タイムフリーが終わる前に♪9の音粋(#キュウオン)「月曜トリトンSIDE-Q特集」2023,5,15つまみ聞き

「いつでも最近の若い者は,って言う準備ある!」DJと、ソリトン好き過ぎリミッター外れ気味DJ、人柄、知識・知性・教養が隠さなくても出て来ない!^^;2人の音楽トーク番組bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2023,5,15《ミラッキ大村生誕記念月曜ソリトンSIDE-Q特集》タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!ここではちょっとつまみ聞き。今日は高野寛さんを迎えてのゲスト回、高野さんのトーク部分はオンエアのままです。DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)高野寛(高)
スー)ミラッキ大村さん誕生日おめでとうございます。
ミ)ありがとうございます。
スー)何歳になったんですか?40…?
ミ)43です。
スー)素敵なプレゼントあげましょう。スージー鈴木さんの「幸福な退職」新潮新書。あ!出来たばっかりだ!オレの本だ!あげます。
ミ)ハハッありがとうございます。なんの組織にも所属してない私ですけどハハッ「幸福な退職」読まして頂きます。
スー)是非なんかAMラジオのプロモーション呼んで下さいね。
ミ)ハハッそんな話。
スー)43歳と言う事で今日はミラッキさんが緊張してる、地に足がついていない感じがしますね。なぜかと言いますと《ミラッキ大村生誕記念!月曜ソリトンSIDE-Q》と題しまして超豪華な私からのプレゼントです。ミッラキ大村が15歳の時に熱心に見ていたテレビ番組「土曜ソリトンSIDE-B」(※’95-96NHK教育TV:様々な分野のゲストとB面的視点でのトーク番組)でMCを務めていたこちらの方をお招きしました。
高)どうも今晩は、高野寛です。
ミ)うわー!
スー)ホンモノだあー。
ミ)この挨拶で毎週番組が始まったんです。
スー)ちょっと私は「YOU」(※’82-87NHK教育TV:若者向けトーク番組)世代なんで、こっからミラッキさん仕切ってもらっていいですか?
ミ)土曜日の23:00NHK教育TVで放送、漫画、映画史、インターネット、音楽あらゆるサブカルチャーを取り上げていた番組です。私は’93からYMOにハマってソロワークスとかもいろいろ買い集めて、中3になった時に「君はどれだけわかっているんだい」っていう感じで現れたのが高野寛さんです。
高)いやいや、そんな上から目線じゃないです。
ミ)ハハハッ。
スー)ハハ、それはブラウン管でそういう感じを受けたんですね。
ミ)そうです、YMOの通信教育を受けてました。番組そのものにYMOの3人のメンバーそれぞれが出てましたし。
高)そうですね。
ミ)私のように「ソリトンSIDE-B」を見てた人というのは多いんでしょうか。
高)非常ーに多いですね。全国津々浦々、やっぱりNHKなんで。ついこの間もナイツの塙さんにお会いした時に、第一声でご挨拶より先に言われました「ソリトン見てました」。
スー・ミ)ハハハハハッ。
ミ)毎週楽しみに見ていました。番組がどんな風に始まったかオープニングテーマをまず聞いて頂きたいと思います。
♪高野寛『All over, Starting over~その笑顔のために~』
ミ)ソリトンVer.ですね。
高)確かにこの尺で聞くと絵が浮かんで来ますね。
ミ)オープニングの映像、二人(MCの高野寛&緒川たまき)が探検しているみたいな。
高)あれねえ、千葉の海岸で録ったんですよ。
ミ)えっ‼
スー)これはbayfmに所縁があるというか。
高)いいスタートですね。
スー)よかったあ、ミラッキくんも大喜び。塙さんも聞いてるかもしれませんねえ。フフ。
ミ)番組開始した’95の日本の音楽シーン・サブカルチャーを高野寛さんに伺って行きたいと思っています。高野さん自身はデビュー8年目ですが’80代と全く異なる音楽シーン・ヒットチャートになった中で、どんな変化を感じていたんでしょうか。
高)’90代やっぱり平成になってからっていうのが凄く激しくてJポップっていう言葉も’90代に定着して、最初バンドブーム、イカ天ブーム・ホコ天ブームっていうのがあって。その翌年位にソロシンガーが売れ始めて、ミリオンセラーがいっぱい出てね。KANさん『愛は勝つ』とかね。そのちょっと後なんですけどね。で、そうこうしてる内に今度ミスチル、TKブームとかがやって来て。どーんどん変わってくなあっていう印象でね。なんか「はあーッ⁈」っていう感じで見てましたね。
ミ)’80代と’90代全く毎年違う音楽界で戦わなければいけなくなった訳ですよね、’95の段階では高野さんどういう風に向き合っていたのかなと。
高)いやあ、いつもどれだけ時代の流行と向き合うかっていう事と、自分をどれだけ貫くかっていう事のせめぎ合いですよね。’95のアルバム「Sorrow and Smile」を出したんですけれど、だいぶ渋谷系のエッセンスみたいなものを取り入れたりして、それは自分なりにアップデイトして行こうと言う気持ちがあったんですけど。
ミ)渋谷系というワードが出ましたけど。
スー)はい、’95くらいか。
ミ)渋谷系っていうのは本当のところなんだったのか、いかがですか。
高)いや元々、なんでしょうねぇ定義が曖昧なんですよね、凄く。
スー)曖昧ですよね。
高)で、大雑把に言うと主要ヒットチャートのJポップの人達とちょっと違う、洋楽のセンスをふんだんに取り入れた人達を渋谷系と言っちゃってたんですよね。雰囲気としてはね。で実はもう1995年時点では結構一段落していた感が、僕の中ではあって。フリッパーズギターも解散してたしね。だから渋谷系っていうワードが全国的に広まったぐらいの段階で、そのオリジネーターの人達は意外ともう次のフェーズに入ってた、そういう時期だったと思います。だからフォロワーと言われる人達が少しずつ出て来たんじゃないかと気がしますね。もう一個がクラブカルチャーのエッセンスが凄く強かった。もちろんビートルズとかストーンズとかの影響を受けたバンドってのは昔から日本にもいっぱいあったんだけども、そうじゃなくて同時代的な世界的なクラブカルチャーシーンのグルーヴだったりサウンドを意識してる。DJ文化とクラブカルチャーと連動してます。
スー)あとCD化で昔の洋楽の旧譜とかがCDで一気に出たんで、詳しい訳知りな若者、それは私であり、一緒に括るのはナンですが高野さんもそうじゃないですか。若い子が古い音楽に影響を受けた音楽を作る、っていうイメージがありますね。
高)今だったらネットで昔の音楽にいくらでも触れられるんだけど、当時はそういう資料が限られてる時期だから、中古盤屋で旧譜を漁って、いろんなレコード・CDを聞いてる人達がどれだけ知識を持ってるかっていうのが凄く大事だった。
スー)知識偏重でしたね。
ミ)そういうお店、例えばイギリスのインディーズバンドのレコードを置いてあるお店が渋谷にあった?
