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ド素人の私が衆院選に立候補する理由

佐藤真実(さとうまなみ)です。
私は現在37歳で、さいたま市に住んでいます。
普段はフリーランスで広告関係のグラフィックデザイナーとして働きながら、5年前から地域の見守り役である民生委員を務めています。

私は東日本大震災をきっかけに、自分が暮らす地域社会に関心を持ち、それから約10年間、さまざまな活動に取り組んできました。
居場所づくりや地域交流(「シカテ一畳マーケット」「鹿手袋シカテカフェ」など)、子どもたちや高齢者の見守り(民生委員)、防災活動(防災士・浦和防祭連合「別所沼公園BOUSAI PICNIC」)などを行ってきたご縁があり、今回の衆議院選 埼玉1区に無所属の新人として立候補しています。

この記事は少し長いですが、ここまでの私の道のりを書き留めています。
ぜひ、ご一読いただけたらと思います。

活動のきっかけ
〜地域で感じた孤独〜

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2011年3月の東日本大震災、私は当時26歳。
都内勤務の夫の帰りを埼玉の自宅で一人待っていました。
その間にTVから流れる東北の津波の映像。
とてもショックでした。
私の実家は千葉県の九十九里なので、大変心配でした。
家族と連絡が取れず、そわそわして、家の中をぐるぐるしていたのを今でも覚えています。

何度も余震がつづき、いつまた大きな地震が来るかもわからず、だからと言って近所に頼れる知人・友人も全くいない。
何かあったら、どうしたらいい?どこに助けを求めたら良いのだろう?
私は、地域の中で孤独と孤立を感じていました。
それまでは都内に遊びに出かけ、音楽バンド活動をしたり、都内で買い物をし、友人の住まいもバラバラ。
どうして今まで自分が住む地域のことに目を向けてこなかったのだろう?と気づきました。

そこから、地域社会に目が向くようになりました。
・もしもの時、私はどこの避難所に行けばいいの?
・避難所はどんなところ?
・どこに行けば水がもらえる?
・そういえば、家賃と一緒に引き落とされている自治会費って何?
・自治会ってどういうところ?
・自治会の回覧板って回ってきていたっけ?
・その前に、これって誰に聞けばいいの?

数多くの疑問が出てきました。


市民活動への関心
〜まず私ができることは何か〜

同時期に、当時勤めていた駅ビルの販売促進部の仕事で、歌やダンスなどの活動している市民活動サークルを駅ビルのイベントで呼べないか?という案件があり、情報収集をしていたところ、さいたま市のPARCO 9F にある「市民活動サポートセンター(通称:サポセン)」に辿り着きました。
そこには当時約1,900団体の登録があり、市内でこんなにも多くの人たちがさまざまな活動をしていることを知りました。
その団体の皆さんの広報チラシがサポセンに多数並べられているのですが、内容は素晴らしいのにデザインされておらず、伝わりづらい。せっかくの活動が勿体無い!と思い、私ができるチラシのデザインや広報支援ができないか?とすぐにサポセンのスタッフに相談し、市民活動への支援活動がスタートしました。
NPOを立ち上げ、まだ始まったばかりのクラウドファンディングを活用し、地域情報誌を作ったりもしました。

私も地域でやってみたい!
〜自分の居場所づくり〜

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活動を進めていくうちに、支援する側ではなく、自分自身も主体となって何か地域でやってみたくなりました。
みんなができるのだから、私にもできるだろうと。

2015年、まずは住まいの近くの集会所を借りて、月1回お茶会を開催することにしました。今までの支援活動の中で、お茶会やサロン活動を見てきてヒントを得ていました。コーヒー嫌いの私が、コーヒーの魅力にとりつかれ、これ(香りや雰囲気)はコミュニティ形成に使えるのではないか?と思ったからです。
集会所を借りるのも初めてで、どこに申し込みに行ったら良いかわからずでしたが、何とか借りることができました。 

