似非エッセイ#04『暗がり』

【暗がり】
そう聞くとつい穏やかではない景観を想像しがちだ。人目を憚る行為には付きもので、時には男と女に瞬発的に火をつける効果があったりもする。

ただ、これらはあくまで景観としての【暗がり】の話だ。ではそっくりそのまま人間に置き換えてみたらどうだろう。
例えばこんな言葉がある。
寒がり、暑がり、怖がり、恥ずかしがり。
端的にいえば形容詞の発展型みたいなもので、この辺りに日本語の難解さが窺い知れる。
ただ僕が知る限り【暗がり】はこれらのグループには属していないはずだ(単なる無知の可能性もあるがここは一旦そう押し通させてもらいたい)。
だが実際はどうだろう。【暗がり】な人間は結構多いのではないか?日本人は特に。
他ならぬ僕自身にもそういう側面はある。むしろ多くの面積を占めているかもしれない。
仲が深まった後で、改めて僕の第一印象について尋ねてみると、ほぼ全員が口を揃えてこう答える。

「もっと暗い人だと思ってた」

厳密にはこれは、僕が持つもう一つの厄介な[人見知り]という側面の仕業でもあるのだが、実は自覚している節もある。
つまり、僕はこれから新しく関係を築いていく相手に対し、つい【暗がろう】としてしまう。
自ら率先して声をかけ、少しでも早く相手との距離を縮められれば良いのだが、それが出来れば僕は今ごろ人として、男として、もっと成功した地位に居た事だろう。
ところが元来の格好つけ精神が先立ち、幼稚さ故に斜に構え、新しいものへの拒絶心が、またしても僕を【暗がり】にしてしまうのだ。
だからいつも周りよりも仲を深めるのに時間がかかり、その一方で、重い心の扉がようやく開くと今度は猪突猛進に相手の懐へと飛び込み、まるで別人のようにこれまでの遅れを取り戻そうとする。
人間が好きなのか嫌いなのか、自分でもよくわからなくなる事が多い。ひとつだけはっきりしているのはそんな自分に毎度嫌気がさしているという事実だ。
それでも新たに誰かと出逢う度にまた同じ事を繰り返すのだから、こんな面倒極まりない人間を周囲はよく許容してくれているものだと我ながら思う時がある。

この先も僕は人と出逢い続けていくだろう。
そんな折に、こういつまでも【暗がり】のままでいては、やがて、孤独という【暗がり】を彷徨うことになるに違いない。

戒めを込め、ここにエッセイの名を借りた形跡を残しておこうと思う。

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