高)ま、だからそこでレコメンドされてるようなバンドを総称して渋谷系って呼ぶようになったのかな。
ミ)海外の音楽シーンとの時差’95の段階は’80代と比べて。
スー)’95のビルボード年間№1はCoolio(『Gangsta’s Paradaise』)TLC(2位『Waterfalls』BoyzⅡMen(5位『On Bended Kee』)Mariah Carey(7位『fantasy』)フフッ。
ミ)洋楽が日本の音楽に与える影響が変わったのかなと思うんですが、高野さんどう思いますか。
高)フフッ難しいですね。昔から洋楽を聞く人は一定数いたしラジオでもかかってたんですけど、なんかその反映のされ方が変わって来た。小室さんなんかももちろん洋楽を聞いて育って、だけど新しいJポップを作って行った訳じゃないですか。そういうJポップだけで育っている世代も増えて来ていたし、ちょっとそうじゃないサブカルってザックリ言っちゃうけれども、ちょっと自分はこだわっているんだよっていう人達は、渋谷系なりマニアックなモノを聞いて、自分は違うんだぜっていうのを主張したいっていう。
スー)ああ、その感じありましたねえ。一応、主張したんですよ、お恥ずかしいんですけど。
ミ)ハハハ。
スー)でもさっき仰った、子供の頃からサザンとか佐野元春聞いてるっていう若者が出て来たっていうね。だから洋楽に分母が無い若者が出て来たっていう世代っていう話ですね。
高)そうです、そうですね。
スー)だから10歳20歳上の人の話聞いてるとホントに洋楽コンプレックス強いなと思ってましたもん。僕ら割と邦楽普通に聞けるのに、と。もう洋楽絶対主義みたいのが上の世代でしたね。ちょっと違う感じは当時の若者としてありましたね。
ミ)スージーさんと高野さんは2歳差。この2歳差って大きかったと。石野卓球さんがソリトンに出られた時に「この時代の3歳差は大きいんだよ」と高野さんがお話されてて。
高)ああ、それはあの、情報面でもあるし、特にYMOファンの子供にとっては機材、シンセが買えなかったですね。僕の高1の時はね。
スー)来た来た来た~。
高)高過ぎてね。
スー)私の時はクラスで一人だけモノフォニック買ってましたね、和音が出ないハハッ。
高)そうそうそう、高校生が買えるシンセとしてはモノフォニックが限界でしたね。
スー)20万くらい出して和音が出ないんですよ。ハハッ。
ミ)それが3年経つと?
高)そうそう、もっと廉価版のヤツが出て来て、和音が弾けるようになる。
スー)フフフッこの話楽しいな。
高)フフッ。
ミ)’67生まれ石野卓球さん伊集院さんスチャダラパーANIの頃になるとそういう楽器になって行くと。
高)ある種“シンセネイティブ”みたいな世代ですよね。ね、僕らの世代は否応なしにやっぱりギターを最初に手に取っちゃうという所があって。
スー)フフッ私もそうです。ギターもそうですけど、モノフォニックのシンセですよフフッ。もういいいかアハハッ。
高)若い人には意味がわかんないですよね。
スー)わかんない!ハハッ和音が出ないキーボードってなんなんだよって。
ミ)ではここで高野さんが’95に印象に残った曲を1曲きかせて頂きたいんですが。
高)はい、このバンドの宮沢君とはYMOファンだけどギターを持った仲間としてすぐに打ち解けたんですけども、ホントに彼はデビューの時はホコ天(※’77-97原宿歩行者天国代々木公演~青山通り’80代後半から路上ライブバンドブーム)で出て来たのに、その後レゲエを取り入れたり沖縄を取り入れたり、でここでブラジルサンバを取り入れてまたびっくりしたんですけどね。サウンドは今でも斬新に聞こえる曲だと思います。THE BOOMの『風になりたい』。
♪THE BOOM『風になりたい』
ミ)これが’95の曲だった訳ですよね。
高)時代性は無いですよね。
スー)無いですねえー。
高)しかも良く聞くとベースが入ってない。
ミ)あー。
スー)おー、プリンスだ。フフッ。
高)ベースが入ってないヒット曲ってあんまないですよね。
ミ)そうですね。ジャンルのごった煮の年だったと思う中で、ヒップホップを取り上げたいと思います。’95ソリトンに坂本隆一さんゲストで来られた時に「日本のラップは全部マネじゃないか」みたいな事を言ってスタジオがヒヤッとした中で、高野さんが「でもスチャダラ(パー)は」とひとこと言うと「スチャダラはいいよね」と。高野さんはヒップポップを’95どういう風に捉えていらっしゃったんでしょうか。
高)う~んそうですね、ラップはね僕最初にPresident BPMっていう近田春夫さんがやってるユニット…。
スー)はいフフッ。
高)っていうかプロジェクトの12インチで細野(晴臣)さんがラップをやってるヤツがあるんですよ。細野の『COME★BACK』(’87,4)っていう。それとかTINNIE PUNX(‘85結成)高木完さんと藤原ヒロシさん、それを僕が後で言いますけどオーディション受けた時に賞品で貰ったりして。
ミ)賞品⁉
スー)フフフフフッ。
高)そうそう参加賞でね。そんなのが出会いだったんですよ。だからもう大分数年経ってるので、ああやっとこういうのが定着して来たんだって思いでしたね。だから、第二世代が出て来たっていう事ですよね。
ミ)スージーさんその辺りヒップホップって?
