見出し画像

柴 那典『ヒットの崩壊』を読んだ それにまつわる私的考察

柴さんのヒットの崩壊を読んだ。

柴氏のルポルタージュ、音楽現場最前線を戦っている人達へのインタビューを基にした現況分析の一冊だ。『この方策を援用すれば、いまの音楽産業の閉塞感を打開できる!』というような明確なアイディアは本書にはないが、「なぜこうなってしまったのか?」という過去整理と、「いまヒットと呼べる存在」の現況分析、そのなかで<ヒットとはなにか?>という難問について、多くを枚数を割いてる。

柴氏が本書の執筆を決めたのは、足繁く通ってきたライブ会場での熱量とCDなどの音楽産業関連の売上数との間に、大きな錯誤と乖離を感じたからだと述べている。本書のテーマは<ヒット>についてであるが、今作のタイトルのようなテーマを先に決めてインタビューを重ねたわけではなく、数々のインタビューと執筆から浮かび上がってきたものが、『ヒットの崩壊』という体を得た、といえば的確だろう。担当編集を務めた佐藤氏との会話からタイトルが浮かび上がったということからも、その流れを察し到ることができる。

本書が特徴的なのは、音楽を取り扱った書物でありながら、音楽の構造や音楽そのものについての記述が少なく、音楽の外側に広がる音楽産業についての記述が多いことだ。中村とうようや田中宗一郎などに代表される音楽評論の専門家は最低限しか登場せず、むしろアニータ・エルバースが著した『ブロックバスター戦略』を取り上げて印象的な話を記しているということを知っていただければ、本書がどのような立ち位置にいるか察していただけるかと思える。

___________________________________

柴氏は大滝詠一のこの言葉を書いている。

「歌は世につれ、というのは、ヒットは聞く人が作る、という意味なんだよ。ココを作る側がよく間違えるんだけど。過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことはないんだ。作る側はあくまで作品を作ったのであって、ヒット曲は聞く人が作った」(大滝詠一『Writing&Talking』)

同時に氏は、こう書いている、この部分が本書の確たる部分、いわば分析結果であり、氏の怜悧な視座を感じさせてくれる部分だ。

「ココ十数年の音楽業界が直面してきた<ヒットの崩壊>は、単なる不況などではなく、構造的な問題だった。それをもたらしたのは、人々の価値観の抜本的な変化だった。<モノ>から<体験>へと、消費の軸足が移り変わっていったこと。ソーシャルメディアが普及し、流行が局所的に生じるようになったこと。そういう時代の潮流の大きな変化によって、マスメディアへの大量露出を仕掛けてブームを作り出すかつての<ヒットの方程式>が成立しなくなっている」

ここに先述した言葉を足してみると、<ヒットとは、数字ででしか測れないのか?>という疑問や壁を、氏が本書の内々に封じ込めたかのように感じられる。実はまさにその通りで、本書の裏テーマは、人は数字を通さなければ物事の影響を計り知ることができないという事実にあると、柴氏は語っていた。

人から支持を受ける/人に支持することと、人が商品に対して対価を払ってコンテンツを得ることが、必ずしもイコール関係ではなく、ヒットと示すための指標と構造が失われていることを、本書は淡々と示していく。

特に印象的なのは、第6章「音楽の未来、ヒットの未来」における<音楽を占い新世代のスター>と<アデルの記録的な成功>についての記述だ。前者はいままさにヒップホップ界の新星と目されるChance The Rapperについて、後者はイギリスが産んだ歌姫Adeleについて、両者ともに、いまや世界から熱視線を浴びる<時の人>なのは間違いない。

しかしながらこの日本において、およそ後者の話をテレビで観ることはあるにせよ、前者の話をテレビで観たことがほとんどない。しかも両者ともに、2016年現在において日本での来日公演をしたことがないとくれば、この国が持っているミュージック・カルチャーへの感度の低さが目に見えてくるようだ。

いろいろ考えてみれば、前者はほぼインディペンデントな活動で音楽事務所やPRを通していないこと、後者は飛行機嫌いが祟っていることでLady GaGaのようなPR来日もない、これらが日本における認知度の低さに繫がってはいる。重要なのは、両者の間には「セールス」という指標を使えば大差があるが、それが人気度に繫がっていないという点にある。

