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俺のまつげがナチュラルにカールしていて何が悪い

 ビューラー、あれは本当に恐ろしい。悪い奴に捕まり、やれとテーブルに投げ出されたら、手がぶるぶる震えてしまうだろう。

 しかし女性の方々は日々平然とあれでまつげをばちばちに立てている。まぶたを挟むのも厭わず、まつげが抜けるのも厭わず、ミュラー・リヤー錯視に則り(矢印の向きで真ん中の線分の長さが違って見えるあれ)、少しでも目が大きく見えるように大変な努力をされている。あれはもしやすると、ヤンキーが髪を重力に逆らって立てたり、リーゼントをセットしたりするのと同じ気合い入れなのだろうか...

 かくいう私はビューラーで上げたほどではないが、天然でまつげがカールしているタイプの人間である。ただ問題は私が男であるということだ。中学時代、同じ男子テニス部でかわいいめの先輩がいたのだが、あるとき他の先輩から「こいつ、まつ毛がカールしてやがる!」と盛大にからかわれていたのを目の当たりにした。男で自然にまつ毛がカールしていることは揶揄される対象なのだとそこで初めて知り、次は私の番だと言葉を失った。大人になった今でこそ、もしそんなイジりを私にしてくる奴がいれば「俺のまつげがナチュラルにカールしていて何が悪い!」と、断固として切り返すが、中学生だったら何も言い返せぬだろう。

 十数年以上前のことではあるが、私がこのような差別や偏見に遭遇したのなら、過去から現在に至り、同じ経験をされている方も多くいるのではないだろうか。私と同じ性質で誰かが傷つくことは理不尽かつ堪え難く思うから、天然まつげカール協会、Natural Eyelash Curl Association(NECA)、通称ネカ、をたったいま立ち上げた。入会希望者は連絡を欲しい。今後は天然まつげであることに対する人権侵害と見られる事案が発見されれば、ただちにネカとして厳しく非難する抗議文を送りつけて参りたい。

 話は変わるが、ラップ界でグラミー賞を幾度も取っているカニエ・ウェストという人がいる(いまはYe(イェ)という名前に改名したらしい。人をなめているような名前だ)。彼がその昔アメリカの台風被害を受け、「黒人のことを考えていない」とブッシュを生放送で批判したことがある。それ自体は見上げたものだが、その後だいぶ経ってトランプを支持し、ヒトラーを称賛し、途方もない人種差別主義者を肯定していた。人間性を根底から疑わざるを得ない。また現代UKロックで人気筆頭バンドのThe 1975のフロントマン、マティ・ヒーリーは曲の内外でジェンダーや人種問題、環境問題に言及してきたが、今年2月のポッドキャスト番組にゲストとして参加し、司会コメディアンの女性差別、人種差別ネタに馬鹿ウケして、もっとやれとばかりに発言を誘引していた。カニエのグラミー賞受賞の件を見ても、他のミュージシャンの不祥事を見てもわかる通り、音楽と人間性は別だという意見はわからなくはない。しかし人間の尊厳を脅かすような、人が抱えている苦しみを助長し、断絶を拡げる差別に対して笑える人間が、何を曲に込めて歌っていても私は信用できないし、いくら音楽が良くても聴く気にはなれない。ちなみにある曲ではトランプ批判をしており、流出した卑猥な発言をそのまま歌詞にし、トランプがツイートした"Thank you Kanye, very cool!"をそのまま引用し、カニエのことも批判している。ここまで来ると、どっちもどっちというか、今度は君の発言が歌詞に引用される番かもしれないとは言っておきたい。だいぶ時間差で自分が投げたブーメランが後頭部に当たっている人が多い。

 福澤諭吉が「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と自分の著書に引用したのは有名である。日本の教育に多大な貢献をした彼のような人が、日本において1万円紙幣という金の象徴に、デザインとして載っているのは味であると思っていた。知性とは莫大な金を生む可能性があり、また金で買えないほど偉大なものだからだ。しかし彼が『掌中万国一覧』という著書で白人を讃え、それ以外の人種を極めて差別的に表現していたことを後から知った。一体どういう意味で「人の上に~」を引用し、平等を説いたのかと唖然とした。諭吉くん、ブーメランクリーンヒット。来年の今頃には万札も渋沢栄一に切り替わるようだが、功績は偉大にせよ、もうとっくに代わるべき時期は迎えていたのだろう。

 コロナとうまく付き合い、元に戻る方に力が働く世界で、私たちはどこへ向かうのだろう。それは知る由もないが、差別意識を元に分断が拡がらぬことを祈るばかりである。差別意識自体はなかなかなくせるものではないが、大切なのは間違っていることに気づき、認識を改めていくことだ。

追伸、知性は金、と言ったが、昨今のAI技術は技術としては当然すごいが、人間味の欠如が目に余る。いずれ我々の感性がスポイルされるというよりかは、人間自身と人間が生む作品の美しさや温かさ、深みが、より際立つようになると前向きに考えたい。

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