スー)EAST END×YURI(『DA.YO.NE』)ってこの辺ですよね。
ミ)’94に発売で’95に流行り出した。
スー)確かに、フフッ吉幾三からいとうせいこう経てスチャダラパー経て、EAST END×YURIはちょっと企画モンのような感じしますけれど、ああ日本語でラップできるんだなと。ホントに楽しかったんですよ、あれ聞いて。カラオケボックスでやって、それは覚えてますねえ。
ミ)ここで1曲行きたいんですが、ソリトンで高野寛さんがひと言紹介してくれた事で私が出会えたバンドの曲。
スー)ミラッキをミラッキにした曲。
ミ)そうですね。
高)すみません、全然覚えてないんです。
スー)アハハハハッ!
ミ)ソリトン最後の回YMO総集編でHMVのロケに行って言ったんです。Jポップチャートを見て《YMOの影響がこういう所にも-3位電気グルーヴは直系。7位サニーデイ・サービスははっぴえんどをやってる》中3の私はこれを買わねばと買いに行ったアルバムです。
スー)’95かあ。
高)レーベルがMIDIレコードだったから。
スー)MIDIだあ。
♪サニーデイ・サービス『青春狂走曲』
ミ)これは高野さんが何て言ったんだろうってビデオ巻き戻して、XTC(※イングランド出身ロック・バンド)買いに行きました。
高)ま、それ僕も同じ事を教授のラジオ聞きながらやってたんですよ。
スー)繰り返すんだ、繰り返すんだ。
高)ほんでXTCを最初に聞いたのは坂本さんのラジオだったからね。
ミ)そうなんですね。
スー)坂本龍一→高野寛→ミラッキ大村、待て待て待て!なんかエエな。
ミ)ハハッ完全に小さくなってる。CM後ゾーンではギター・ソロと若者というテーマでスージ―さんと高野さんでトークして頂きたいと思います。10時台1曲目クイズはいつも通りやります。今からヒントを出します。
スー)高野寛さんが選んだYMO関連の曲です。ヒント出します。これ私、録音したスタジオの後に行ったんですよ、今もう無くってガレージになってますね。もうすぐ梅雨ですよねえ。僕、雨降っても濡れて行けるかなあ。以上でございます。
高)ハハハッ。
ミ)思わず高野さんも笑って。
スー)笑わしたでえ。
 
【21:00台後半 ギター・ソロと若者・Z世代音楽事情】
スー)《月曜ソリトンSIDE-Q》シンガーソングライターの高野寛さんをお招きしてお送りしております。このゾーンのサブテーマは「ギター・ソロと若者」。例の「ギター・ソロをスキップする若者が多いらしい」という話題がSNSで拡散されたのが去年の今頃でございました。その時高野寛さんが呟いた事をミラッキさん、高野さんのモノマネでお願いします。
ミ)アハハハハッできないです。《サブスクでギター・ソロが始まるとスキップする若者が多いみたいですね。特にひずんだギターは不人気だとか》。
スー)これが爆発的に拡散されました。でも高野さんがホントに言いたかった事は後にnoteで《主語を若者にしてしまった事は物議をかもす原因だな》と書いてらっしゃったりとかいろいろありました。高野さんその真意をもし良かったら教えて下さい。
高)ねえー、焦りましたねこれはホントに。
スー)ハハハッ。
高)人生最大のバズりだったんですけど。
スー)ハッハッハッ。
高)あのー、元々は能地祐子さんていう音楽ライターの方が《今年のグラミー賞受賞曲上位20曲の中にギター・ソロのある曲がほぼ無い》と。《やっぱりギター・ソロは不人気なのかなあ》というような事を呟いてらっしゃった。で僕はそれを引用リツイートする形でこれ《ギター・ソロをスキップする若者が多いみたいですね》を能地さんに向けて書いたつもりだったんです。そしたら「スキップ」っていう言葉がなんか、ギター・ソロが始まると嬉しくなってスキップするみたいな誤解も生みつつ。
スー)アハハハハハハッ!逆だ。
ミ)そうだったんですね。
高)で、なんかいろんなこう、賛否両論みたいな物議をかもしてしまいですね。しまったなあと思って。難しいなあTwitterはと思って。
スー)でも認識としてギターと言うモノを若者があんまり昔に比べて好んでいない、という事は確かなんでしょうね。
高)そう、そうですね。あとイントロも同様なんですよね。みんな歌を中心に聞くようになって来ていて、インスト部分がなるべく少ない方が好まれるっていう傾向がどうもあるみたい。イントロがあんまり長いと飛ばされる。ギター・ソロも同様。
ミ)それは高野さんが実際に若者と接する中で気づかれた事なんでしょうか。
高)それも難しいんですけどね。僕、大学の先生(※京都精華大学)もやっていていろんなタイプの子達に会って来たんですけど、もう今「若者」っていう言い方をしちゃダメなんですよ。
ミ)お!と言うのは。
