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健康なお肉

わたしの父は獣医さんである。
と言っても、今では実家で腰をさすっているただの爺だ。もうしばらく会っていない。


父はよく、食卓で本日の食材紹介をしてくれた。


「このお肉は佐藤さんとこのやから美味しいぞ〜」

「この卵は嶋さんとこのやから新鮮や、ほら黄身の色がちゃうやろ」


わたしは何でも食べる子どもだったので、とりあえずふぉんふぉんと相槌を打って、目線はご飯から外さなかった。

「お前は俺のお陰で毎日こんなええもん食べてるんやぞ、分かってるんか?」

発泡酒をグビっといっては、銀歯をキラッと光らせて、父は笑っていた。
わたしは「おん」とだけ返して、「えーご」と呼ばれるお肉を食べていた。


「食べ物は好きか嫌いかなんかで分けるもんちゃう、食べられるか食べられへんかでしかないんや、傷んでへん限り何でも食べろ」

幼い頃からそう教えられたわたしは、本当に何でも食べる女に育った。

もし地球が滅亡することになっても、虫でも草でも何でも食って、最後まで生き残る予定だ。
だからみんな任せて欲しい。

何の話だったか、そうだ、だからわたしは、獣医の仕事は食にまつわるものだと、ずっと思っていた。


平成のど真ん中、鳥インフルエンザが大流行した。
当時中学生だったわたしは、いっちょまえに思春期を迎えていた。

父は何も言わずにしばらく帰ってこなくなり、ひとりっ子だったわたしは、父と母の間でだけ共有されている何かにイラ立っていた。

わたしだっているのに。

朝方、突然帰ってきた父は、母に「風呂」とだけ言い放ち、何かに導かれるように浴室へと消えた。

父はわたしの目を見なかった。

だからわたしも「おかえりなさい」と言わなかった。

あの時言っておけばよかったと、思ったりなんかしちゃったりしている。

母はいつも以上に甲斐甲斐しく世話を焼き、父が風呂に入っている間に、つまみやら寝巻きやらを完璧にセッティングしていた。

そんな母の姿になぜかイラ立ちを感じ、そんなわたしの姿を拡大鏡で写すかのように、その日を境に、父もまた荒れていった。


今思えば、そんな大荒れの二人に挟まれていた母が一番暴れたかったのではないかと思うが、母は色んなことに気付かないふりをして過ごしていた。

あの女は強い。


父との会話がなくなり少ししてから、意図せず居間で父と二人きりになってしまったことがあった。

テレビからはお笑い芸人の声が響き、嘘みたいな笑い声が静かなわたしと父を包んでいた。

何か話した方がいいのか、
かといって話しかけられても困る。
わたしだけがそう思っていたのか、父もそう思っていたのかは知ったこっちゃない。
ただ口を開いたのは父だった。

「俺この間しばらく帰ってこやんかったやろ?」

「うん」

「みんなのこと守るために、鶏何万羽も殺したんや」

「うん」

「誰も病気になりたくないし、他の農家さんのとこにまで感染ったらあかんし、お前も病気のお肉なんか食べたくないやろ?」

「うん」

「お父さんは動物のために働いてるねん、人も動物やろ?」

「うん」

「あの光景は忘れられへんわ」

「うん」


父は自分の言いたいことだけを言うと、トイレに立った。
自信ありげな声色に反して、銀歯の光る笑顔は悲しかった。

父と母が、わたしが寝静まってからしている会話や、毎日やっているニュースから、なんとなくのことは分かっていた。

父は産業動物専門の獣医だった。
父はえらくがんばったのだ。


次の日の朝、わたしは仲の良かったクラスメイトに、あくまで明るくそのことを話した。

誰かに「お父さんすごい!」と、言って欲しかった。


「え、鶏かわいそ〜!」


クラスメイトに「そっか〜」と相槌をしてから、わたしはずっと命について考えている。

動物を育てている人。
診る人。
屠る人。
捌く人。
売る人。
野菜や果物しか食べない人。
木の枝から落ちた果実しか食べない人。
栄養素だけを摂る人。
お肉しか食べない人。
わたしみたいに何でも食べる人。
食べられる動物。
全員動物、みんなでがんばって生きている。

父とは長らく話をしていない。
今年のあけおめLINEも無視された。

仕事終わりにスーパーに立ち寄った。

くたびれた体はやはりお肉を求めていて、精肉コーナーはいつでもそこで待っている。

そこには健康なお肉がたくさん並んでいて、わたしはそれを美味しそうだと思う。

2割引になっているお肉。
100g98円で買えるお肉。
赤い汁が出ているお肉。
長生きする牛や鶏はいない。

父のおかげで良いお肉を見分けられるようになった。
父は酔っ払うと「農家の人のためにも、高くても国産の良いお肉を買えよ!!!」といつも言っていた。


わたしは国産和牛を100gだけ買った。
財布は苦しかった。






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