思い出クロール
〜MC〜
04. 願い言
05. life×life×life
06. Revival
07. マリンスノウ
〜MC〜
08. 吠えろ!
09.種を蒔く人
10.Hello Especially
11. アカツキの詩
12. 螺旋
13. 飲みに来ないか
〜MC〜
14. SF

〜アンコール〜
01. クリスマスがやってくる
02. 奏(かなで)
〜MC〜
03. あけたら

〜Wアンコール〜
01. Ah Yeah!!


鍵盤・常田の叙情的なピアノのovertureから始まり、いつものツアーと一味違う感が漂ったところで、そのまま「ボクノート」にフェードイン。
何だか今のご時世を考えると、伝えたいことは沢山あるけれど、どういう表現が正解か分からない。分からないけどそれでも歌い続けるから、せめて少しでも明るくなってもらえればという気持ちがこの歌から見え隠れしているような気がした。

個人的に最近ブームの「LとR」、そして「思い出クロール」と続いた。
会いたくても会えない人たちが多くいる昨今、このコロナ禍が収束して再会したら、時間はあっという間に過ぎ去ってしまうんだろうけど、本当に大事な時間だったんだなって再確認することになりそう、5年ぶりに聴いてそんな風に思った。
一方で今学生の時間を過ごしている子たちが、昔を懐かしんで今を笑い話に出来るのだろうかって不安にもなった。

MCに入ると、お揃いの衣装、スカパラさんになれなかった話など、普段なら笑いが起こるであろうポイントも拍手でしか意思表示出来ず、オーディエンス側がしゃべれないもどかしさを大いに感じた。

ギターのソロから始まった「願い事」は直前のMCで言っていたようなジャジーで上質な音楽をこれでもかと体現していたようだった。
そのまま「life×life×life 」に続き、会場が優しい声とメロディーに包まれた
タイミングで、スキマスイッチあるある、毎度お馴染み、イントロ聴いてもアレンジ効きすぎて原曲全く分からない曲、「Revival」
ツアーの度にこういうアレンジ曲があるので、曲に人格があるなら、
「まだ君こんな一面あったの?」と毎回驚かされる。
そしてステージに映し出された映像で、気づけば会場は真っ青な海。いや、深い海の底。
思い出に溢れた日常から、急に誰とも会えなくなった日常は、理由もなく会えていた人、理由を作ってでも会いたかった人を失った喪失感に似ているかもしれない。7年ぶりに聴いた「マリンスノウ」はそんなことを思わせてくれた。

ホールは基本空気の循環がいいらしいのだが、MC中、念には念を入れて扉も開けて換気が行われた。内容は色んなランキングで一位になれないなど、いつものように自虐トークが展開され、笑いを堪えるのが大変だった。ちなみに筆者のサブスクの今年の再生数一位は「Creepy Nuts」であった。

MC明け、披露されたのは世の中が涙する、全米が涙するかもしれない新曲の「吠えろ!」から展開し、”何でもない日々が最高の幸せ”という歌詞が現状より一層染みる「種を蒔く人」、そして「Hello Especially」の前奏で、何となくいつもより控えめになっていた手拍子も、「声が出せない今、何かあったら手拍子で訴えかけてください!」と優しくボーカル・大橋が煽る。歓声をあげられない今、ミュージシャンにダイレクトに反応を伝えるには手拍子や拍手しかないのだなと再認識し、手拍子をする手のひらにいつもより力が籠った。

先述した通り、スキマスイッチのライブあるあるであり、大きな魅力の一つが楽曲の驚異的なリアレンジ力であると思う。
個人的にこれがあるからライブはやめられない、そう思わせてくれる楽しみの一つでもある。
ここからの「アカツキの詩」「螺旋」「飲みに来ないか」の三曲は過去のライブで素晴らしくリアレンジされたものがさらに洗練された形で披露されていた。
前者から'13、'12、'16年のツアーで披露されたリアレンジVer.であり、ここ最近ファンになった人からすれば思わぬ収穫だったのではないだろうか。