たった一人で始めて、勝手にお茶会を開くだけでしたが、SNSを通じて徐々に参加者も増え、多い時では1日で50人以上が集まった時もあります。
町で迷子になった認知症の女性が偶然ふらりと立ち寄り、その場に居合わせたみんなで自宅を探して、送り届けたこともありました。(※本来は警察に連絡ですが、その時は無知でした。)
地域の集会所ということもあり、自治会役員会などにも使われるため、徐々に役員の方々とも顔見知りになりました。
実際に動き出してみると、さまざまなことがありました。
 
同年、「やればできるじゃん!」と味を占めた私は、もっと楽しい企画をやりたい!と、この地域に越してきた時から気になっていた大きな倉庫で、フリーマーケットのイベントを企画しました。
ちょうど倉庫会社のスローガンの中に、地域密着という文言があり、快く引き受けてくださいました。
1区画を「畳」に例え、1畳から出店できる「シカテ一畳マーケット」(シカテというのはこの地域の愛称)と名づけ、2019年まで毎年1回開催をしています。※現在は新型コロナ感染症拡大防止の観点で休止中です。
参加者は老若男女問わず、子どもたちも障害者も楽しめるイベントで、毎回約1,000名の参加があります。
他にも様々なイベントを開催するたびに自然と仲間が増え、つながりが大きく広がりました。

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地域の見守り役「民生委員」になったきっかけ

お茶会やマーケットイベントを開催する途中、民生児童委員協議会の方から何度か「民生委員にならないか?」とお誘いを受けていました。
だけれども、「民生委員」がよくわからず、きっと大変な役職なのだ・面倒なことなのだ と避けてきました。

2016年の夏、今まで使っていた集会所だけじゃなく、自分専用の拠点がほしい!と自宅兼活動拠点を探し始めました。
その途中、また「民生委員」への打診があり、「じゃあ、物件をご紹介いただけたら引き受けます!」と冗談半分で返したところ、本当に良い物件が出てきて、そこから私は民生委員になりました。

ただ、交換条件で・・・というのはきっかけにしか過ぎません。
地域で何か役職や役割を持ち、自分の「居場所」を確立させることは、防災の観点においても非常に大きな意味があると以前から感じていたからです。
地域活動を通して、震災前よりも自治会の意義や自主防災組織の活動等を間近で見て知る機会が増えていたことが何よりのきっかけです。

他の地域から引っ越してきた私は、昔からこの地域に住んでいる方々からすれば他所者です。
その他所者がどうやったらこの地に馴染み、コミュニティの一員になり、安心安全に暮らしていけるのか。

安心安全に暮らしていくには、自分だけが助かっても仕方ありません。
家族も周りの人々も遠くの人々もみんな元気であってほしい。
誰一人取り残してはいけません。
そのためにはどうしたらいいか?
以前よりももっと強く考えるようになりました。


楽しい防災があってもいいじゃないか!
〜浦和防祭連合始動!〜

震災きっかけで始まった地域活動ですが、なかなか「防災」に本腰を入れて何か始めることは難しく、周りを見渡しても堅苦しい防災訓練・高齢者のみでなんとかやっている自主防災組織を見かけるたびに、「嗚呼、これで本当にいざというときに自分たちの街は助かるのだろうか?」と不安に思っていました。

「誰でも気軽に始められる、楽しい防災があってもいいのではないか?」
たまたま活動の中で出会った防災意識の高い仲間で、2017年に自主防災組織「浦和防祭連合(うらわぼうさいれんごう)」を立ち上げました。
防災を“祭”としたのには、理由があります。
祭りは面白おかしい楽しいイメージだけではなく、古来から人々は自然災害を鎮めるために祭事をし、昔を今に伝え、今を未来につなげる重要な行事。そしてコミュニティ形成にも不可欠で、まさに防災にぴったりだなと思ったからです。