高)だから、ボカロ好きの子もアニソン好きの子もいればJポップが好きな子もいる。シンガーソングライターが好きな子もいれば洋楽が好きな子もいる。親の影響なんかで凄く古い音楽しか聞かない子もいる。もう多種多様で若者全体がこう、っていう決めつけはできないんですね。だからこのギター・ソロとかイントロが飛ばされるというのも正確なデータがある訳じゃないんだけども、一説によると2割3割くらいの人達がそういう聞き方をする、らしい。
スー)でも、ギタリスト高野寛でもある訳じゃないですか。
高)はい。
スー)その辺の、ギターがワンオブゼムっていうか、存在感が薄くなるっていう事についてはご自身どう思われますか。
高)そーですねえ、いろんな思いがあるかなあ。まず自分自身はギタリストなんだけども、凄くギターが主役の音楽を作って来たかっていうとそうでもなくて。聞く方も作る方も。ま、ギターは一部の存在。自分が自由に使える楽器だからギターが好きだけれども、別にギターだけをいつも聞きたいという訳でもなくて。
スー)なるほど。
高)うん、なので、そうですねえ、いろいろやっぱり時代の趨勢はあるなあって言うのはもちろん感じますね。
スー)時代の趨勢の中で、では高野寛さんがギター・ソロがカッコいいと思う邦楽の曲を持って来て頂いたんですね。それを聞いてみたいと思います。曲紹介お願いしていいですか。
高)はい、これは僕の師匠の高橋幸宏さんのプロデュースでYMOのサポートギタリストでもあった、大村憲司さんの『Maps』という曲を聞いて下さい。
♪大村憲司『Maps』
スー)カッコイイですねえー。
高)フルで聞いちゃいましたね。
スー)この番組はフルでかけるんです。大村憲司’81の音とは思えないですね。
1年前に《飛ばしたくなくなるギターソロ特集》(5,30)『フレンズ』REBECCAから始まってBOOWY『Marionette』『笑点のテーマ』を経由してまちだガールズ・クワイアという訳の分からないセットリストになってますけれども、やろうとした事はギター・ソロちゃんと聞こうぜ、っていう事ですよねハハハッ。
ミ)そうですよね。いろいろ試みましたね。
スー)あ、今Tweetで、カワクブームさんから《高野さんのお話やお声に滲み出る、隠そうとしても溢れてしまうお人柄、知識・知性・教養、好きー!》って。
ミ)ハハハハハッ!
高)褒め過ぎです。
スー)これね、我々との対比ですよ。隠さなくても出て来ない。
スー・ミ)(☆声を揃えて^^;)隠さなくても出て来ない。
スー)話戻します。という訳でギターとかロックとかっていうのが今、前提じゃなくってワンオブゼムになって行くっていうのは、歴史的必然とは思うんです。逆に言うと私の若い頃もね、渋谷陽一が《昔のロック、ギター・ソロが長すぎる。ギター・ソロを弾く時に目を閉じる奴はダメだ》って言ってて。ハッハッハッ。
高・ミ)ハハハハッ。
スー)まあまあまあと。僕と高野さんを(同じ世代で)括るとね、そういう段々ギター・ソロがワンオブゼムになって行く歴史の流れはあるんですけれど。逆にね、ギター・ソロやイントロなんて鬱陶しいんだよ、って言ってる人間、ホントにいるか知りませんよ、がいたりすると「まあ、待てよ」と。「エエのもあんねや」という風に言いたくなる。ありますよねえ。
高)そうですねえ。今《ギター・ソロ特集》の時の選曲リスト拝見してて、みんなソロと言えども、メロディみたいに良く作曲されてるメロディが浮かびますよね。
スー)ああー。
高)それはね、マーティン・フリードマン(※日本に拠点を置いて活動しているギタリスト・音楽評論家)さんが確かクイーンの事を指して言ってたんだけども《今、ホントに場繋ぎみたいなギター・ソロが増えちゃったけども、昔のギター・ソロはギタリストが凄い練りに練ったフレーズが入っていた》と。クイーンなんか典型的な例ですよねえ『ボヘミアンラプソディー』のギター・ソロとかね、歌えちゃうもんね。
スー)私の選曲もそうでREBECCA『フレンズ』とか。BOOWY『Marionette』のギター・ソロがKANの『愛は勝つ』のメロディだって♪ドーシラタ~ラララ。フフッ。
高)なるほどね。
スー)アレンジメントされたギター・ソロが好きだっていう話なんです。じゃちょっと、私もギターの曲選んでいいですか?この特集の時もBARBEE BOYS選んだんですけれども、いまにしともたかさん。1回対談させていただいたんですが《ギター・ソロを延々と弾くのは趣味ではない》と。
高)うーん。
スー)《自分のやりたいギター・プレイって言うのは、6本の弦20個のフレット全部使う。コードカッティングもソロも同一地平で考えるんだ》って言ってて。あぁそうかなと思って。そん中でも割とイマサさんが好き勝手弾いてる感じの曲がありますんで、聞いてみたいと思います。
♪BARBEE BOYS『Blue Blue Rose』
スー)イマサさんと繋がりはありますか?
高)御挨拶した事がある位なんですけれどね、昔から気になるギタリストの1人ですよね。
スー)フフッ今のこの変わったプレイどうでしたか?
