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美容のためにどこまでするか、の線引き

体重47.80kg。ピラティス。7995歩。

もういい年齢なわけです。たるみ、ほうれい線、クマ、シミ、そしてシワ。それらがぜーんぶ加速度的に増えて顔の印象がどんどん老けていくのです。それを、どうするか。

化粧品会社に勤めている友人は「美容液ぐらいじゃシミなんか取れないから。レーザーよ、レーザー」「くっきりシワが刻まれちゃう前に、(おでこに)ボトックスしなさい」というし、ネイリストの友人も、スキンケアにお金をかけるより、普段のお手入れは最低限にしてその分を美容整形に使った方がいい、という信条。2月には韓国に行ってプチ整形を経験してきた(眉のアートメイクとレーザーによるリフティング)。糸でのリフティングについても色々調べて次何をするか考え中とのこと。ママ友の一人は40そこそこの頃から色々な美容整形をやっている。

果たして、私はどうしよう。

私は、20歳の頃からスキンケアにお金だけはかけてきた。結婚する時も「どんなに貧乏になってもそのブランドは使い続ける」という約束を取りつけたくらい。でも学生時代のウィンドサーフィン三昧の日々からサラリーマン時代に休みのたびにビーチリゾートで日焼けし放題にしてきたツケは大きく、それこそ、化粧品なんかでどうにかなるレベルではないっぽい。

前述化粧品会社の彼女から「マスクで顔を隠せる今やらなくていつやるの!?」と煽られてコロナ2年目にフォトフェイシャルとシミ取りのレーザーはやってみた。顔の表面にちょっと火傷をするくらい、という認識だったから、これはあまり抵抗がなかった。

でも、顔に糸を入れて顔を引き上げたり、ボトックス注射をして筋肉繊維を死なせたり、顎の骨を削ったり、シリコンを注入したり、あるいは脂肪を吸引したり、ということにはどうにも抵抗がある。整形を繰り返してちょっと不自然な顔になっている友人・知人も見ているので「あれはイヤだ」と思うのもあるけど、その人たちを見ていなかったとしても、何か、やりたくない、という気持ちを持ってしまう。

バカみたいに高い化粧品を使って時間の経過に抗うのと、外科的にそうするのと、何がそんなに違うのだろう?どうして私はこんなに美容整形がイヤだと思ってしまうんだろう?なんの偏見?というのが、ここ数年自問してきたことだ。

2月に、哲学や心理学への造詣が深い友人と久しぶりに会ってこの話をした時に彼が「自分を受け入れるかどうかの違いでしょ」と言っていて、ああ、そういうことなのか、と妙に納得した。

「『老化する自分』を受け入れられないから、外科的なことに頼るわけでしょ。化粧品でなんとかしようとするのは、運動したり体にいいもの食べたり、という努力と同じだけど、外科的なことに頼るのは、今の自分ではないものになろうとすることじゃん」

なるほど。

「受け入れないことが悪いことなわけじゃないよ。たとえば娘は胸が大きすぎて、バランスが悪くて、自分も見た目がイヤだし、からかわれるし、身体も辛いし、その状態を受け入れられなかった。ということで10代の時に胸を小さくする美容整形手術を受けた。それで、不快な状態が解消してとてもハッピーだし、前向きな気持ちになれるようになった。そういう選択だってある。だから老化を受け入れられないなら、そうしたらいいんじゃない」

私は、この理屈にとっても納得したのだ。私は、確かに老化には抵抗したいんだけど、でも、受け入れる用意は、ある。ということなんだと思う。だから、私は、いいの。もう我慢できない!受け入れられない!となるまでは、お化粧品で頑張ることにする。この会話のおかげで、もう動じなくなった。

興味は、持ち続けるけどね。

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