自助共助の部分を強調し、公助に頼らず、まず自分たちができる備えのきっかけづくりを意識してさまざまな企画を行ってきました。
私自身も防災士の資格を取得。
防災コミュニティマップの作成や、非常食のアレンジレシピ、折るだけで簡単に作れる防災ポーチの開発、非常用トイレの啓蒙啓発などを企画。
商業施設との防災イベントのコラボもありました。

2019年3月には官民連携の企画として、浦和の別所沼公園で「別所沼公園BOUSAI PICNIC」と名づけた防災マーケットを開催。
官民問わず30ブースほどが出店し、約1,500名の参加がありました。
参加者の50%以上は今まで防災に興味がなかった人たちや、普段の防災活動でもなかなか力を発揮できず迷っていた人々です。
※2020年も開催予定でしたが新型コロナ感染症拡大防止の観点で直前に中止

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活動を通して見えてきた課題

このような活動を通して見えてきた課題があります。

例えば、防災。
このところ国内でも様々な自然災害が頻発するようになってきています。
大きな被害をもたらすと予想されている首都直下型地震は、今後30年以内に70%以上の確率で起こると言われています。
にもかかわらず、避難所の運営は各地域の自主防災組織にほぼ丸投げされ、任されている自主防災組織は待ったなしの高齢化一直線。
自主防災活動の当事者アンケートでは「役員の高齢化が課題」と答えた人が約74%もいました。
このコロナ禍で訓練も難しく、これまで同様の密集した避難所で長時間共同生活を送る・・・なんていうことになってしまったら、本当に心配です。
また、政令指定都市の約40%が、災害が発生した際の新型コロナでの自宅療養者の避難対策が不明確。
近年の震災で大問題になったトイレ不足問題も解決しておらず、非常用トイレの自宅備蓄率は20%程度と言われています。

果たして、日中仕事で家を留守にすることが多い中、高齢者や子どもたちや家族を、大震災などの災害から守ることができるのでしょうか。

実際に危機に直面することになる私たち市民の目線で、より実効性のある策をつくり、分かり易く提示することが政治の役割なのではないかと私は思います。


人への投資をしてこなかった政治

課題を解決するには、人が動くしかありません。
しかしながら、課題の本質を見抜き、解決に向けて動ける人材が圧倒的に少ないように私は感じています。
先に述べた自主防災組織も、高齢者や子どもたちを見守る民生委員すらも、ほとんどが高齢化で担い手不足です。学校などの教育現場や社会福祉・医療の現場も、同じく担い手不足が深刻化しています。

行政が私たちに求めることや、負担はどんどん増えています。
行政が「自助・共助」を声を大にして使っています。
私たち手助けをするための「公助」が、なぜ私たちに負担を背負わせてくるのでしょうか?
とても疑問です。


政治家になる決意

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そんな中、私の活動を普段から目にし、気にかけてくださっている方々から、「国政にチャレンジしてみないか?」とお声かけをいただきました。
正直「いや〜、国政なんて絶対無理です!」と思っていましたが、私が常日頃気づいていた課題解決の為の根本は国の政治であり、そこをクリアしなければ何も良くならないなと気がつきました。
 
というわけで、
私は、地域活動を通して目にしてきた様々な問題、それも表面的な問題だけでなく構造的・本質的な問題点を、皆さまと同じ「市民目線」で国政に届け、変えていきたいと決意し、立ち上がりました。

既存政党に頼らない“真の無所属”での立候補は、民主主義への本気のチャレンジでもあります。

変化を恐れず、素直に堂々とやればできる!変えられる! 
もしそんな変化が実現できたならば、そのころにはきっとこの日本は、「誰もが安心して思いっきり人生を楽しめる国」に、なっているはずです。
私は、そう信じています。

また、そんな私の今回の動きが、全国それぞれの地域で頑張っている、同じような思いをしている皆様へのエールとなり、何らかの良い影響があればと思っています。


どうかあなたの力を、みなさんの力を、ぜひ私に貸してください。 


2021年10月19日
佐藤まなみ


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