高)う~ん、凄い良くわかるって言うか。僕もポリスとか大好きだったんで。
スー)フフ、ポリス(※’77-英ロック・バンド)だ。
高)ええ、多分アンディ・サマーズの影響が凄く感じられるスタイリング。でも、いまにしさん独自の音色だし。凄いフレーズが歌ってますよね。
スー)あ、歌ってますよね。だからギター・ソロが云々っていう話もあるんだけれど、どういうギター・ソロだっていう話であって。さっき言ったみたいにアドリブを延々と何十分もやる時代が’70代にあって、’80代こういう感じでパッケージされて、今はもっと分解して楽器が和音奏でる(※⁇聞き取り不明瞭)という歴史の流れがありますよ。
ミ)私がその特集で選曲したサニーデイ・サービス『ここで逢いましょう』は延々とアドリブが続く。
高)それはそれでいいんですよ。
ミ)高野寛さんは2014年から京都精華大学ポピュラーカルチャー学部でソングライティングを教えていらっしゃいます。そんな高野さんだからこそ知る、今の若者の音楽に対する感性と言うのを聞いて行ければなあと思っているんですが。
高)そうですねえ、まぁあのお、アートスクールの大学生なんで一般のZ世代の子達とは違う事があると思うんですけど。凄いザックリ言うと10年前からもうYouTube世代。最初のYouTube世代って感じですね。だからCDを買わない人達がもう一定数いました。買った事がないっていう。
スー)買った事がない…フフフッ。
ミ)高野さんのご本(※「夢の中で会えるでしょう」’18mille books)でBose(※スチャダラパーMC)さんとそういう話題話してましたね。
高)それがまず僕にとってもBose君にとってもホントにカルチャーショック、ジェネレーションギャップを感じた出来事で、後はそのさっきも話に出ましたけれど、みんな結構聞いてるモノがバラバラなんですよ。だから少なからずその前の世代であれば、この時代にはこういうのを聞いてたっていうのが、共通の思い出みたいな何曲かはあるじゃあないですか。それが恐らく宇多田ヒカルさん位を最後に、どんどん無くなって来ている。
スー)ああー。
高)そういう第一世代だったかなっていう。それはYouTubeのお薦め動画を次々聞く事で時代とかアルバムのどこに入ってるとか、関係無くなって来るし、そこにサブスクが更に輪をかけてプレイリスト中心に聞く。もう、どこの誰なのかいつの曲なのか関係無くなって来る、そういう聞き方ですよね。
ミ)ドロップスさんのTweet《高野さんのお話を受けて「若者がこう思ってる」って見出しを付けたがってるのは誰なんだという話ですね》と。
高)そうなんですよ。いやいやもうそういう、なんか世代で括れないのがZ世代なんじゃないかなあ。それは年齢で区切ってるだけで、もうホントに多種多様なんだと思いますよ。ザックリ言うとね。まあまあ傾向はあるけどね。昔よりはアニソンとかボーカロイドみたいなものが凄く一般的になってて、僕らの世代だとアニメが好きって言うとオタク認定だったけど。ゲーム・アニメっていうのは今の若い子にとってはホントにフツーのカルチャーで、むしろそこに触れてない人の方が少数。
ミ)ひとつ前の世代を否定して新しいものを主張すると言う話がありましたが、’80代は’70代を否定する事でニューウエーブとか始まったと。
スー)そうですそうです。
ミ)そういう事でしたけれども、それはもう起きていない?
高)’90代で多分終わったんですよ。
スー)うん。
高)’90代がギリギリ、テクノロジーの進化も半ば位まではあったし、新しい楽器ができる事で新しい音が生まれるみたいなのを、僕は’80代からずっと見て来たんだけど。一旦無くなったんですよね、そこで。それでPCで音作るという段階になって、そうすると別の次元に行っちゃうんですよ。新しい音ができるというよりも音を編集して行く。録音の概念が変わって行く。その流れの中に宅録ブームみたいのが今あって、その気になればスマホでCDクオリティの音が作れる時代になったっていう。’90代の宅録は特殊能力っていうか選ばれし者にしかできない技能だったんだけど、今はホントにコピペでトラックが作れちゃうから、敢えて語弊があるかもしれないけども、誰でもできちゃう。今の時代はね。そういう時代ですよね。
スー)僕は中学生の時に友達がモノフォニックのシンセで『Rydeen』を宅録しててね。すっごかったですよ。1個の和音作るのに4回重ねるってハハッ。
高)単音だから。
スー)ハハッ単音だから…でも私はいつでもねえ「最近の若い者は」っていう準備あるんですよ。
高)ハハハ。
スー)さっきのねぇサブスクのなんとか、っていうの’90代も僕ら言われましたからね。CDとかで買っててね「お前ら歴史の流れ知らんだろ」って。
高)うーん。
スー)はっぴえんど買って、西田ひかるかって「お前何買ってんねん!」って。そのミクスチャー感はCDの時もありましたよ。だから言うのやめるんです、若者に。
高)あと、その“飛ばしちゃう”問題はね、CDでも既にスキップする人いたから、プリンス(※米ミュージシャン’58-‘16)がそれを嫌って、1枚全部曲が繋がってるアルバム出したんです。
スー)アッハハハハハハ!あったあった。
ミ)高野さんが若者の音楽で驚いた曲を教えて下さい。
高)はい、やっぱりアニソン・ボカロ音楽は、ホントに学生と付き合う中でいろいろ教えて貰って、今となってはもうビックスターですけども米津玄師さんがね、ボカロPから初めて自分で歌い始めた頃の曲。これは僕も当時聞いて凄く新鮮だったんで聞いてみましょう。米津玄師の『ゴーゴー幽霊船』。
♪米津玄師の『ゴーゴー幽霊船』。
高)11年前ですね。割と「近過去」は振り返らないですよね。
ミ)もう一回ソリトンやらないといけないと思います。10時台はいよいよYMOと高野寛さんの交流について伺って行きます。
 
【22:00台前半 細野晴臣坂本龍一高橋幸宏と高野寛】
【会いに行けるDJ告知タイム】
スージー鈴木とミラッキ大村のイベント「Eの音粋」
6/17(土)16:00 東京大井町駅前E-LOUNGE E-LOUNGEサイト確認の上メールで申し込み 定員40名。レコードを聞きながら裏話、モノマネ⁈質問コーナー等、3年間のご愛顧に対するリスナー感謝祭。
 
ミ)「土曜ソリトン」ではYMOのメンバー、矢野顕子さん登場回もありました。細野さんと高野さんが最初に会ったのはいつなんでしょうか。
高)デビュー直後位に、行きつけの美容院が一緒で、そこでバッタリ会ったような記憶が薄っすらありますね。その後もそんなにお仕事で関わりは無かったんですけど、今急に思い出した。’90代末に細野さんがアンビエントにずっとハマっていて、アンビエントの即興ユニットみたいなので、人知れずライブをやってた時期があるんです。そこに僕時々呼んで頂いて、もう完全即興でいろいろやってました。ちょっとだけ歌わしてもらったり。だからちゃんとご一緒さして貰ったのはそれこそ「ソリトン」の沖縄ロケの時に細野さんが来て下さって、僕の曲で三線を伴奏して下さったんです。あれが最初だったんです。
ミ)YMO時代の細野晴臣の印象は高野さんどうだったんでしょう。
高)いやあ不思議な人ですよね。
スー)どう不思議ですか?
