「グラフィック・レコーディングがわかりやすい」という幻想

久しぶりにnoteひらいたら2年前に書いた下書きが残ってました。ほんのりクレイジーな内容で個人的に面白かったので晒してみます。最後らへんとか何言いたいかわからんし。こんなこと考えてたのかー。

そのうち消すかも。

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Twitterでのグラフィック・レコーディングに対する反応は、ポジティブなもの、ネガティブなもの様々だ。

「グラレコわかりやすい!」
「グラレコ見てもさっぱりわからん」
「アレでわかった気になるのは危険」etc…

意見は人それぞれでいいんだけど、この「わかりやすい」とは何なのか?一応、グラフィック・レコーダーと名乗って描いている1人としてちょっと考えてみた。

「わかりやすい」の違い

まず、前提としてグラフィック・レコーディングは単なるツールだと思っている。
なので、グラフィック・レコーディングというツールが「わかりやすい・わかりにくい」のではなく、〇〇さんが描いた成果物が「わかりやすい・わかりにくい」のだと思う。

「わかりやすい・わかりにくい」は描き手に依存する。
描き手の理解力を超えたものは描けないし、絵として表現することもできない。

そしてもう1つ。
「わかりやすい・わかりにくい」は見る人によっても変わる。「わかりやすい」という言葉1つとっても様々な「わかりやすい」がある。

では、見る人の「わかりやすい」にはどんなものがあるんだろう?

視覚優位の人にとっての「わかりやすい」
記憶の固定化が苦手な人にとっての「わかりやすい」
構造化が苦手な人にとっての「わかりやすい」

ぱっと思いつくのはこのぐらいだろうか。

視覚優位の人にとっての「わかりやすい」

人にはそれぞれ、情報を処理するときに優位になる感覚がある。

人は五感によって世界を認識しています。
その五感とは、視覚、聴覚、身体感覚、味覚、臭覚のことを言います。
人は外部のものを理解するときや、内的なものを思考するときにも これら5つの感覚を使っています。

これらのことを代表システムと呼び、視覚(Visual) 聴覚(Auditory) 触覚(Kinesthetic)の3つの感覚の頭文字をとって、VAKと呼ばれています。※臭覚と味覚は触覚(Kinesthtic)に含みます。

優位性が気になる方はぜひ↑こちらでチェックを。(ちなみに自分は聴覚優位。)

割合としては視覚優位の人が多いと言われている。視覚優位の人は、耳から入る情報よりも目から入る情報の方が理解しやすい。そういう人にとって、可視化された情報は「わかりやすい」と感じるのだろう。

記憶の固定化が苦手な人にとっての「わかりやすい」

何が話されたかを思い出すのが苦手な人もいる。

短期記憶に含まれる情報の多くは忘却され、その一部が長期記憶として保持される。この保持情報が長期記憶として安定化する過程は記憶の固定化と呼ばれる。

書き留められた言葉を見返すことによって思い出し、「わかりやすい」と感じる人もいるのだろう。

このあたりの話は池谷裕二さんの本を読むとわかりやすいのでオススメしておく。

構造化が苦手な人の「わかりやすい」

長い話の中で、話題が変わったことに気づかなかったり、それぞれの言葉の上下関係や左右のつながりを瞬時に理解できない人もいる。

そういう人にとって、全体の情報が見えて、話題毎に見出しを付けて分けられ、矢印などで関係性が示されていると「わかりやすい」と感じるのだろう。

これらのことを苦労しない人にとっては、グラフィック・レコーディングはむしろ邪魔なものに感じるのかもしれない。自分より理解度の低い人が描いたものなら尚更だ。

違いを可視化する

このように、「わかりやすい」という言葉1つとっても、人によって思い浮かべる状況は様々だろう。

本来なら、言葉からイメージするそれぞれのギャップを埋めるためにグラフィックが有効なんだけど、そのように使われているのはあまり見かけない。

「例えば、どんなところがわかりやすいと感じましたか?」と問いかけられる描き手は少ない。
言葉と言葉のあいだの足りないピースに気づけない。

それができなければリアルタイムで描く意味なんて半減するのに。




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