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不利益を被った時、人は怪獣になる

おそろしい…

おそろしいものを見てしまった気がする。
鳩がトラに豹変する瞬間をみてしまったような気持ちだ。
いや、私はトラなどの猛獣類が好きなので別のものにしよう。

「怪獣」で良い。

私は、人の不器用さや感情の起伏をとても愛おしいものだと思っている。人間らしくて良い。
ただ、お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸を、我先にと取り合うような人間の姿を見ると、それを愛おしいと思えるほど私は人格者ではないのだ。

不利益を被った時、人は怪獣になる。

私は、”取るに足らない”ことで豹変してしまった人たちを見て、この上ない失望を感じた。
もちろん、その人たちにとって”取るに足らないことではない”ことだというのは理解している。が、それは人の生き死にに関わることでもなく、明日の暮らしにも困るということでもない。権利を奪われたとか、屈辱を受けたということでもない。
日頃、愛だの優しさだのを標ぼうしている人たちの豹変ぶりが、私にはショックだった。

批判ではない。ショックだったのだ。

それは私とて同じで、これまで何度も怪獣になってきた。
怪獣になった私は、それはそれは恐ろしい。これまでゴジラやモスラが様々な建築物を破壊してきたが、私は小惑星B 612さえ破壊してしまうかもしれない。

怪獣になるのは、命をかけた戦いの時だけで十分だ。
それ以外の細やかな不利益を被った時、私は心の内側にミニチュアの怪獣をしまい込んでおこうと決めた。
そして不利益を被ったときには、こっそりとスカイツリーを1mm破壊しよう。
きっと誰にも気づかれないはずだ。

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