高)何かこう、多くを語らないし。凄くスピリチャルの世界の事とかも本でやってたりするんですけど、それは表には出て来ない。作品の中にこっそり忍ばせてるみたいな。そういう所に惹かれて行って、だから本も随分読みましたね。
ミ)ベーシスト細野晴臣についてはどういう風に見てらっしゃいます?
高)いやあ粋ですよね。渋い。決してスラップとかをバチバチ決めて目立つようなタイプじゃないんだけども、音楽に精通してる人なら「うーん」と唸らざるを得ないような。ホントに音楽的なベースですよね。
ミ)シンガーソングライター、プロデューサーとしての細野さんの特徴っていうのは。
高)いやあ、カメレオンですよね。
スー)カメレオン。
高)いや、だってね、はっぴえんどの人がYMOやってたって。それだけでもちょっともう相当ですよ、まずは。ホントにいろんなジャンルで誰が先駆者だったかなっていうのを掘り下げて行くと、沖縄音楽をポップスに取り入れたのも細野さんが一番最初。さっきラップの話が出たけど、ラップという言葉を最初に聞いたのもYMOの「BGM」(’81,3)に入ってた。
スー)『ラップ現象(RAP PHENOMENA)』。
高)あと「ommni Sight Seeing」’90代ソロ・アルバムではミニマルテクノみたいな事を、最初にやっていた。ホントに知らずにそう言うのを聞いてて、後になってから「あれ細野さんあの頃にもうやってたんだ」っていう事ばっかりなんですよ。
ミ)全ての最初。
高)日本のね。
ミ)ここで10時台1曲目クイズ答えをスージーさんお願いします。
スー)これはね、選曲自体は高野さんにやって貰ったんですけど『恋は桃色』という曲ですね。さっきヒントで言ったように“HOSONO HOUSE”の跡はもうガレージになっております。この曲の聞き所はどんな辺になってますか。
高)いやあ僕歌詞とメロディが好きで、名曲だなっていう。シンプルにそこが好きですね。
スー)さっき言ったヒント「雨」の歌詞がありますね。素敵なステッカーが当たる正解当選者はヤマサキさんにしましょうかね。ソリトンの思い出を下さいましたありがとうございます。では高野さんから曲紹介お願いします。
高)細野晴臣『恋は桃色』。
♪細野晴臣『恋は桃色』
ミ)26歳の歌声ですね。
スー)でも作詞も細野晴臣。フフフッ。
ミ)先程もお話ありましたけど高野さんは坂本龍一さんのラジオを聞いてたと。
高)そうですね、僕当時結構田舎に住んでてラジオ局が少ないんですよ。だからNHKのFMってホント重要な情報源で。「サウンドストリート」っていう番組があってね。毎日のように聞くんですけど、坂本さんの火曜日っていうのが大事で。そこで知った音楽っていうのがいっぱいありましたね。
ミ)デモテープを募集してるコーナーがあった?
高)そうそう、いつも笑いながら感心して聞いてたんだけど。ある日テイ・トウワっていう浪人生の人がとてつもない斬新な楽曲を出して来て、同い年だっていうのが分かって。それ以来テイ・トウワ君(※DJ・音楽プロデューサー・アーティスト)は僕の仮想ライバルになったんです。
スー)なんだこいつは⁈って?
高)そうそう。
ミ)何歳の時ですか?
高)17-8かなあ。
ミ)高野さんは送られてないんですか?
高)僕はね、送りたいなあと思ったけど、ちょっとレベルが高かったんで「うーん」と思てる内に番組が終わってしまって。
ミ)スージーさん、そん時送らなかった曲っていうのを「ソリトンSIDE-B」で高野さんは坂本龍一さんに聞かせるんです。
スー)イイ話だなあ。NACK5のご自身の番組でもデモテープ募集してませんでした?
高)やってました。それは明らかに影響下にあるっていうか、同じ事やりたかったんですね。
スー)そん時僕、友達に言われたんですよ「送ってみれば?あんまり来てないみたいよ」。送らなかったけどハハハッ。
高)一旦そういう’80代っぽいサブカル的なものが、僕がデビューした後は廃れて行った時期もあったので。中々みんなそういう宅録しようっていう発想よりもバンドやろうっていう時期だったんですよね。
スー)そうでしょうね。
ミ)高野さんは坂本龍一さんの’94sweet revenge Tourに参加されている。
高)ギタリストとしてですね。
ミ)このオファーが来た時どう思われたんですか?