ココの点が最たるように、本書の終盤において柴氏は、ヒットを成り立たせる環境や音楽を届ける媒体は変わらなければいけないものだ、このように記している。同時に氏は、<もう数字でヒットを計るのはやめないか?>とも、<ヒットを数字で計るのであれば新たな指標を捻出すべきでは?>という具体的な方策も、本書内にては書かれてはいない。その答えを読み手自身に委ねられている、その点でアクチュアルな行動を促しているように僕には読み解けた。

___________________________________

『説明しなくても分かる』という無言のコミュニケーション……<空気を読む>……ことに長けてきた日本人と日本社会では、そういった説明をせずに<ヒット>が積み重なる時代を長く生きてきた、そこに一本筋通してきたのがオリコンチャートでありカラオケチャートだったとボクは考えている。

大瀧詠一の言葉をもう一度引用し解釈すれば、「ヒットはメディアではなく、消費者が生み出す」。これからの時代は、この目に見えない<ヒット>を解釈し、言葉にし、数字にし、消費者側がミュージシャンやメディアの人間の目に見える形にして<応答>する時代になる、いやむしろ、まさにいま、ヒットとは<応答>の時代になっているといえよう

昔はそれがレコードやCDを買い、ライブ会場に足を運ぶという<消費>がヒットの指標だったろう。だが今ならば、大ヒットしている曲やドラマや映画に纏わるダンスをみんなで踊ったりコスプレしたり、ブログやTwitterやフェイスブックに感想や批判を書いてみる、作品で使用された商品やモチーフになった場所に多くの人が集まって擬似的体験を求めて聖地巡礼をする、などが最たる例に挙げられよう。

これらがまさに00年代のネット文化から発せられたという事実を見過ごしてはいけない、SNSが流行っている現代を感じれば、既に現代のポップカルチャーにおいてヒットの鏡は<消費>という形だけではなく、<応答>という形なのだと言い切っていい、既にその時代に突入しているのだ。

こういう目に見える形で作品とそれに対する応答が生まれても、消費者が<ヒットしている>と応答しても、<それがヒットである>と判定してくれるシステムそのものがない、それは転じてみれば、なぜ人気を得ているのか?という解釈、またそれを広めるメディアが少ないことと柴氏は伝えたいようにも読めてくる。

消費者からの応答を広める手腕として、「いまこれが流行っています!」というお題目で直接的な記事を流すことを最初に思いつきそうだが、それがどれほど信憑性あるものかどうかは、各メディアに寄せられている信頼感と消費者の心一つにかかってしまう、それがいまの<ヒット>をめぐる最前線のように僕は捉えている。

___________________________________

もしも今回の音楽について、ヒットだと形付けるためにどのような仕組みが有効だろうか。

サンプル対象としてCDの売り上げをベースにしたランキングだけじゃなく、数カ月先に行われる注目のライブツアーや現在行われているライブツアーを特集する番組があれば面白いだろうと思う。30分や1時間の尺で、注目されるライブツアーに密着取材し、リハーサルからスタッフの証言までを裏側を映し出し、どういったテーマをどのように演出するか?に悪戦苦闘する人たちを追いかける番組だ。

もしもそのライブツアーが質も同人数も成功すれば、きっと大きな注目を集めるだろう。ライブ関係業者からすれば、顔をシレつことで業界内交流も活発になり、ますますライブシーンが面白くなっていくかもしれない。

ライブハウスやバンドとネット配信サイトがタッグを組み、その日行われるライブハウスの公演をネット販売するような仕組みは、いままさに面白い状況になっている。DOMMUNEやMOGRAでは無料でDJを放送しているが、今現在LINE LIVEやAbema TVは対バンドとのBtoB、対ライブハウスとのBtoBビジネスを進めている。本書では柴氏が指摘しているように、メトロックフェスとAbema TVが手を組んで、驚異的なビュー数を稼いでいる。

それをすこしだけ発展させ、新宿のLOFT/Marz/ANTIKNOCKや新代田Feverのような色濃くシーンを反映するライブハウス、恵比寿リキッドルームや渋谷クワトロのような新進気鋭なミュージシャンがライブハウス、そしてグリグリに赤丸がつけられるミュージシャンのライブを放送する。それだけでも、アーリーアダプターな人たちには届くのではないか?とは思うのだ。


こんにちは!!最後まで読んでもらってありがとうございます! 面白いな!!と思っていただけたらうれしいです。 気が向いたら、少額でもチャリンとサポートや投げ銭していただければうれしいです!