「こうやってお客さんの前で演奏して拍手をもらえることが本当に幸せ、今色んなミュージシャンがそう思っていると思う。」そう大橋は感慨深げに語り始めた。

「歌う場所がなくなること」「存在意義を無くしたように思えたこと」

その道一本で10年以上やってきたプロが急に存在意義を問われる状況になるなんて、あまりにも残酷だけど、誰も予測できないし、誰も悪くない。

確かに、音楽は「娯楽」だから。なくても生きていける。
「必要としない人間」はそんな言葉で片付けてしまう人もいるだろう。

でもそんな「娯楽」である音楽は誰かの人生に華々しさや彩り、力を与えるのも確かで、「必要とする人間」もいる。
むしろほとんどの人がそうだと信じたい。

大橋はライブの度に「いつかあなたの街に必ず行きます」と言っていた。
それはきっと求められていたことを実感できていたから言えることで、この得体の知れない脅威を機に、それをダイレクトに実感できる場所を奪われてしまったら、求められていないかもしれない、そう考えてしまう日々があってもおかしくはない。

それがどれだけ辛くて苦しかっただろうか。今回ツアーをやることだって、沢山悩んだと思う。きっと厳しい意見もあるだろう。

それでも彼らも人間で、生活があって、
音楽を求めてくれる人に提供するのが彼らの生業で、
ちょっとずつでも前を向いて進まないといけないから。

「こんな時だからこそ、なるべく近くに、なるべく寄り添っていたい。」

ずっと心のディスタンスは曲を介して近くにあって欲しい。
そう思った。

いつもは流暢に言葉を紡ぐ印象のある大橋が、経験したことのない不条理な現実を前に、一つ一つ言葉のカケラを選んでは、少しずつ形にしている姿が印象的だった。

そんな想いを一心に背負って演奏された「SF」。
最後に聴いた5年前と聴こえ方があまりにも違った。
筆者は当時まだ学生で、残念ながら一番人生が楽しい時期だった。
こんな未来になるなんて誰が想像できただろうか。


”自由に大空も飛べやしない
君がいる場所にすぐ行けない

強い力で君を守れやしない
喜ばせるような手紙も書けない

もしも 全てが叶ったなら・・

時間を止めるなんて出来やしない
時間を巻き戻すことも出来ない

導いてくれる天使なんかいない
ましてや神様になれるはずない

もしも 全てが叶ったなら・・

何も出来やしない 不思議なポケットなんてないけど
大切な人の涙を僕が 止められたなら

君が いるから
今日もギターをかき鳴らして 歌う”

曲が進むにつれ4つの灯体に灯りが少しずつ灯っていった。
まるでこの歌の主人公の決意が明確になっていく表れのようだった。
当時描いていた未来とのあまりのギャップ、世の中の現状。
そして、それでも音楽を奏で続けることしか出来ない等身大のミュージシャンたちの
人間臭い、力強い演奏に、5年の時を経て、当時より奥の深い、この曲の真価を見た気がした。
そうだ、僕はずっとこの人達の音楽に助けられてきたんだ。
涙は止まるどころか頬を伝っていた。


余韻と鳴り止まないアンコールの拍手にジーンとしていると、サンタとトナカイの被り物を被って、浮かれ倒した全力おじさんたちが出てきた。今度はマンウィズになりたいらしい。
そういうとこだぞ。

街にいつも通りの活気はなくてもクリスマスイブなんだもんな。
ちょっとくらい浮かれてもいいじゃないか。
2年連続でシンタクロースを見れたこと、
会場にまるで雪が舞っているかのような
光の演出に誰よりも目をキラキラさせながら歌っていたこと、
この場所で「クリスマスがやってくる」を聴きながら
クリスマスを迎えられたことを感謝しよう。


