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元気モリ子、勝利への道

信頼関係なんてのはちょっとした事で崩れ去るもので、今もアスパラガスからの信頼を失ったところである。

恐らく半年ぐらい前に買ったアスパラガスだと思う。
夕飯を作ろうと野菜室を漁っていると、隅っこでラップに包まれた何かが怪しげにキラリと光った。
身に覚えのないそれを徐ろに取り出すと、中からジャコほど小さくガリガリになったアスパラガスが一本出てきた。
皮肉なまでに大きなラップに包まれ、小さくも細部はしっかりと現役時代の姿を留めたその様に、私は思わず後退ってしまった。

これでアスパラガスからも嫌われてしまった。

メダカ、パクチー、にんじん、たまごっち、
私はこれまで様々なものから嫌われてきた。
こんな筈じゃなかったのに。

私はなるだけ多くの人に好かれたい。
たくさんの人に親切にして、私がピンチの時にはみんなで助けて欲しい。
人の分も靴を揃えて、落とし物は拾って、野良猫に道を譲って、好き嫌いなく美味しく食べる。
そんな小さな徳をたくさん積んで、最後には私が大勝利を掴みたい。毎日そうやって暮らしている。
それなのに、たまにこういうヘマをしでかす。
今年だけでもたまごっちはふたり死に、アスパラガスはジャコになった。

「他人にしたことは全部自分に返ってくるで」
と母は言う。

私もジャコになるのだろうか。
急な不安に襲われる。
しかし、たまごっちにしたしでかしはたまごっちに返す他ないし、アスパラガスにした過ちはアスパラガスに償う他意味がないと思われる。
たまごっちは再度親身になってお世話をするとして、アスパラガスへの償いというのは一体何なのだろうか。
こちらサイドとしては、自分を嫌っていると分かっている相手に自ら「会いたい」と言って接触を図るのはハードルが高い。
つまりは、少し間を置かないとアスパラガスを買ってはいけない様な気がしてしまう。
向こうの心の傷をえぐってしまうのは嫌である。

人生というのは本当に難しい。
脳みそひとつに対して、考えることが多過ぎる。
心ひとつに対して、憂うことが多過ぎる。
そしてそれらを内包する身体もひとつである。
私はいつだってギュウギュウではち切れそうなそれらを引っ提げて、勝利への道を直走る。
その為にも、次から次へと現れる課題を解決して、アスパラガスへの償いもこの秋中には済ませたい。

だから、これまで私が優しくした人たち、何かアイデアを分けて欲しい。
大団円はそこにある。

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