高)えっいいんですか?っていう。僕でいいんですかって思いました。
スー)フフフッ。
ミ)ちなみにどういうタイミングでオファーが来たんですか?
高)結構直前で、リハが始まる1週間前にオファーがあって、ちゃんと決まったのは3日前でいきなり始まる。
スー)それは中々ですねえ。
高)いやあ、それ以前に坂本さんの「sweet revenge」っていうアルバムで、僕1曲ギターとボーカルで参加さして貰って(※『君と僕と彼女のこと』)たのと、『夢の中で会えるでしょう』っていう自分のシングルを坂本さんのプロデュースで録音してたんで。その辺を、自然に流れとして組み込めるんじゃないかっていう話になり。
ミ)ワールドツアー全13公演を回ってみて初めて分かる坂本龍一の凄さって。
スー)フフッどんな人なんですか?
高)いやあ、タフな人ですよねえ。いつもねえ、何て言うかなぁどっしり構えている。ま、それが音にも現れてるしね。
スー)カメレオンとタフですね。YMOの二人は。
ミ)フフフッ。
高)それでいろんな国を回ってね、海外で。イタリアとかフランスの熱狂的なリアクションってのも肌で感じて。わあーやっぱりYMOって凄いなって改めて。坂本さんイタリアではサウンドトラックですね、ベルトリッチ監督(※「ラストエンペラー」他)の。そこでの評価もあるし。最終日のパリ公演ではアンコールの前に「Y・M・O!Y・M・O!」それはやっぱり忘れられないですね。
ミ)sweet revenge Tourのライブ盤では高野寛さんのギターで始まる、誰もが知るあの曲のイントロ。
高)これギターが入ってるこの曲ってあんまりバージョン無いんじゃないかな、と思うんですよね。そういう意味でもちょっとレアな録音かなと。
♪坂本龍一『メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス』
ミ)最後は高橋幸宏さんとの関係は、一番深い所という事になりますね。そもそもはオーデションですか。
高)そうですね、幸宏さんとムーンライダーズ主催のオーデションで知り合って、その翌年にビートニクス(※’81高橋幸宏・鈴木慶一音楽ユニット)のツアーに誘って頂いて。当時は僕ギタリストになりたかったんですよね。とは言え先程聞いて頂いた大村憲司さんがメイン・リードギタリストとしていて、真横で聞いてる訳ですよいつも。音があまりに凄くて。
スー)ハハハハハッ。
高)プロって言うのはこういう音を出さなきゃいけないんだと、ちょっと鼻っ柱を折られまして。
スー)あの、言葉で言いにくいでしょうが、どういう風に違うんですか?
高)うーんと。僕はいい音出すにはエフェクターとかいっぱい繋がなきゃいけないっていう思い込みがあったんですよ。でも大村憲司さんって3つか4つしか繋がないんですよ。
スー)なるほどなるほど。
高)アンプが変わったりしても、同じ音なんですよ。
スー)へえー。
高)だからやっぱり凄い人ってのは、ホントに“弘法筆を選ばず”なんだなあって言うのを肌を通して感じて。それまでアマチュアバンドしかやった事ない自分の中に一流のプロのライブツアーという基準が出来ましたよね。
ミ)幸宏さんという方は高野さんにとってどういう方なのかなと。
高)いやあー、ホントに多面的な人で、中々みんな実はわかってないんじゃないかなと思う所があって。まずドラマーとしても凄いしシンガーソングライターとしても超個性的だし、プロデューサーとしてもいっぱい名作を作ってるし、それでファッションデザイナーでもあるし。その辺のこう何て言うかな、普通の人では考えられない位の仕事量をこなして来た人なんだけど、全てセンスで即座に判断して決めて行くからこそのスピード感で仕事が出来てたんじゃないかなって気がしますね。
ミ)幸宏さんから得たモノっていうのはどういう事になるんでしょうか。
高)うーん、中々ひと言では言えないかなあ。もうホントに親戚みたいな。まあYMOチルドレンっていう言葉があるけれど、ホントにそういう意味では音楽の父の1人なんで。客観的には語れないな。幸宏さんとはスタジオでもステージでも数限りなくご一緒させて貰ったんで、その度にいろんな幸宏さんの所作とか言動を見ていて、なんか憧れて来たし、自分も無意識に影響受けてると思いますね。幸宏さんが若い人をチェックするっていう目線で自分も拾って貰った所があるし、だからこそいつもずっとフレッシュで時代を半歩先を行くっていうか、そういう作品を作って来れたのかなあと思いますね。
ミ)高野さんに高橋幸宏さんの曲を選んで貰いました。
高)はいじゃあ『Drip Dry Eyes』。
♪高橋幸宏『Drip Dry Eyes』
 
【ラスト・ゾーン Nathalie Wise】
ミ)最後のゾーンは高野寛さんがギター・ボーカルを担当するNathalie Wiseのニューアルバム5/6発売「Open Sky」から新曲を聞いて行きます。メンバーはTOKYO№1SOUL SET のBIKKEさんアンダーカレント斉藤哲也さんそして高野寛さん。このバンド加入はどんなきっかけだったんでしょう。
高)これもソリトンが関係していて。
スー)お⁈ ミ)なんと!