アンコール二曲目は代表曲でもある「奏」。
今回のツアーは、普段なら遠征で来るような人達も、情勢を考えて行くことを遠慮し、断念している人を多く見た。そういった投稿には少なからず悔しさが見え隠れしていることが多かった。
この日のライブはCS放送で生放送されていたのだが、やはりこの曲を放送したのは大いに意味があると思った。

”抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける”

日常が日常でなくなってしまった日から、この歌詞が、この歌が、いや二人の奏でた音楽が、どれだけの人の支えになっていただろうか。
今だからこそ、この曲に更なる力が宿っている気がした。


「みんなで少しずつ気をつけて、今度はみんなで騒いで音楽を共有出来る日を楽しみに、祈っています。」
そう言って大橋と常田は優しく微笑みかけた。

この真っ暗で先の見えない自粛期間で、腐りそうで気が乗らないけれども、今の人生で何とか今の想いを書き留めて置かなければ。でも人の為に唄う余裕なんてなかったから、自分のために書いた歌。とにかくこの日々が早く過ぎ去ってほしい、そんな風に思ってギリギリ思いついた言葉が、アンコール最後の曲でもある「あけたら」だったらしい。

結果として、大橋の想いを汲み取った常田と二人で完成させたこの曲は、
塞ぎ込みそうになっていた筆者の心の奥のドアをノックし続けてくれた。

”あけたら あけたら
押し潰されそうになって眠れない夜もある
あけたら あけたら
躓いたっていい 一歩ずつだっていい
その先で待っている 聴こえる希望の歌”

いつだって等身大で書かれた曲たちは二人の日常から生まれた想いであり、気づけば私たちの日常になっている。

自分のために書いたなんて言っていたけれど、
結局この曲は誰かのためを思って唄われている。
だって、私たち受け取り手にとってこの曲は
押し付けがましくなく、寄り添ってくれる
”希望の歌”以外の何者でもないのだから。
そう思うことが出来たのだから。


この曲で、綺麗に終わった、、いいライブだった、、
そう思ったのも束の間。


終わらないらしい。生放送は終わったのだが、せっかくライブにきてくれたのだから楽しい気持ちで帰って欲しいらしい。
そういうとこ好きだぞ。

最後に披露される曲は二曲候補があった。
オーディエンスの拍手の数が多い方を選ぶことになり、結果「Ah Yeah!!」
が披露されることとなった。

勿論声は出せないので、いつものコール&レスポンスは
クラップ&クラップになった。
(クラップ&レスポンスの方が語呂もいいし、決して意味も通らないわけではないけれど、レスポンス=応答が何となく声を出させることを連想させる気がするので、敢えてクラップ&クラップと表記した。)

健全にひたすら手を叩いた。

声こそ出せないが、会場のテンションが上がっているのを感じた。
そのまま曲に雪崩こむと一瞬でいつものライブの空気に染まった気がした。

この日はずっとギリギリ座っていても聴ける曲のセトリだったので、
最後に今年の鬱憤を晴らすかのように、体を揺らしたり、手を叩いたりして音楽を楽しむことが出来た。

やっぱり音を楽しんでこそ音楽だなぁと再確認した。


このツアーは年が明けても続く。
現状、完走できるかまだ不安な部分が大きいのも確かだ。
それでも、そこに求める人がいる限り、どれだけ時間がかかったとしても、
必ず彼らは音楽を届けにやってくる。
そのために私たちに出来ることは、まめに手洗いうがい、身の回りのものの消毒など自分が出来る最大限のことをして、今の日常となってしまった日常を少しずつ前に進むしかない。


この日々の出口はいつ現れるのか分からない。
その先にどんな景色が広がっているのか誰も分からない。
でも、この日々があけたら、
いつでも私達のために小さな幸せを歌ってくれる
二人の元へ真っ先に会いに行きたい。



2021/4/27追記:
無事にツアー完走。本当によかった。お二人、サポメンの皆様、スタッフの皆様本当にお疲れ様でした!
そんなこんなでこのツアーのライブアルバムが出たようなので、皆さん是非聞いてみてくださいね。





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