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風日記⑦ フリーズドライにしたデモの記憶と、サステナビリティ

2022年3月5日。反戦デモイベント《全感覚祭 presents No War 0305》。新宿駅南口。12時30分から日の入りまで。バンド・GEZANの自主レーベル「十三月」が主催。アーティスト、哲学者、政治学研究者、ジャーナリストら、表現者が集う。ウクライナ・ロシア出身の個人が登壇するシーンもあった。彼らの肉声がバスタ新宿前に響き渡る。

フライヤーに記された言葉。「ウクライナ侵攻によって傷つき、危機的な状況に置かれている人たちへのサポートと寄付を呼びかけます」。人道支援を目的とした団体への寄付が促されていた。「この状況に対していまだ言葉にならない漠然とした思いを持っている全ての人たちと共に、この場を持ちたいと思います」。

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私は観客の一人としてプラカードを掲げていた。気が付けば、5時間近く立っていた。

イベントの開催が発表されたのは前日。4日の深夜、私はパソコンで自らの主張を文字に起こした。真っ先に浮かんだ言葉、「何も奪うな」。コンビニのコピー機で印刷した。そのままコンビニで段ボールを貰って、帰ってからそれでプラカードを作った。

昼間の新宿、ステージ前にどんどん人が集まる。道行く人が写真を撮る。視線。熱。空の明るさ。緊張感。苦しい。悔しい。悲しい。そこで気がついた。そうか、私は傷ついているんだ。たぶんここに居る人達も同じように、傷ついているんだ。

15歳の時に初めてデモに参加した。サルコジ政権時、年金改革法案が成立した時だ。フランスの田舎町。デモを理由に先生も授業をキャンセルした。同級生、教師、隣の高校の生徒達、みんなで練り歩いた。歌声。舞い上がる埃のにおい。鼻腔を刺激するつめたい外気。ひらめく旗。彼らのぎらついた瞳。全部覚えている。

今回のデモ集会と雰囲気は全然違うのだけれど、私はあの日のことを思い出していた。社会の変容に対する敏感さが、私の知る十代と比べ物にならない。権利のために行動する、そんなの当たり前。要求しよう、当然のように。教えてくれたことは、今も残っている。

私はまだ、生身の人間がそこにいるということ、そのパワーを信じている。そして自分の頭の中「だけ」で起こっている思考を信じていない。ネットで拾う言葉も、ニュースも、記号でしかない。スクリーンから映し出される光の組み合わせ。断片的にしか拾えないし、繋ぎ合わせることも困難だ。誰かの意図で流される情報が腹落ちしない。肉体を纏わない。

だから出かける。自分で感じる。発信する。そこにいるんだぞって主張する。私も、あなたも、そうしなければ分からないことがあると思うんです、そんなつもりで、無言で、プラカードを持って、いた。

怖かった。感情先行で物事を解釈すると、必ずしも論理的な形でまとまるわけでない。感情は素直で、自由すぎて、子どもみたいだから危なっかしい。特に戦争というものに向き合うと、どうやって感情を飼いならせばいいのか分からなくなる。人新世的な概念を用いて、駆け出しのサステナビリストとして、戦争という事象を気候変動やエネルギー戦略等のトピックと関連させて、一旦解釈することができる。しかし、解釈と感情を織り交ぜて、うまく立ち回ることが私にはまだできない。できないと思うと、急に怖くなる。心が萎む。急速に冷凍されていく。言葉が奪われたような感覚に陥る。

心も頭も両方武器にして、もっと主張できたら、言いたいことを言えたら、誰かに届けられたら、何かが変わるかもしれないのに。

でも、そう思っているんだったら、動くしかないんじゃないの?

偽善的なペシミストみたいに、何もしないまま、人生終えるわけにはいかないんだよ。

自分に言い聞かせた。だからあの日、新宿に行った。

その時の感情を感じ切って、動くしかないんだと、今の私は思っている。

この文章の読者、名前の知らないあなた、未来の私がどう思っても、今の私を否定せずに受け入れようとしていた事実を、ここに残しておくこととする。

つづく

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