高)ソリトンの時に僕BIKKEと初めて会って、普通のラップじゃない所が面白いなと思って。次のアルバムで僕1曲ゲストにBIKKEを呼んで曲を作ったんですよ。『TIME WAVE ZERO』っていうのを。で、そこから数年経ってNathalie Wiseってのを斉藤君とBIKKEが始めたっていう話を聞いて、誘われたんですけど。ちょうど僕その時ソロを次どういう展開しようかな、と一旦休止してた時期だったんで、そこでタイミング良く入ったっていう。
ミ)今回の「Open Sky」は19年ぶりのアルバム。活動再開2021年コロナ下なんですけど、このきっかけはどういう事だったんでしょう。
高)やっぱりコロナ禍大きかったですね。時間があり余ってた事と、それぞれがリモート体制が出来てたんですよ。なので最初は配信ライブで集まってスタートしたんですけど、その後もうちょっと曲が欲しいねって事になって、新曲を作る時も、そんなにいつも集合しなくてもネット上のやり取りで曲ができると言う風になって行って。
ミ)じゃ早速ニューアルバムから1曲聞かせて下さい。
高)はい、イントロが今時の曲としてはめっちゃ長いです。Nathalie Wiseの『何もない世界の果てに』。
♪Nathalie Wise『何もない世界の果てに』
ミ)これ元々BIKKEさんがインストを作っていて。
高)そうなんですよ。それを勝手に僕がNathalie Wise用にアレンジして。自分が歌ってる所は先に考えてBIKKEにラップ入れて、って言って。Nathalie Wise史上初めてBIKKEのメロディが一番先にあったと言う。
スー)イントロとエンディングはYMO臭がしましたねえ。
高)そうですねえ。Nathalie Wiseの3人の共通点ってYMO好きっていう事位しかないんですよ。みんなやってる事も趣味もバラバラだったりするだけど。やっぱりYMOってのはありますね。
ミ)続いてもう1曲「Open Sky」からお願いします。
高)じゃあ『波』っていう曲を聞いて下さい。
♪Nathalie Wise『波』
スー)エンディング、ロマンティックですねえ。
高)ありがとうございます。
ミ)ライブなど予定されてますか。
高)関東はまだ決まってないんですけど、7/15に京都でやる事が決まってます。
ミ)高野さんNathalie Wiseとソロと違うアプローチなんですか?
高)そうですね。歌い方も意図的に変えてる部分もあるし、うん、なんか刺激になりますよね。
スー)メールで上田市Y.Sさん《7.15京都ライブ行きます。旅の計画を練るのも楽しいです。『波』をリクエストお願いします》と。
高)ありがとうございます。
ミ)さっき『何もない世界の果てに』かかってる間お話してたんですけど、BIKKEさんは韻を踏まないんですが、高野さんはこの曲の中で。
高)踏み倒してます。
スー)フツー逆ですよね。ハハッ。
ミ)どっちがラッパーなんだと。
高)そういうアプローチ、誰もやってないだろうと思いまして。
スー)ハッハッハッ!ラッパーが韻を踏まない。
ミ)是非「Open Sky」お聞き下さい。それでは本日のラストナンバーです。本日は高野さんをお招きできてよかったです。「ソリトンSIDE-B」の中で坂本龍一さんとスタジオライブもやられた曲でした。番組20年後出た本のタイトルも「夢の中で会えるでしょう」でした。私にとっても特別なナンバーです。夢の中でなくbayfmで会えるでしょう。
♪高野寛『夢の中で会えるでしょう』
スー)ありがとうございます。9の音粋どうでしたか高野さん。
高)こんなにマニアックでいいんですか?
スー・ミ)ハハハハハッ。
スー)今日の番組最高だった、いつもバカな選曲してる番組とは思えない、とTweetがいくつかありましたよ。
ミ)4年目に入ります。
スー)また良ければ、呆れなければ来てください。
高)こういうのがラジオの醍醐味だなって思うんですよね。
ミ)ありがとうございます。
スー)では来週は分かりやすいポップな企画にしましょうかね。来週は《オリコン最高6位特集》。
ミ)ププププププーッ。
高)フフフッ。
スー)5位までに行かなかった!6位!なんだこれは?って話ですが。今日告知したイベントの企画もいろいろ考えております。
ミ)DJはミラッキ大村と。
スー)スージー鈴木とそして今日のスペシャルゲスト!
高)高野寛でした(※SE:拍手パチパチパチパチ)
ミ)番組特製ステッカーこれMDのデザインなんです。
高)MDねえ。MDはホントにあだ花のように消えて行きましたね。
スー)あだ花だー!また来て下さいね。
高)この分厚い台本が全然消化しきれなかった。
スー)アハハハッ。いつもぺラッペラなのに。
ミ)普段4ページしかないのに今日は11ページありました。
スー)うわ、台本みたい。
スー・ミ)高野さんありがとうございました。
===終了===
 
みにょん:《本当に様々な音楽ジャンルで日本における先駆者カメレオンのような細野晴臣。坂本龍一のラジオ番組から大きな影響を受けた。多面的な高橋幸宏は音楽の父の1人》高野さんの穏やかな語り口での貴重で素敵なお話。《こういうのがラジオの醍醐味だなって思うんですよね》と言って下さった高野さんにもっとお話しして欲しかった。前のめり過ぎたDJの口数の多さが残念。(本つまみ書きでは高野さんトークをそのままに、過剰情報はほぼカットしました)ゲストへの対応とトークをもっと大事にリスナーに届けて欲しいと痛感した回。“誕生回”がこのようになるなら、その企画は今回限りにして欲しいとも思った。
月曜キュウオン、今の時代大事に続けて行って欲しい稀有な番組と思うファンとして辛口感想を記します。
 
☆来週(5/22) 《オリコン最高6位特集》
☆番組特製ステッカー・シェア大賞:ビジータクヤンさん なぞかけ大賞:るうなさん

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